36, 恋人宣言?
瞼が重い。決して眠気があるわけではないが、いちいち目を開くのに力を入れなければならない、そんな感じだ。やっとこさ目を開いても、今度は背中付近に酷い痛みを感じる。一体自分がどんな罪を犯してこんな悲惨な状況に陥ったか問いたいくらいだ。
痛む背中をさすろうと、手を伸ばそうとするが・・・どうだろう、今度は腕までも動かないでは無いか。しかも脳内への信号が遅れているわけではなく、拘束されている。
もしかしてと思って足のほうに力を入れてみるが、案の定同じく動かない。どれだけもがいてもガチャガチャと鉄がぶつかり合う音が無情にも鳴り響くだけだ。
だが、その音が春樹を精神的にだけ、救う手段となった。
「あ、気付いたのね」
自分とは全く逆方向から声がする。少し大人びた、でもまだ幼さが残る女性の声。
身体をそちらに向けようとしたが、背中に耐え難い鈍痛が走る。
「ああ、無理しなくていいわよ。別にあんたの顔見て会話しなきゃいけないわけじゃないし」
面白いことを言う、と思った。
とりあえずまずは状況確認をしてみることにする。やっと戻ってきた視界に入ってきたのは、あまりに暗い空間だった。恐らく治安維持機関に連行されたときに叩き込まれる牢獄というのは、こんな雰囲気なのだろう。あまりに質素で、自分が繋がれている鎖以外には何も無い。
壁も薄汚れているし、こんな空間に長居していたらネガティブになってしまうこと間違いなしである。
「ここは・・・どこだ?」
以外にもきちんと発声できた。背中を向けて会話というのも気持ちが悪いが、仕方が無い。
「ここはあんたも予想しての通り、牢屋ってとこよ。何しでかしたか知らないけど、あんたの命運も尽きたわね」
随分と酷いことを言ってくれるヤツだと思った。だが、希望は残されている。
春樹は記憶を巡った。
ダムンと仮面の男は言っていた。『九条と同じ部屋に入れておけ』と。だとすると、今自分が会話している人物は・・・。
「いきなりで悪いけど、お前が九条美香留か?」
「え・・・?何であんたがあたしの名前知ってんのよ」
ビンゴであった。
「そっか。もっと撫子系かと思ったけど、その口じゃ違うみたいだなぁ」
とりあえず円滑に進めるため、ちょっとした冗談を抜かしてみる。いや、半ば冗談ではないが。
「悪かったわね。あたしもいきなりぶち込まれてきた人にそんな失礼なこと言われるなんて予想もしてなかったわ」
「全くだ。すまないな、俺もこれでも必死なもんでさ」
「何がよ・・・。まぁいいわ、あんた何者?あの冷徹オヤジに叩き込まれたんでしょ?」
「ま、そんなところだ」
冷徹オヤジ、言われてみればそんな気がしないことも無い。灰色の髪の毛がまた、それを一層と引き立てていた。一体彼のどこに人望があったのか悩ましいところだ。
猫をかぶっていた、という見解が一番有力だろう。いや、もしかしたらあれはあれで人気があるのかもしれない。
「で、なんであんたがあたしの名前知ってんのよ?」
長い間監禁されていただろうに、声には張りがある。根っからの元気っ子というところか。
「あぁ。まぁ自分でも気づいていると思うけど、九条さんが連れ去られたって巷で大騒ぎでね、派遣された捜索部隊みたいなもんなのよ俺は」
「へぇ・・・。学園長の差し金?」
「いや自ら立候補させてもらった。これも大切なお嬢様のためってやつ?」
冗談を利かせたつもりなのだが、その言葉は少々勘に触ったらしい。九条からは笑い声どころか唸り声すら返ってこない。
そのことから推測して、春樹は聞いた。
「お前、やっぱそういう立場嫌なのか?」
「嫌なわけじゃないわ。別にどこぞのお嬢様みたいにちやほやされてる訳でも無いし、超豪華なご飯があるわけでもない。ただ警備が厳しいだけよ。ただ、理由がね」
「ライフ・・・か」
九条の言葉は以外だった。
てっきり春樹はそのどこぞのお嬢様のように、豪華な生活をしているのだと思っていたからだ。だが九条の言うように、ただ警備が強いだけならば更に状況は悪いのではないのか。
つまり、どこぞのお嬢様は私生活が監視されている代わりに生活に不便が無い。しかし、九条は私生活を監視されているにも関わらず、他の人と何ら変わり無い生活をしている。これを区別と呼ぶか差別と呼ぶかは微妙なところだが、彼女には同情した。
だが、そう思う中でも、仕方ないと割り切るしかない現状がここにあるのが悩ましいところである。
「それで今これじゃない?全くどこの神様があたしにこんなことしてくれてんのやら」
「さぁな。だけど、お前にそんなことしてくれちゃってんのは、あの冷徹オヤジだろ?」
「あはは、その通りだったわ」
笑みをこぼしてはいるが、恐らく顔は笑っていないだろうと、背中で感じた。悲しみも無ければ当然喜びなんてものもない。あるのはただ怒りだけだ。
はぁ、と九条がため息を漏らしたその時だった。
ガチャリ、と無機質な金属音が鳴る。場所は春樹の視線の先、固く閉ざされた扉である。
「なんだ?捕虜の身で楽しく会話かね?」
ダムンであった。あれだけの戦闘を繰り広げておきながら、オールバックにされた灰色の髪の毛は一つたりとも乱れていない。セットし直してきたのだろうか。
「おかげさまで背中合わせの出会いだっての。どうにかしやがれ」
「それは残念だったな。今対面させてやる」
ダムンは春樹の眼前へと来ると、髪の毛を掴んでそのまま九条のところに引きずっていく。
本当なら髪の毛を引っ張られて痛いはずなのだが、それよりも背中に走る激痛が耐え難いものだった。
そして九条を通り過ぎ、壁に思いっきり叩きつけられる。
「っつぅ・・・。何すんだよ」
「貴様、この男に見覚えは」
一枚の写真を提示してきた。乱暴に扱っておいてこれはどうかと思うが、諦めてそれを見る。
そのに移っていたのは見覚えがある無い以前に、見知りすぎる顔だった。髪の毛をサラリーマンのように固め、眼鏡をかけた姿はまさに信一そのものであった。写真からして、どこかの部屋に入る直後のものであると推測できる。
当然だが、春樹は瞳に出ないように嘘をつく。
「知るかって。誰だよこいつ」
ダムンは数秒春樹を見ていたが、屈したのかその写真を懐にしまう。だがそれで終わるわけも無く、壁に押しつけられたままダムンの顔が迫る。
「質問を変えよう。貴様は何者だ。どこの人間だ。貴様がこの3rdエリアの生徒で無いことは知っている。嘘はつかないことだな」
「へぇ、何で俺が生徒でないと分かった」
「先ほど言っただろう。ここの生徒は皆情報生命体。それに異なるものがいることはおかしいのだよ」
実に簡単な種明かしだと思った。
とは言え、ここで反政府活動をする人間だと口外すれば、その場で抹殺されかねない。3rdエリアの住民でなければ、他のエリアから来た事になる。リンクロードは緊急でしか開かないから旅行者というわけにもいかない。
何か良いいい訳を探しても、見当たるものが無かった。
唇を噛む。もはや言うしか無いのかと諦めかけた瞬間だった。
「そいつ、あたしの恋人よ」
突如九条が口を開いた。それもとんでもないことを口にして。その言葉で、初めて春樹は九条を見た。
赤みのかかったロングポニーテールを提げ、目元は案の定きりっしたものである。その目が春樹に視線を送ってきた。あわせろ、ということなのだろう。
だが、春樹としてはそれでいいのか全く持って保障をもてなかった。それは3rdエリア以外の住民だということを隠すものになるのだろうかと。
とりあえず首で頷いておく。下手に喋らないためだ。
「ほう・・・ならば彼の名前は何だ?」
九条と春樹は同時にしまった、と後悔する。名前は九条のほうを春樹が知っていても、九条は春樹の名前を知らない。
「・・・忘れたわ」
正直に答える。当然ダムンは怪訝な顔をして、更に問い詰めた。
「恋人の名前を忘れる?ふざけているのかね?」
が、ここで九条は自信ありげに言い放つ。
「彼は恒例のお見合い相手よ。私の配偶者選抜の時は皆そうでしょう?今日1stエリアからやってきたらしいのよ。だから名前を見たのも顔を見たのも今日が二回目。思い出すほど印象的な顔もして無いし当然じゃない」
「・・・ふむ。確かにそのような話は聞いたが、本当にこやつだと証明は出来るのか?」
「無理に決まってるじゃない。顔もそう覚えていないし、資料はここにはないでしょう?」
「ならば調べようではないか。・・・おい青年、名前は何だ?」
九条のほうを見る。彼女は軽く頷き、それに春樹も返した。
ゆっくりと息を吸い込み、自分の名前を言った。
「俺は、潤目冬夜だ」
思い浮かんだ名前がそれだったとは、春樹も思いもよらなかった。
「なんとか助かったわね」
先ほどとは比にならない長いため息を吐いて、身体の力を抜いた。
「ホント助かったわ・・・。しかし何で俺が1stエリアの人間だって分かった?」
すると九条は意外そうな表情でえっ?と声を漏らした。
「あんた本当に1stの人間だったの?適当に言っただけなんだけど」
「マジかよ!?何、新手の誘導尋問ですかこれ」
「ち、違うわよ。普通に偶然」
「恋人設定も計画的犯行か貴様。全然おっけーだぞ」
「最低ね、あんた」
・・・。
顔を見合わせ、静寂が訪れる。どちらとも口を開かず、半ばにらめっこのような状態になった。だが、そんな状態が続くわけも無く、二人は笑いあった。
「ぷっ・・・あっはっは!!面白いわね、あんた」
「まぁそれが売りだから。それを分かるとは、お前もなかなかやるな」
「ねぇ、あんた1stエリアから来たんでしょ?どんなとこだったか話してよ。あたしもここに 監禁されてて暇で仕方が無かったのよこれが」
「そうだなぁ、したら俺の友人の準ってやつが・・・」
手枷足枷をを付けられている春樹と、鎖で柱に拘束されている九条が笑いあって話す光景は、あまりに不気味なものだった。