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37, 脱出路便所

おぞましいまでの環境の悪さ、恐らく裏路地など比では無いだろう。ゴミ屋敷にでも連れてこられた気分だった。

 ・・・というのは、日比谷の大袈裟な表現であって、実際は春樹が閉じ込められている所と対して変わらない風貌の牢屋に彼はいた。実際裏路地よりも環境は悪い。


「クソッ!!出しやがれってんだ!!」


 牢屋の鉄格子を大きく音を立てるように殴りつける。勿論破壊できるとは思っていない、ただ誰かがこちらに来るのを狙っているのだが、これがまた悲惨なほどに誰にも伝わらない。

 だが、一体ここから出られたところで何が出来るだろうか。仮面の男にはもはや相手にもされず、恐らくあの『ブリューナク』とかいう槍をダムンも出すのだとすると、彼にも勝てないだろう。あまりの不甲斐無さに軽く自虐に陥りたくなるが、我慢した。


(ここから出て、助けを呼ぶ)


 それが日比谷に出来る精一杯の考えだった。

 一通り考え終えれば、また鉄格子を叩く。手が鉄臭くなるのはもう手遅れのことだろう。手を洗うのが面倒くさそうなことになりそうだと、殴りながら思っていた。

 だがやはり結果は同じで、どれだけ殴っても鉄格子が軋みを見せる気配も、向こう側から人が来る気配も皆無に近い。

 恐らくこれ以上殴っていたら自分の拳がまずいことになってしまうだろうと思い、一度鉄格子から離れた。

 そのままドサリと壁に背を掛けて、大きくため息を吐いた。


「本気で不甲斐ねぇ・・・」


 思わず嘲笑が口から漏れた。手を匂ってみたら、やはり鉄の匂いが染み付いていた。

 首ももたれかけされ、一時休息をとることにした。

 しかし、春樹に情報生命体のことを知られたのは吉と出るか凶と出るかが最も心配であった。大抵の人は、このことを知るとここから遠ざかっていってしまう。

 見た目飄々とした春樹だが、あのブリューナク出現の時の威圧感を乗り切ってナイフを投げた強さがあの中にはある。そしてその直後の仮面の男からの反撃での反射的防御。やはり治安維持機関に勤めていると言うだけはあるのだろう。

 だがそれでも、あの仮面の男には勝てない。

 今彼を失えば、もはやこちらに尽くす手はなくなってしまう可能性が高い。それが一番の心配であった。

 恐らく治安維持機関として来ているのは彼だけではないのだろうけれども・・・。


「おいおい、もう鉄格子ぶったたくの止めたのか?」


 突然のことだった。

 声が牢屋の外側から聞こえてくる。ついに監視役が気が付いたかと思って、鉄格子にへばりつくように突進して叫んだ。


「おい出しやがれ!!」

「おぉ、元気いいじゃねぇかよ。その分なら大丈夫だ。そんでもってオレは監視役じゃない。残念だったな」

「あ・・・?」


 確かに、脱出口があると思われる右側からも、そして左側からも誰も来ない。だが声は外から聞こえてきた。

 そして、考え抜いた末に発した言葉。


「・・・妖精か!?」

「ちげぇよ!?どんなメルヘンな頭してんだてめぇは」

「良く考えればこんな太い声の妖精とかいたら子供が泣くわ」

「いや、ダンディーな妖精もありだと思うぜ。長老とか」

「あれはダンディーじゃなくてしゃがれだろ」

「格闘向き妖精とか」

「こえぇ、既に魔法の世界の住民じゃねぇな」

「つかまずオレが誰かを聞こうぜ。色々とぶっ飛んでる」


 確かに、と思ってテンションを一時下げる。

 しかしどこから声が聞こえてくるのかが全く分からない。鉄格子から除いてみた視界の中にはその姿を確認できなかった。何か通信系だろうかとも思ったが、こんなところにそんなものがありそうにもない。


「誰だお前」


 もはや前振りも何も無く、超が付くほどの率直な質問。


「聞いて驚け、金剛地黄金だ!」


 数秒考える。

 そう、日比谷の脳内タンスの中にその名前がどこかにしまわれているような気がしたからだ。

 確か授業の時だ。それも歴史関係。

 一体どこで出てきたかは忘れたが、そのような名前が出てきたような気がする。


「まぁ、いいか。で、お前はどこにいるんだ?」

「うぉ!放置かよ。・・・ま、オレはてめぇの隣の部屋さ」

「隣?」


 まさか二つ目の部屋があったとは思いもよらなかった。だが確かに言われてみれば、声は外からというよりも自分から見てちょうど左側から聞こえてくるような気がしないことも無い。

 とは言え壁で仕切られているため、相手の顔を見ることは出来ない。仕方なく声のするほうの壁に移動して、軽くコンコンッとノックしてみる。

 ・・・が、ノックは返ってこない。変わりに声が返ってきた。


「あぁ、悪りぃけど拘束されててな。話し相手にしかなれねぇぞ」


 どうやらそうらしい。

 なら何故自分が拘束されていないのだろうと不思議に思ったが、恐らく一般の生徒など拘束するに足りないのだろうと、軽く落胆してみた。


「ダムン・デルファだろ?」


 突如、黄金がそのようなことを聞いてきた。あまりに唐突だったが、その核心を突いた質問に驚いた。そして同時にこの男は何かを知っているのではないだろうかという期待も抱いた。


「あんたも学園の生徒か?」


 だから、そう聞いてみた。だが、以外にも予想していた答えとは反したものが返ってくる

「いや・・・オレは外界の人間だ」

「外界?政府の人間かあんた」

「そういうことになるな。まぁ、とは言え今はこんな状況だけどな」


 政府の人間が政府に捕らえられている、なんとも滑稽で不可解な光景だった。見てはいないが、きっと見たら面白くて苦笑いをしてしまいそうだと思う。

 しかしどういうことか。何故政府の人間が、ここで捕らえられているのか。

 ここは3rdエリアの研究施設。政府の人間が失敗やらどうのこうのしたからといって、何故この場所に監禁する必要があるのか。

 聞いた話によれば、外界にもきちんとこのような監獄施設がある。ならばそこへ行くのだが妥当では無いだろうか。重要罪人はここ、サークルエリアに収容されていたのは確かだが、それは今では4thエリアの管理となっている。どの理由にせよ、ここに監禁する理由が分からない。

 そして彼が、ダムンを知っていたこと。政府から派遣されてきた教師で、彼もまた政府で同じ人間だとしても、この状況下でその名前が出てくるということは、つまるところ事情を知っていると思っても間違いでは無いだろう。


「あの、ダムン・デルファはどういうやつなんだ?」


 一番知りたかったことを聞いてみる。新任教師として任命されてきたのはいいが、学園長などと同じように政府から派遣されてきたという事実以外は何も知らない。


「てめぇらは、情報生命体だろ?」


 黄金が確かめるような口調で言う。


「ああ、と言っちまうのも何だけど、ダムンについて教えてもらえるならああ、と答える」

「だろうな。まぁ聞かなくても知ってたが。で、ダムンのことだが」


 一息置いてから、急に神妙な口調になって言った。


「情報生命体の研究に関わった研究員の一人だ」


 日比谷はそれに特に大きな反応は見せなかった。というのも、ここが情報生命体の研究施設だと聞いた時からそんな予感はしていたからだ。


「んぁ?なんだ、驚かねぇのかよ」


 そんな日比谷の反応に不満を抱いたのか、がっかりしたように黄金が漏らす。

 正直驚いていないかと言われれば、それは違う。予想は出来ていたとは言え、最近やってきた教師がまさか自分たちの生みの親だなんて言われるのは、実はお母さんはあなたの本当の母親じゃなかったのよと言われるくらいのインパクトはある。


 だが、そう言われてみる場面を想像してみよう。

 物語などでは、主人公がその事実に打ちひしがれ、泣いたり絶望したりして、最後にはそれでもあなたは母親だなんて言って完結するのだろうが、実際はそんなことを言われたところで最初は呆けるだろう。そして、これは想像上だが、たとえ偽物の母親だとしても、そこまで気に病むことは無いはずだ。多少のショックは受けようとも、泣き喚いて家出まですることはないはずだ。

 まさに日比谷はそんな心情だった。

 というよりも、日比谷にはそれより知りたいことがあったからだ。ダムンを知っているのなら、あの男についても知っているのではないかと。


「その、仮面の男とかについては知らねぇのか?」

「仮面の男・・・」


 こちらは予想外、黄金は何故か黙り込んでしまった。考えているのか、それとも他の何かか。

 黄金が壁の向こう側で何かを呟いているのが聞こえる。自問自答でもしているのだろうか。


「どうした?知らないならそれでいいんだが」


 心配になったわけではないが、日比谷は聞いた。


「いや、ここにぶち込まれたのがそいつのせいでな。てめぇもそのクチか?」


 日比谷はそれに正直に頷く。が、壁で仕切られていて見えないことに気が付いて声でそうだ、と答えた。


「なら話は早いじゃねぇか。あいつが使ってた『ブリューナク』っつぅ槍は見たか」


 あの黒い五本の矛先を持った槍のことだろう。


「見た。音声認識で出てきたやつだろ?」

「そうそうそれだ。あれはな、通称『神槍』って呼ばれるものの一つで、伝説に出てくるものの劣化品だ。他に『グングニル』と『ロンギヌス』があるんだが、まぁどこに式として保存されてるのかは知らねぇ。だがな・・・」


 一度言葉を区切る。そして続けた。


「『ブリューナク』を使いこなす人間は、一人しかいねぇんだよ、これが」


 日比谷はそれに疑問を覚える。

 何故なら、春樹がナイフの投擲によりダムンを止める前にダムンは同じ詠唱をしていた。あれはフェイクなどではなく、確かに『ソレ』であったはずだ。


「でも、ダムンも同じ詠唱してたぜ?」

「そりゃそうだ。あれは音声認識で登録されてるものだから、それをちょいといじれば誰にだって使える。だが、使いこなせるのは、あの仮面の男だけだ。『穿つ魔弾』こと、『タスラム』を放てるのは」

「タスラム・・・」


 その名称には聞き覚えがある。

 どこかの大陸の神話にある、太陽神が使っている魔弾の名前だ。その魔弾を投擲し、魔眼を撃ち貫いたされる伝説の武器。だが、一説によればそのタスラム自体は魔弾ではなく、ブリューナクの投擲そのものだとも言われる。

 それを、仮面の男は忠実に再現したと言うのだろうか。


「まぁなんとも嫌な現実で、太陽神とかいうものとは真逆の禍々しいものになっちまってるけどな。恐らく確かだ」

「あんたは、仮面の男を知って言ってるのか?」


 そこまで聞かされているのだから、もういいだろうと思い核心を突いてみる。

 だがやはり黄金は答えない。先ほどと同様に何かを呟いているが、聞き取ることが出来ない。

 じれったい。

 そう思った瞬間だった。


「なぁ、てめぇここから抜け出す気はあるよな?」


 本当に突然だった。一体日比谷のした質問はどこへ消えたのか、全く違うことを聞いてくる。だがそれは日比谷にとってはどうでもいいことで、今の黄金の提案に似た問いは何か期待を抱かせるものだった。


「当然だろ。とは言っても、誰も来ないんじゃどうしようもないけどな」

「ふははは!!黄金様に任せな。オレは脱出経路を知っている。それも超単純な」


 日比谷はそれに、乗り出す隙間も無いが壁にへばりつくようにして身を乗り出した。


「ほ、本当か!?どうやって出るんだここから!」

「おうよ!部屋の隅にトイレがあるだろう?すげぇでかい」


 部屋の端を言われたとおりに見ると、確かにそこにはボットン便所と呼ばれるような、巨大な穴を持つトイレが存在していた。


「ああ!で、どうするんだこれを」

「インザトイレット!!」


 恐らく壁の向こう側で黄金は親指を立ててビシッと音を立てていただろう。

 だが、対する日比谷は。


「・・・は?」

「安心しろ。確かに若干深いが壁伝いに降りていけば死にはしねぇから。下についたらそのまま下水を伝っていけば、外に出られるぜ」

「待て待て待て待て待て!!トイレの中に入れって!?」

「おうよ。穴も広いから苦労はしねぇはずだぞ。まぁオレがそこから脱出したときはまだ小さかったから今では知らねぇけど」

「こっから脱出したのかよあんた!?」

「人間極限に立たされたらなんでも出来るってもんだろ」

「ひ、否定はしないけどよ・・・。マジか」

「マジだ」


 折れた。

 日比谷は恐怖の異物でも見るように、そろりそろりとトイレに近づき、中をのぞいてみる。確かにそう使用された形跡は無いが、それでも嫌なものは嫌だ。別に異臭が漂っているわけでもないが、そのあまりに深い暗闇に不潔感を覚えるのも仕方が無い。


「ほ、本当にここから出られるんだろうな」


 一応確認しておく。


「死ななければな。絶対そのまま直滑降とか止めろよ。絶対死ぬから」


 随分と不吉なことを言うものだ。

 しかしここまで来たからには引き返すわけにもいかず、日比谷は覚悟を決める。黄金の言うように壁を伝っていけば・・・汚い。


(いやいや、邪念は取り払わねぇと。無心だ無心)


 便器の中に足を突っ込む。恐らくこれが最初で最後の超貴重体験だろう。そう思えば、なんとなく楽になった気が・・・しなかった。


「トイレにいっといれ。いやごめん、嘘だ」


 が、それは効果絶大だった。この緊張感のなかにそれは無いだろうと毒づきながら、不運なことに足を滑らした。


「あ」


 日比谷のいた部屋に残された一言は、しっかりと黄金の耳にも伝わっただろう。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・!!」


 悲鳴は遠くなり、いつしか聞こえなくなっていた。

 黄金は不覚にもその声に爆笑してしまうのを抑えるのに死にかけていたのは、彼だけしか知らない。






 ―――






「で、これもてめぇの想定の範囲内ってか?」


 誰もいない空間に話しかける。牢屋の作りがその声を反響させ、耳障りな音を立てた。

 するとそこに、誰もいなかったはずの空間に影が現れる。


「想定の範囲内ではない。全ては計画通り、台本通りだ。貴様が脱出経路を知っていて、日比谷をここに閉じ込めることにより貴様はそれを教える。そして日比谷は助け呼び、貴様は一時の休息を得るだろう。だが、それも一時のもの」


 影が野太い声で話す。黄金はそれに大きく舌打ちした。


「金剛地黄金よ。ドッペルゲンガーという現象を知っているかね?」

「ああ。自分と瓜二つの人間を見ちまうことだろ」


 影が頷く。

 相手の姿ではなく、影を見て話すというのは気持ちの悪いものだと黄金は体験した。


「ドッペルゲンガーを見たものは、死期が近いという。原因は主に脳障害や、幻覚症状だと言われているが・・・それは単なる『幻覚症状』だ。本物のドッペルゲンガーはその者の死の象徴であり、私の物語の中では霊的なものでも医学的なものでもない。『事実的』なものとして描かれる」


 突然、影が笑い出した。

 相手を嘲笑うがごとく、皮肉を込めて笑う。が、それもまた突然止まった。

 影がゆっくりと大きくなるのが見える。いつしか影は牢屋の中まで進入し、その影を作るものが牢屋の前に立っていた。

 黄金は見た。黒いローブを着込み、鉄の狐の仮面を付ける男を。


「見たのだろう?『黄金』を」


 牢屋の鍵が、カチャリと音を立てた。

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