追憶・永遠の絆
十年ほど前、首都大紛争の最中に行われた最悪にして最高の実験。式による人体強化計画とクローン技術を応用した『情報生命体』の完成。
国はそれを禁忌としようとしたが、ある貴族がこれは他にないチャンスであると豪語したため、それは内密に行われていた。
3rdエリアはその頃、まだ監獄施設第3エリアとして扱われていた。サークルエリアは1stエリアから順にその監獄レベルが決まっている。つまり、1stは半ば強盗や軽い傷害事件などの収容。6thになると連続殺人犯や婦女暴行犯などが挙げられる。
そこで、政府はそのちょうど中間に研究施設を設けることにした。というのも、こういった実験がされていると世界に知れ渡ったら、折角収まった首都大紛争が再び起きそうな気がしたからだ。
首都大紛争は結局、ある鉱山の毒ガス事件と、多大の犠牲者を出しただけで集結した。とは言え、それが原因となり各国には平和条約が結ばれ、終戦は表では望むべき形となっていた。
その後、国は計画通りにサークルエリアを都市化する計画を実行し、それに便乗して3rdエリアに研究施設を建設することに成功した。ちょうど、研究員たちの家族も1stエリアに移住させてもらえることになり、研究員たちも不服は無かったようだった。
こうして、天宮寺家が治めるこの国は、サークルエリアに禁断の施設を手に入れたのだ。
―――
その日はとても晴れていた。・・・のは、天気だけであった。
サークルエリアは都市化され、1stエリアに住居を設けられて人々は暮らしていた。だが、彼女の父親は1stエリアとは違う場所で働いていた。しかし、母親との二人暮しで何か不自由があったわけではない。収入は毎月送られてくるし、母親はとても優しい人だと巷で評判にもなるほどであったからだ。
だが、その日は違った。黒い喪服に身体を包んだ人が多く見受けられる。機械的に照らされたその快晴の天気が、その日だけは憎たらしく思えていた。
―――葬式である。
死んだのは彼女の母親、金剛地白祭。昨夜突然の病に倒れ、今日お通夜が行われている。
彼女は大声で泣いていた。時には怒声を上げてもいた。しかし、誰も彼女を責めはしないし、その痴態を叱りもしなかった。ただ逆に、誰も慰めもしなかった。
何故なら、彼女以外の親戚は彼女の父親の仕事知っていた。父親はある計画のために駆り出された研究員だということを。そしてこれからは恐らく父親の元で暮らさなければならない。そんな彼女に同情したのかもしれなかった。
それから数日後、案の定彼女は3rdエリアで父親の元で暮らすことになった。
彼女が始めて3rdエリアに来たときはそれは随分と驚いていた。サークルエリアは実質的には都市化されたのは1stエリアだけであったはずなのだが、ここは町並みもあるし、人も多い。彼女と同年代の子供が多かったので、すぐに打ち解けることが出来た。
そしてその中でも、ある一人の男の子が他とは随分と違って目立っていた。物静かな彼女にとっては彼はとにかくうるさい人だと認識していた。いわゆるガキ大将のような存在だった。
彼は黄金と名乗った。
金色の髪の毛を後ろで結っていたため、名前を覚えるのは容易かった。特別覚える気も無かったが、何より印象が強かったのを覚えている。
初対面でいきなり『てめぇら全員オレの妹だ!!』などととてつもないシスコンぶりを発揮したかと思えば、『オレは、てめぇの屍を乗り越える』などと言って、勝手に喧嘩をしかけて相手をボコボコにしていた時もあった。一言で言うなればやんちゃだ。
しかし、黄金はさらにもう一つ、普通の子供とは違うことがあった。
彼女の友達は皆、普通学校に通っているのだが、それが終わるのが夕刻時の少し前だ。そこから薄暗くなる直後くらいまで遊んでいくのが彼女らのルールだった。
だが、黄金は違った。
どこの学校に通っていたかは知らないが、彼は彼女たちが来る前にやってきていて、日が沈む前にどこかへ行ってしまう。金髪と夕焼けがあまりにマッチしていたことが記憶に濃く残っている。
あの日もまた、彼は夕焼けをバックに気取ってどこかへ去っていった。
あの日は、彼女にとっても特別な日であった。良い意味でも、悪い意味でも。
誕生日、それはそう呼ばれていたと思うし、そうでなかったかもしれない。けれども、プレゼントをもらえるというのは特別な日だけだ。
彼女の目の前に差し出されたのは、銀色の光沢が眩しいノートパソコンと呼ばれるものだった。いじったことはないが、父親が良くカタカタと音を鳴らして使用していたのを彼女は知っていた。特別欲しかったわけじゃないけれど、興味が無かったかと言われればあった。
「これは、何?」
まだ幼い声が、実の父親に向かって無邪気な問いを投げかける。
「これはね、お父さんの夢が詰まってるんだよ」
とても優しい笑顔でそう答える。いつだって親子の問答はこうだった。
でも、夢が詰まっているというからに、きっと新品ではないのだろうと、若き日の彼女も容易に想像できた。だが、丁寧に手入れされたパソコンは、新品と見間違えるほどである。
ためしに彼女はそれを持ってみた。思いの他、かなりの重量がある。遊び場に持っていくのは難しいだろうなと思った。
「少し難しい話をするけれど、良く聞くんだ」
優しかった父親の顔が、急に神妙なものになる。
子供だったらそういう顔を親にされれば、自然と黙るものだ。彼女もそうだった。
「ここには王者の意思が詰まっているんだ。聡明な、黄金の槍騎士の意思が。きっとその意味が分かる日が来る。それまで、大切にしておくんだよ?」
「うんっ」
また父親の顔は愛情と自愛に満ち、彼女の頭をなでていた。彼女はくすぐったそうにしながらも、この瞬間が一番の幸福のときだった。
しかしどうだろう、父親のさほど嬉しそうには見えなかったのは。
その答えを知ることになったのは、それから二十四時間も経っていなかった。
彼女は父親が勤めていた研究施設の一室の片隅で膝を抱えていた。誰もそこにいることを叱りはしなかったし、かと言って慰めもしなかった。母親の葬式の時と同じだった。
それも、内容までしっかりと同じであった。葬式では無いが、死んだのだ。父親が。
理由は至って簡単だった。
彼女の父親は、ある研究に関わっていた。それも、なかなか重要度の大きいものだったらしい。そこで父親は情報を勝手に持ち出し、外部に流したらしいのだ。
そこで当然のように違反になり、射殺。何も滞りなく、ただ順序良く終わっていった。
今回ばかりは同情を浴びれるわけも無く、孤立された空間に彼女は自ら閉じこもっていた。誕生日、かどうかは定かではないが、そんな日に起きた悲劇。
まだ小さかった彼女には耐え難い現実だった。それも最近では母親も死に、ついに一人子となってしまったのだから。
絶望、それが全て。
「お〜いおい」
突然、声がした。
彼女は顔を上げて、その声の主を視界に捉えた。それは、ここでは見るはずの無い姿、夕方にはどこかへ消えていく金色の髪の男の子だった。
「何してんだてめぇ?迷子か?家出少女か?人攫いか?」
「・・・・・・」
「いや黙んなよ!?質問には答えるべきだと思うぜ?白銀ちゃんよ」
白銀はそれに答えられなかった。
目の前にいるのは誰だ?何故彼がここにいるのか。それだけが気になって仕方が無い。父親が勤めて、誰の目にも触れられずひっそりとたたずんでいた研究室に何故彼が?
それを察してか、黄金は頬を掻いて言う。
「ああー、オレか?オレはここに住んでんだよ。だからここにいる、それだけのことだ」
「・・・ここに?」
初めて白銀が声を発する。やっとこさ発言した言葉だったためなのか、それは黄金にとってとても透き通った、綺麗な声だと思ってしまった。
「で、おめぇさんは何でここに?大人以外が入ったことはないんだけどな」
どう説明しようか迷った。いや、別に説明しなくても良かったのかもしれないが、人というのも派迷惑だと思っても、こいつに話すのが嫌だと思っても、辛いことを共有したがる生物だ。白銀はそれと同じ感情を黄金に抱いていた。
黄金は白銀を急がせることも無く、ただそこで腕を組んで返事を待っていた。別に話してくれなくても良いと思っているのだろう。
だから、白銀は話すことにした。
「お父さんが、死んだ」
言葉少なげに、そう言った。
が、白銀の予想とは完全に違った反応が黄金から返ってきた。
「・・・お父さん?なんだそりゃぁ?猫の名前か?」
「は?ふざけないで。それで慰めているつもりなの?」
「慰める?いいや、オレは慰めてるつもりはないってか、まずお父さんが何か知らないんだけど」
「・・・冗談でしょう?」
目を見開いてそう漏らす。
と言うものの、黄金の目は嘘をついているようには見えない。だが、本気だと言われても理解しがたい。
父親を知らない?そんな前例が一体どこにあるだろう。―――否、無い。
たとえ身寄りの無い子供であったとしても、『父親』という情報が無いはずが無い。こうして外には子供が溢れているのだから、当然親がいる。そういった単語を聞いたことが無いはずが無いのだ。
「冗談じゃねぇよ。『お父さん』なんて言葉習ったことも聞いたこともねぇ。一体なんだそれは?・・・まぁ、死んだんだから言いたくないのならいいけどよ」
こんなことがあっていいのだろうかと、父親の死よりもある意味驚愕と興奮を覚えていた。
目の前にいる少年は、父親を知らずして育ってきたというのか?
「・・・親は、いないの?」
失礼だとは思った。もし、自分と同じくして親を失ったのであればそれは心の傷をえぐる質問だっただろう。
だが、黄金は薄い笑みすら浮かべて、こう答えた。
「親?ああ、親なら知ってるぜ。自分を生み出してくれた人の総称だろ?」
何か少し違う気がするが、言わんとするところは同じだ。
しかしどうだろう、彼の言葉はまるで試験管ベイビーが言っているような言葉だ。自分に生を与えてくれたのは精子と卵子の結合ではなく、それを実行した研究者たちの功績だと言いたいように、不特定多数の人間を指しているような気がした。
すると、黄金がばつの悪そうな顔をして白銀を見た。
「―――ああ、お父さんってのは親のことなのか。親が死んだ・・・そりゃ悲しいか。すまねぇな、馬鹿で」
本当に申し訳無さそうに頭を下げた。
だが、そんな黄金の姿など目に入らない。頭にあるのは疑問だけ。
―――馬鹿、なんてもんじゃない。
父親の定義を知らない、親の定義を理解できていない、こんな子供が世界にどれだけいるだろう?いや、数を数えるなどそれこそ馬鹿らしい。
記憶喪失?未熟児?孤児?試験管ベイビー?言語障害者?聴力障害者?
どれだって親という存在を知らなくても『親』という言葉は知っているはずだ。その逆もまたしかり、親という言葉を知らなくても『親』という存在を認識することが出来るはずだ。
でなければ、ここまで育っていくわけが無い。
「とすると、お前は一人なのか?」
そんな白銀の心情も知らず、黄金はそう聞いてきた。
一人。その言葉が白銀の心に深く突き刺さる。思ってもみなかった展開だろう、これは。世界でそう他見できる人間などいはしないし、それに対して心の準備をしている人だっていない。
でも、こうして自分がその立場にいることを、白銀は改めて思い知らされる。
「・・・そうですけど、何か」
精一杯の意地だった。同情してもらうつもりなど微塵も無い。罪を犯して、裁かれたのは父の自業自得なのだから。
「なら今日からお前はどっかの施設でお世話になるわけだな?」
「多分ですが」
「ほほぉう」
不敵な笑みを浮かべている。これが悪戯小僧と呼ばずしてどう呼ぼうといえるほどに。
そして響かせるようにして言ったことが、これである。
「よし!今日からオレのことをお兄ちゃんと呼べ!」
「馬鹿ですか。いえ、馬鹿ですね」
即効である。
「まぁそう言うな白銀。オレはもうてめぇを妹と認識した、断定した、オールオッケーだ」
「意味が分かりません。とりあえず落ち着いて一度転生してきて」
「はっはっは!元気がいいのは良いことだぜ」
豪快に胸をそらしてわざとらしく笑う黄金。
気付いた。彼は、優しいことに。
白銀の親が死んだことを知って、彼は急に空元気になった。恐らく元気付けてくれようとしたのだろう。そう思えば、白銀の頬も緩んだ。
だから言ってやった。
「―――兄さん」
「あ、新しい!?」
やはり馬鹿だと思った。
後日、白銀は黄金のいる施設へと収容、もとい保護され、二人は毎日顔を合わすようになった。他から見れば、それはもう仲の良い兄妹のように。
学校へは以前と変わらず通っていた。黄金も来るように誘ったのだが、何故か彼は頑なに断っていた。学園長に問えば、黄金は色々な理由からそういった施設に入れないらしい。何故と聞いても答えてくれなかったが、保険医の先生に聞けば、彼は何か伝染病のようなものを持っているからだと答えてくれた。
納得はしなかったが、とりあえずはそれで良いと思った。答えてくれないのならば、調べれば良いのだから。
父親から渡されたパソコン。
あれは記憶媒体の用途以外にも、れっきとした情報収集システムとして稼働していた。
長い年月をかけて調べ上げた。独自の情報網と、得意の『式』で。
浮かび上がってきた真実。
隠蔽されていた事実。
『親』を知らない黄金は、人ではなかった。