34, 黒き槍、穿つ魔弾(1)
まさか、という言葉が今一番似合うだろう。つまり、春樹も日比谷も予想だにしなかった光景が今目の前にあった。
仮面の人を追ってきたが、途中で見失ってしまった。だが、そのまま辺りを探してみればこれだ。マジックには必ずトリックが隠されているとはこういうことだろう。
裏路地には似合わない、重く閉ざされた扉がそこにはあった。鉄製で鍵穴が幾つも付いており、一体何処の重要金庫なのだろうと想像を膨らませることも出来るだろう。銀色の光沢がまた期待を持たせる。
「あれか?ここには金銀財宝が眠ってるってオチ?」
「どちらかと言うと金銀徴収してきそうなヤツがいそうだな」
「じゃああれか?ここには美男美女が眠ってるってオチ?」
「まだそっちのほうが希望あっけど、どちらもいらねぇ」
「オカマはありか」
「もっといらんわ!!」
「じゃあ愛と勇気?」
「食用人間の友達がこんなとこで軟禁されてんのか。助けねぇとな」
「開けてはならないブラックボックスの奥には・・・」
「・・・なんだよ」
「俺とお前とあなたが」
「誰だよあなた!?」
「ご想像にお任せするわ。かったるいし」
日比谷を弄んだことに満足した春樹は、もう一度扉を見た。
先ほどの会話ではないが、一歩間違えれば本当に金銀財宝が眠っているのではないかと思う。埋蔵金ではなく、誰かが隠したヘソクリみたいな軽い感じの。
鍵穴を見る。流石頑丈そうな扉なだけあって、鍵穴も複雑そうな形をしていた。奇形というほどではないにしろ、恐らく並大抵のピッキング作業は受け付けないだろう。
仮面の人はちょうどこの辺りで姿を消していた。どう考えてもこの扉の向こうへ消えたとしか考えられない。
「日比谷、この扉どうしたら開くと思うよ?」
打開策が思いつかなかった春樹が、日比谷に問う。
「あぁー、こんだけ分厚かったら壊れねぇだろうし、ピッキングってのは・・・無茶そうだな」
「ロッカーの鍵くらいなら開けられるけど、ここまで頑丈っぽいのはなぁ。しかもなんかすげぇ鍵穴多いし」
「確かに。この手のもんはきちんとした鍵穴に入れないと警報とか鳴るんじゃねぇか?」
「多分そうだろうな。・・・とすると、待ちに回るしかないのかね」
そう言うと、春樹は扉に背中をかけた。相当良い材質で作られているのか、一瞬にして体が鉄で冷えてしまった。
「待ちって、一体いつになるか分からねぇぞ?」
「んでも、ここに仮面のヤツがいることは間違いないんだから。出てきたところを一網打尽ってところだろ」
拳をぐっと握ってみせる。
日比谷も近くの壁にかけ、空を見上げる。
「九条、一体どこにいるんだ・・・」
空ではなく、いわゆるあさっての方向を向いているのだろう。暗中模索とも言えるこの状況、いや、手がかりは多々あるだろう。新任教師ダムン・デルファに仮面の男、それに政府まで関わってきているとなると話は単純明快だ。
「心配すんなって、普通の行方不明の事件よりは、全然手がかりあるんだしよ」
実際1stエリアで起きた犯罪事件などは、まさに推理小説の中だけで繰り広げられるような治安維持機関と犯人の心理戦が繰り広げられている。
それと比べればまだまだ軽いものだ。
「まぁな。だが心配なもんは心配なんだ」
「分からないことはないけどさ、急がば回れ、入りたきゃ待てって感じだろ今は」
「はは、なんだそりゃ」
微笑してみたみたいだが、春樹には苦笑いにしか見えなかった。そんな表情を見て、春樹は 春樹なりに考えてみる。
(さっきの砂化した生徒の時、日比谷は絶対に何があったのかを知っていた)
ポケットを探って何かを探していたような仕草をしたのを見逃してはいなかった。恐らく男子生徒を助ける手段がそこにあったのだろうけれど、何を探ったかは検討も付かない。
日比谷のあのときの表情は、春樹と比べて焦燥感が欠けていた。つまり、そういった場面に出くわすことを体験している、もしくは心がけていた可能性が高かった。ならばそれは何なのか・・・。
答えというのは、考えるよりも与えられるものだ。思いに耽っていた二人の耳が裏路地の向こう側から声を捉えた。
「一つのネズミ捕りに一匹以上のネズミはかからない、か。今回は無理をして巨大なネズミ捕りを用意したのだが・・・ドブネズミ専用だったようだ」
声の方向へ身体ごと飛んで向く。
薄暗い建物の隙間から、白い服を纏った男が現れる。一般的には白衣と呼ばれる医者や研究者が身に着けるもの。抗菌作用が強いのか、汚れは目立っていないが、暗闇の中でその色はあまりに目立っていた。
「人が迷い込む場所ではないぞ諸君。何をしに来た」
春樹はその人物の顔を見て、ますます警戒度を強めた。ナイフをいつでも抜けるように手にかけ、じりじりと近寄る男に向かって言う。
「お前がダムン・デルファだな?」
見たことのある顔、そう、学園長室で学園長から提示された写真と完全に一致していた。三十代後半を思わせる皺の多い顔に、灰色のオールバックの髪の毛。白髪ではなく染めているように見える。いや、名前が横文字からして地毛なのだろうと思った。
名前を呼ばれたダムンは、意外そうな顔をして答える。
「その通りだが、諸君等は何者だ。このような場所にピクニックとは似合わないぞ、男二人で」
「そう見えるならそれでいいけど。見えるか?」
「・・・見えないな。その扉に何か目的でも?」
春樹の背中にある扉を指差す。まさかダムンのほうからそれの存在を言ってくるとは思いもよらなかったが、油断はしない。
「この頃仮面をつけた男が出没している。その男がこの中に入っていったんだ」
「仮面の男・・・。それに君は日比谷君じゃないか」
春樹の後ろで半ば隠れるようにしていた日比谷が前に踊りでる。怖がっているわけではないが、その表情は厳しい。
「先生。あんたこそなんでこんなところにいんだよ」
「私は・・・研究材料を、ね」
「嘘つくんじゃねぇ。こんな廃れたとこに何があるってんだ。・・・九条はどこだ」
核心を突いた質問を投げかけた。だが、春樹はその日比谷の行動にしまった、と会話をさせたことを後悔する。
ダムンは案の定、それにしかめっ面になって日比谷を見た。恐らく九条の名前を出してしまったことが命取りだろう。
「ほう、諸君等はその手のクチか。これは失礼した、こちらの目的も大半掴めているようだな」
ここで初めて日比谷も気が付いたようで、口を今頃押さえる。
もはや後には引けないと、春樹がダムンの目を見て問いただすように言う。
「やっぱしお前が絡んでるのか、九条美香留行方不明事件に」
「学園長も気が付いていたようだが、足を半分ほど突っ込んでいるようなところだな。生憎私は非戦闘員を気取っていたいのでな」
気取っているというからには、戦闘も出来るということなのだろう。それにこの会話の流れの良さがまた春樹を不安にさせる。
こちらが九条美香留を追っていることを知れば、隠すことを何事も無かったかのようにやめてしまった。それほどの余裕があるのか、否か。
だが相手の口がこうも簡単に開いてくれるならば、それ以上望ましいことは無い。
「・・・この扉の中は、何があるんだ?」
ドスンッと響かせるようにその扉を平手打ちする。まるで悪事を働いた生徒を教師がしかるような光景だが、ダムンは微塵もそれにおいて憤りも悲哀も覚えていないようだ。
「研究所だ、情報生命体の」
「・・・情報生命体?」
初めて耳にする言葉に首をかしげる。すると、それを知らなかったことが相当意外だったらしくダムンが目を見開いて春樹を見たのち、後ろに日比谷に視線を送って微笑した。
「何も聞いていないようだな。良い機会だ、私がここで講義しようではないか」
後ろでに春樹は日比谷を見る。
やはり何かを隠していた。だが隠すからには何か理由があるのではないか。春樹はゆっくりと意味も無く円を描いて歩き始めるダムンの言葉に頭を集中させる。
「情報生命体。つまり情報から生成された人間のことだ。人は本来両親の遺伝子などを受け継いで体内で生成される生物であるが、それではない。また、情報生命体は体外受精された子供とも異なる。ならば何か、それは式による一からの人体生成だ」
「・・・式だと?」
春樹を一瞥し頷く。
「知らないことはないだろう。万物は式により構成されている。私たちが足を付く地も、吸う空気もだ。ならば当然人も作れるだろうということで作ったのが、情報生命体だ」
「そ、そんなことが出来るのか・・・」
圧巻に値した。
万物が式によって構成されていることは、記憶の片隅に引っかかった何かによって感づいてはいた。それに、ミリアなどとの出会いからそれが相当世界に関与しているものだとも知った。しかし人が作れるなどとは聞いたことも無ければ、想像したことすらない。未知の領域だ。
ダムンが驚く春樹を見て笑い、つまり、と付け加えて言う。
「そこで命が生まれるのだ」
春樹の手が置かれている扉に視線を向ける。合わせて春樹も扉を見た。
この奥で人が作られている―――想像できない。
「そして―――」
ダムンの言葉は止まらない。何故か同時に日比谷が青ざめたように思えた。
「ここの住民は、全て『ソレ』だ」
「・・・なっ!?」
何を考えるまでも無く、最初にした行動が日比谷のほうに振り返ることだった。彼はばつが悪そうに俯いて頷きも驚きもしない。
だが対して春樹は身が凍るほどの衝撃を受けている。頭が真っ白になるというほどではないが、緊張しているわけでもないのに心臓が酷くうるさい。別に話さなかった日比谷を恨みもしないし、怒りもしないがただ呆然とその姿を見ていた。
これが、作られたものなのかと。
何かを諦めたように日比谷が重い口を開く。
「そうだよ、俺も同じ作られた命さ。みんな、みんなだ。九条も、新谷も」
「そんな馬鹿な・・・。日比谷が作られたって・・・」
髪の毛の先から足の指の爪まで見えたとしても、それが人以外の何に見えよう。
邪険な目をして、ダムンに振り返る。理由の無い怒りがふつふつと湧き上がってくるのを自分の中に感じた。勿論ダムンに対してだが、それよりも九条があまりに可哀想だった。
ライフを取り込んでいることによる『普通』からの疎外に加え、人として生きれないのではなく既に『人ではない』事実の直面。これのどこに救いようがあるだろう。
それもこれも、全ては禁忌とされたはずの人造行為をしたこの男のせいである。
「お前、自分が何をしたのか分かってるのか?」
罪の意識を植え付けるつもりだったが、ダムンはそれに無慈悲な視線を春樹に送る。
「私が何をしたかだと?命をこの世に落とした、それだけだ。むしろ我々としては彼らに感謝してもらいたいところなのだがな」
「・・・何?」
「我々は腐っても彼らの『親』なのだよ。確かに他とは違う境遇から生まれてきたが、見た目や機能のどこに不具合がある?ここ3rdエリアでの暮らしのどこに不都合がある?君もそうだろう、日比谷君が情報生命体だと聞くまでそれを気付かなかった、いや、彼が人以外の生物だということにすら気が付かなかっただろう」
下唇を噛む。ほぼ図星であった。
「つまり私が言いたいのはこういうことだ。―――不遇なのは、人の意識下の中だけだ」
当の本人、日比谷も言い返す口は無いようだった。
春樹も言わんとすることは分かる。見た目も待遇も気付くまでは悪くは無いが、気付けばそれをのけ者にしようとする人の心が悪いのだと。
「だけど・・・」
許せるわけが無い。納得はしよう、だが許せるわけが無い。
なぜならば、
「その不遇の意識を植えつける原因を作ったのは、お前だろが」
春樹はついに腰のナイフを抜く。
それを見て、ダムンがふっと笑みを漏らす。
「私も君も、所詮は人だということだ」
「だな。・・・ダムン・デルファ、お前を治安維持機関へ連行させてもらう。どうせ任意同行なんか出来ないだろうから最初から力づくでいくが、良いな?」
「面白い。事を温厚に運ぶことが出来ない人間か」
ダムンは右腕を大きく上に掲げた。
春樹はその行動に疑問を覚えながらも、日比谷を後ろに下がらせて一撃に備えてナイフを盾代わりに防御態勢を取る。
ダムンが大きく息を吸い込んだ。
「I demand a reply.(我が声明に答えよ)」