39, 入れぬ理科実験室(2)
信一は治療施設とは良く言ったものだと、最初部屋を見渡したときに思った。
どこからどう見ても、普通の『保健室』である。特別手術台みたいな特殊な施設があるわけでもないし、ただベッドと薬品箱が多数あっただけの簡素な部屋作り。期待はしていなかったが、どうにも3rdエリアは大袈裟に名前を改竄するクセがあるらしい。ここ、中央大学園施設というのも1stエリアの住民から見ればただの『学校』に過ぎない。
(まぁ、名称のことなどどうでもいいのだが・・・)
目の前のベッドに横たわる女子、いやもういい年だろう。銀色の長髪を流れるように靡かせ、整った顔立ちからはクールという言葉が良く似合いそうだ。目を瞑って気絶しているのか、もしこの場に猛獣でもいたら襲ってしまいそうな寝顔。
無論、信一にはそのような感情は微塵も無かったが。
しかしどうやら学園長はそれとは異なっているようだ。その可憐な姿に見惚れているわけではない、驚愕しているのだ。
先ほど信一を案内してくれた教師が言っていたように、彼にも見覚えがあるのだろうと思った。
「先生、この子は・・・裏路地で発見されたというのは本当ですか?」
保険医の先生にそう問うた。眼差しには期待が少なからず含まれているように思える。
対する保険医の先生は、不謹慎にも煙草をふかせながら気だるげに答える。
「ええそうよ。入り口付近で変な黒い霧みたいのが出てたから入ったんだけど、まさかこんなことになるとは思わなかったわ」
煙草を灰皿に押し付けた。未成年の信一にはその匂いがたまらなく嫌だったが、ここで意見するのも悪いと思い黙っている。
「発見した現場に何か遺物はありませんでしたか?」
それに首を振る保険医。
「無かったわ。ただ、どうやら飢えとか体調不良で倒れたわけではないみたい。首筋に打撃痕が残ってるわ。恐らく戦闘に巻き込まれて昏倒させられた、というのが有力でしょうね」
「戦闘・・・」
何か思い当たる節でもあるのだろうか、学園町は頭を抱えて唸りだした。
保険医の先生が、ここで煙草を灰皿に放置すると机の上に置いてあったカードを手に取って、ひらひらと振り見せてくる。信一もそれを見ると、どうやら自己証明書のようだ。同様の物を信一も持っている。
「これはこの子の所持物の一つ。まぁ、見れば分かると思うけど政府製の証明書ね」
学園長がそれをひったくるように奪い、食い込むようにして見る。何がそんなに彼を駆り立てたのかが信一には気になって、後ろから迷惑だと思いつつも覗き見する。
そこにはベッドで横になっている銀の髪の女の写真と、名前が記載されていた。
『金剛地白銀』
随分と最近聞き慣れた名前が出てきたものだと目を見開いた。覗くのを止めて、独自の思考を展開させる。
(さて、繋がったな。―――裏路地、か。一度寄ってみる必要がありそうだ)
しかし、話の辻褄が繋がったといえども学園長の驚愕の仕方には未だ納得できる材料は無い。
とりあえず信一は、そのまま二人の会話を聞いておくことにした。
「金剛地の者が帰ってきた・・・のか。どうりで情報生命体の研究に力を入れようとするわけだ」
苦虫でも噛んだかのように表情を濁らせる学園長。だが保険医の先生は依然として楽にしたままだ。
「この子は本気で保護したほうが良さそうね。捕らえられたらたまったもんじゃないわ」
「いや、昏倒させられていたのならば、恐らく彼女に目的は無いはずだ」
「・・・そうね。なら、一体何を目的としているのかしら」
顎に手を置いて考える保険医の先生をじっと見詰めて、溜めてから学園長はこう漏らした。
「兄のほうが目的だろう」
金剛地黄金のことだ、と信一は直感する。しかし、準や由真が話題にしていた彼の名前がこんなところで聞くことになるとは思いもよらなかった。それも、何やら重大そうな雰囲気だ。
保険医の先生は認めたくない現実を突きつけられたような表情をしている。恐らく、半ば予想は付いていて、あえて疑問を口にしたのだろう。
「だからって情報欠落症候群の薬の配給を停止させることはある?こっちでは何人もの生徒が苦しんでるっていうのに」
またも聞きなれないワードが飛び出したが、信一とて馬鹿ではない。名称だけで大方の予想はつく。しかし、情報生命体の死亡原因がそれだとするならば、いくつかおかしな部分が見受けられるのだが・・・。
「政府にとっては彼らの命などゴミ屑同然なのだろう・・・」
落胆する学園長。
その場に静寂が流れ始めるような雰囲気を掴み取ったので、信一が口を開いた。
「一つ問いたいのだがいいかね?」
突然の発言に、保険医の先生も少なからず驚いたようだが、返答を待たずに続ける。
「金剛地兄妹については、私が首を突っ込むところか悩ましい部分があるので特に問いはしない。だが、情報生命体について不可解な点がある。その、情報欠落症候群、だったか、それの薬の配給が停止されたため、生徒が次々と砂化しているとしても、二点ほどそれでは説明が付かないことがある」
二人はそれに気付いていないのか、信一の話に聞きに回っていた。
それを確認すると、さらに信一は続ける。
「一つは裏路地でそれが多量に発見されているという点だ。薬がどうのこうのといったところで、裏路地には関係しないだろう。それとも何か、あの裏路地は死期を感じた人間の自殺スポットか?有り得ないな。ならば貴様らがこうして裏路地で発見されたことにいちいち驚きなどしない。ならば、この場合はそこに行かざるを得ない理由があったか、強制的に連れて行かれたかの二点が考えられる。まぁここはまだ私にも分からん」
ずらずらと並べるようにして言われた言葉を、パッと理解できたかといえば、普通の人間には難しかっただろうが、二人は腐っても教師である。途中途中うんうんと頷いていた。
「次に二点目。一点目と繋がるが、薬の配給が止まったということは、全生徒にそれが行き渡っていないということだろう?少なくとも自分たちで生産している気配は無さそうだしな。だが、こうしてこの学園の中にはそれでも何不自由なく暮らしている生徒が多々いる。それは何故だ?結果は一つだ。裏路地に行っていないからだ」
つまるところ、と付け加えて、吐き捨てるように言った。
「裏路地に何かがある」
ふぅ、と一息ついた。流石にここまで言葉を並べると疲れるようだった。
その言葉の波に圧倒されるように、教師二人は考え込んでいた。それぞれ思うところはあるのだろうけれど、恐らく行き着く結論は信一と同じだろう。その詳細までは分からなくとも、だ。
「流石、治安維持機関の者だな。我々と結論を導く早さが違う」
「その眼鏡は伊達じゃない、って感じかしら」
信一はそれに微笑しつつも、伊達だがな、と心の中で否定した。
と、その時だった。
「う・・・うぅん」
ベッドで横たわる白銀からかすかに声が漏れる。
それに気付いた学園長が駆け寄り、怒鳴るようにして声をかける。
「大丈夫か!?」
白銀はゆっくりと瞼を開けると、顔を覗き込んでいる学園長の目を見た。どうやらまだ焦点が合ってないらしく、しかめっ面でいる。
「あ、あなたは・・・」
ようやく意識がはっきりしてきたのか、起き上がって自分の状況を確認している。そんな白銀に詰め寄るようにして学園長が聞いた。
「私を覚えているかね?白銀君」
言われて白銀は改めて学園長を見た。すると、何故か一瞬嫌悪感を示すような表情をし、その後大きくため息を吐いて答える。
「ここは、中央大学園施設ですか・・・。不運が重なりすぎてますね、全く」
頭を抱える白銀。学園長のことを覚えているからそのようなことを言うのだろう。信一としては過保護的とも思える学園長の態度のほうが気になって仕方が無かったが。
保険医の先生は白銀が起きたと知ると、おもむろに首筋の辺りを撫で、白銀に色々と症状を問うていた。白銀がそれにしぶしぶと行った漢字で答えている。断らないのは、恐らく何気に重症なのだろうと思った。
だが、信一から見ればどこにも傷は無いように見える。先ほど先生が言ったように、打撃によるものだとしても治療を要するものではない。外傷も無く、こうして目の前で白銀は打たれた痛みはあるだろうが、ピンピンしている。
すると、突然白銀が信一の方を向いた。視線が合う。特別そらす理由も無いので、直に受け止めてやった。
そこで学園長が信一を紹介する。
「彼は治安維持機関のものだ。よろしくやってくれ」
だが、依然として白銀は信一から視線を外さない。
「何かね?私をそんな羨望の眼差しで見るな。奴隷にしたくなる」
「突然にしてはとんでもない勘違いをするものですね、貴方は。私は全力で異物を見るような目をしたはずなんですが」
「残念だったな。天才と異物は紙一重だ。異物を見る目は天才を見る目だ」
「一体どこの頭がその有り得ない思考回路を生むのか、脳みそを一万分割ほどして調べてみたいものです」
「奇遇だな。私も自分の脳内を見てみたいと常日頃から思っていた。どうせ神のような神々しい形をしているに決まっているがな」
「つまり人外ですか。変態ですね」
「ほう。変態というのはウニの発生段階の成体前、第十五段階目のことだろう?つまるところ私の進化過程をそれに例えたわけか。素晴らしい、私はあと少しで神になれるわけか。だが少し大袈裟すぎだな。私はまだプルテウス幼少期ほどだと自重しているのだが」
「ウニですか貴方は。てっきり人科の馬鹿という人種だと思っていましたが、私の間違いだったみたいです。謝ります」
「ならば土下座するがいい。ちなみに馬鹿の角は漢方薬としても使われるため、貴重だ。中傷にはならんぞ」
「・・・・・・」
一触即発とはこのことを言うのだろう。特別いじってみたかったわけではなかったが、流れでそうなってしまったことに信一は驚愕した。
(この女、なかなかのものだな)
対する白銀も、特にいじる予定は無かったのだが、その予定を崩される発言を次々と受けたものだからムキになってみただけの話だ。しかし、まさか言い負けるとは思いもよらなかった。
(この男、なかなかやりますね)
そしてその寸劇を唖然として見守っていた他二人は、言葉もなくただただこう思っていた。
(この二人、何か似てる・・・)
何故かは知らないが、乾いた風が吹く荒野の戦場のような殺伐とした雰囲気が均衡状態で続いていた。白銀と信一は互いの目を見て相手を図っていた。傍から見ればにらみ合いにも見える。いや、それにしか見えない。
その均衡状態を破ったの白銀だった。何か悪い意味のほうの冷や汗をかいており、半ばヤケクソになって言った。
「う、ウニですか貴方は!!」
「いや、人だが何か」
「・・・くっ!」
勝ち誇るようにふっ、と笑みを漏らす信一。大切な何かを奪われたように、泣きそうな表情を浮かべて下唇を噛む白銀。なんとも滑稽だった。
というよりも、全く状況に合っていない。
そのわけのわからない流れに乗っていることに学園長が気付き、二人の世界に入り込んでいる彼らに声をかける。
「ともかく、だ。白銀君、一体何があった?」
話を大きく切り替える。
白銀は半ば虚ろな目をして放心状態にあったが、その声で我に帰り質問に答える。
「え、ええ。先生方も知っての通り、私は政府に勤めているのですが、その任務中に仮面の男に襲われて・・・」
が、ここで再び雰囲気を壊すように信一が割り込んできた。
「待ちたまえ。私は何の話か理解するのが難しい。まず、貴様らの関係を聞かせてもらおう。先ほどから見知りのような態度を見せるし、そこのところをはっきりさせておきたい」
三人は顔を見合わせて、どうするかをアイコンタクトで話し合っているようだった。
決定したのか、白銀が立ち上がって信一の目の前に立つ。
「まず一つこちらの要求を呑んで頂きますが、よろしいですか?」
どうでもいい話だった。口約束などしてもしなくても同じだと信一は軽く見た。それに、内容など容易に予想できた。
「構わん。どうせ兄の救出でも手伝えと言うのだろう?」
「・・・話が早くて助かります」
先ほどの会話から何やら敵意を丸出しにしている白銀だが、無論信一にとってはただの視線でしかない。威圧感など微塵も感じていない。というよりも、小動物のような感覚で受け止めていた。
「そうですね、どこから話せばいいでしょうか・・・」
長くなるだろうと思い、信一は失礼ながらも保険医の座っていた椅子に腰掛けた。