38, 入れぬ理科実験室(1)
時間軸はさかのぼり、春樹が捕まえる前。
一方の信一は、黄金が理科室へ入ったことを知ると、その当の理科室へと足を急がしていた。いや、黄金が侵入したからでもあるが、信一にとってはその黄金という侵入者よりも黒ローブの男が侵入したことのほうが認識的には大きな事象である。
1stエリアでどこかへ消えたかと思えば、ちゃっかり付いてきているではないかと。
あの男は何か感じる雰囲気が危険であった。無論、自分にとってではなく彼の狙う春樹にとってだ。黒ローブの男はこの政府の計画に便乗し、何かを狙っている。それが彼の言動からはひしひしと感じられた。
過ぎ行く廊下の光景は、記憶の片隅に残ることなく、名残無く通り過ぎる。
準と由真はそのままコンピュータルームに置いてきた。というのも、やはりもしも黒ローブの男と戦闘するようなことがあれば守りきる自信が無いからだ。果たしてあそこに残しておいても安全かどうかの保証はないが、準に託すことにした。
もう一人の黄金という男についての情報は準から得ている。信一が問おうとする前に、由真が簡潔に特徴と実力などを言った。しかし、正直な話それはどれもこれもが予想の付く、いや知識の範囲内の話だった。
金剛地黄金。
政府の中では名の知れた名前だった。さほど目立った噂は聞かないものの、ある一つの噂が彼の存在を大きくさせていた。恐らく先の会話で出てきた白銀、という人物は黄金の親族のものだろうと判断する。妹や姉のような肉親がいたという報告は無かったと思うが、そういうパターンも稀にある。
何より信一の頭の中で引っかかっているのが、
(役者が揃い過ぎている。十五年前の首都大紛争、情報生命体実験、そして『四季』。一体この核略奪の計画に便乗して何が起きている・・・)
考えたところで一つも良い想定は浮かばなかった。一つ舌打ちすると、思考を断ち切って理科室へと急ぐことにした。
それからほどなくして目的の場所へと到着はした。到着はしたが、そこには意外な人物が待ち構えていた。いや、待ち構えていたというよりも手持ちぶたさにしていた。
先ほどから理科室の前をうろうろとしている。それは、大好きな先輩を教室から呼び出す後輩のような可愛いものではなく、危険なまでに神妙な顔つきで入るか否かを迷う、まるで闇金に金を借りに行く親父のような顔つきだ。
そこで信一は立ち止まり、声をかけた。
「学園長殿。ここで何をしている」
その声に反応して、学園長が振り返って信一を見た。
「ああ、治安維持機関の・・・。いや、特別用は無い・・・つもりだったが、今回は違うな」
あっさりと否定してのけた。
「ふむ。何かあったのか?」
ただならぬ気配を感じ取って、信一がそう聞く。すると、学園長は大きくため息を一つ吐いてから答えた。
「私は本来政府の命令によってこの教室には、特別用がある時以外は立ち入りを禁止されている。だが、私が今ここにいる理由はな、先ほど説明した情報生命体が・・・いくらか死体で発見されたらしい」
「ほう・・・死体で。殺人事件か何かか?」
それに学園長は首を振った。
「この3rdエリアでは殺人事件など絶対に起きない。というのは、情報生命体の死は普通の人間の死と異なるからだ。彼らは名前の通り、人の手によって生成された不安定な存在であってな、情報の欠落、というのが老化と共に発生するのだ。すると彼らは・・・砂になる」
その言葉に顔をしかめる信一。
人は死ねば土へ還るというが、情報生命体はそれが老化と共に起きるというのだろうか。なんとも不憫な話であると同情した。
恐らく殺人事件が起きない理由も、彼等がそれぞれ相手の死について理解しているからだろう。まるで傷を舐めあうように、互いを尊重しあう。そのような関係だと目測で判断した。
「つまり、その砂が発見されたと?」
学園長が頷いて言う。
「その通りだ。それもどれもこれもの発見現場がこの中央大学園施設の裏路地付近でな。あそこは本来生徒の立ち入りを禁止しているはずなのだが・・・。まぁそれはいい。そこで、君が聞きたいのは何故それで私がここにいるか、だろう?」
「うむ。先ほどこの教室に侵入者を二人ほど確認した。何か見た覚えは無いか?」
「侵入者・・・?」
眉をひそめて考えている。ということは、恐らくその目で直接見ている可能性は無いだろう。つまり、彼自身も先ほどここにやってきたばかりだということ。
恐らくこの理科室内の施設について大よその目測があるか、それとも完全に理解しているのかのどちらかの理由でここに来ているに違いないと、信一は思う。
と、ここで学園長がああ、と声を漏らした。
「そういえば、ここに来る途中生徒が黒ローブを着込んだ男を見たと言っていたな」
ビンゴだ、と心の中で思う。が、
「仮面を付けていた、とも言っていたか」
信一の眉がぴくりと動いた。
黒ローブの男、つまり春樹を狙うあの男とは相違した人物がいたということになる。が、当然情報強奪にはそんな人物は引っかかっていない。あの男が仮面を付けてここに入ったということか。
―――否、違うな。
直感で信一はそう自分の思考に否定した。
「仮面は、狐の仮面をつけていたと言っていた。最近そのような目立った不審者は聞かないが・・・」
「狐、か。あれは古来から人や物体に化けて人々を困らせてきた神の姿。不気味なものをつけるものだな」
そう言うと、学園長がそれにいや、と信一の意見に反抗した。
「ここでは学園祭という祭り行事があってな。そこではプラスチック製の狐の仮面を着用するのだ。恐らくそれだと思うのだが・・・」
「ほう・・・。随分と滑稽だな。何か由来でも?」
「特には無い。ただ、人を化かして面白い、といった若者の考えだ」
信一はそれに納得する。特に深い意味は無さそうだが、恐らくカモフラージュやその手の類のために使ったのだろう。だが、一体いつ誰が入ったというのだろうか、この理科室に。
春樹を狙う男という可能性を全否定したわけではないが、恐らく有り得ないだろう。彼ならばそんなちゃちなカモフラージュなどしないと、そう決め付けていた。由真が張った情報強奪も、張ってあると分かっていながら侵入して来たに違いないだろう。
とすれば、仮面の男は情報強奪を掻い潜れる人物。
まず、政府の人間であることは確かだった。というもの、情報強奪の式は言えば罠である。それに気が付くのは第六感とか、フィーリングといったわけのわからないものでどうにかなる代物ではない。そこで使用するのが、信一の持つあのカードだ。
これは、様々な用途に適応しており、情報強奪の式を判別することも出来る。治安維持機関のような政府の管下にある機関はたいてい持っていた。
当然、治安維持機関にはこの事件のことは伝えてあるが、大きく動いてはいないため3rdに来ている同志は春樹、準、由真以外にはいないだろう。ならば進入した人物は、外界からの政府の刺客以外には有り得ないだろう。
と、様々な思考をめぐらしていた時だった。廊下の向こう側から一人の大人が走ってくる。教師であろうと思う。
「が、学園長先生!路地裏にて、一人の女子を保護しました!どうやら情報生命体ではないようですが、どうにも見覚えのある顔で・・・」
「何?情報生命体でないのに見覚えがあるのか」
「ええ、随分と昔に見たような気がしますが・・・」
学園長は信一をちらりと見ると、向き直って言った。
「少し見てくる。君はどうする」
信一は考えた。ここから侵入しようとしたところで、どうせ政府製の磁気認証装置によって阻まれてしまうことは確定済みだ。ならば、
「私も行こう。多少話を聞きたいこともありそうだ」
「そうか。おい、その女子はどこに保護した」
「学園内の治療施設です。ご案内いたしますので、付いてきてください」
信一は言われたとおり、その教師の後に付いていった。
半ば予想しただろう、また面倒なことが絡んでくると。
「面白いこともこりごりだな」
自嘲しても、特別面白くも無かった。
ただ、無価値な思考だけが、名残のように頭に残っただけだった。