33, 侵入者(3)
それからの行動は早かった。
信一はとりあえずダムン・デルファがあの理科室を行き来している証拠を掴むため、学園のコンピュータルームという場所で信一のカードに、情報強奪の記録が残るのを待つことにした。
部屋には十数台のパソコンが設置されているが、ものの見事に使われていないらしく人の気配というものが無く寂しい空間になっていた。敷かれたカーペットは、新品同様で寝転がりたい衝動に駆られる。
「うにゃー。なんか気持ち良いね、これぇ」
その衝動に身を任せてはいけないが、任せた準もいた。
由真がそれを見てそわそわしていた。無論、注意したいわけではない。だがあえて言う。
「じゅ、準さん・・・。いくら使われて無いと言っても汚いのでは・・・」
「大丈夫だよー。ほらほら、ユマユマもやってみなよー」
既に瞼がうっとりしている。いや、準ではなく由真がである。吸い込まれるようにカーペットへ引き寄せられていくが、そこは王女としてはしたないことをしたくないのか後一歩のところで留まる。を、何度も繰り返していた。
なんとも小動物的な動きで葛藤を続ける由真を横目に見ながら、信一はパソコンに接続したカードのデータを見ていた。以前に書き込まれた治安維持機関の情報が多少残っていたので、それをなんとなく削除して時間を潰す。
「信ちゃんも〜〜」
何かが信一の足にへばりついてきた。放置しておきたかったが、頬擦りされて流石に気持ち悪かったので、思いっきり見下して言い放つ。
「邪魔だアリ」
「アリ!?アリってこんなことしないよ信ちゃん!」
「アリが100匹足に群がってかさかさと動き回っていた感覚に酷似している。よってアリだ。この不純異性交遊アリが」
「何それ!?ボクそんな酷いアリさんだったの!?っていうかその体験危ないよ」
「昔100万匹のアリと接戦を繰り広げたことがあってな、それはもう体中に蕁麻疹が走ったがごとく鳥肌が立つ光景だった」
「うぇぇ」
それを想像したのか、準が座り込んで身体を抱く。ぶるぶると震えていてまた滑稽だと思った。その話を聞いていた由真も、同様になって言った。
「なんだかカーペットがアリの大群に見えてきました・・・」
「止めてユマユマ。ホント洒落にならないそれ」
嘘をついた信一も、想像してみたら本当に背筋に冷ややかな衝動が走ったように思えた。
「見てください。パソコンも良く想像してみれば、シロアリの大群が固まって出来たように思えないこともないのでは」
「ユマユマサドスティックだよね?流石にそれは見えないよ」
「えぇ・・・結構本気だったんですけど」
「本気でシロアリの大群に見えるの!?残念だけどぶつぶつとかも無いから無理だよ!!」
「でも可愛いから許しますよ?私は」
「何が可愛いの!?ボクはあなたが分からない!」
必死で頭を抱えて苦悩する姿に、信一は苦笑した。それを見て、問題の由真はニコニコしていた。恐らく場を和ませるための冗談だったのだろう。王女と言えども油断は出来ないなといろんな意味で感心した。
そんな滑稽な光景から視線を移して、パソコンの画面を見る。未だ情報強奪は発動していないが、あの声の主のどちらかがあそこから出てくれば必ず反応する。由真がミスをしていなければの話だが、根拠は無いが彼女の式は完璧だと思う。
あとは待つだけなのだが・・・。
「希さん、どうですか?」
由真が苦悩する準を放置して、信一のほうに寄ってきた。目は期待にも輝いていたが、何より不安が大きいようだった。
「ふむ、今のところは何も無いな。そろそろ出入りしても良い頃合だと思うのだが」
「や、やはり私の式が不完全だったんじゃ・・・」
信一はぐるりと回る椅子を回して、由真を見た。
「あの時は私も狼狽していたが、恐らく出来ているだろう。情報強奪や結界などの空間に刻み込むタイプは、不完全だと空間歪曲を起こしかねない。だが、こうしてあの場はまだ何も起きていないからな」
ふっ、と笑みを浮かべた。
別に心休めのために言った親切ではない。本当に何かミスがあれば、空間に歪みが生じるし、空間に刻む式の中では情報強奪は上位に値する。上位の式は少しでも不具合があれば、すぐに異常をきたす。
しかし今、由真の式は数十分経っても何も変化は無く、働き続けている。
「そ、そうですか」
胸をなでおろした。さほど自信が無かったようには思えないが、心配性なのだろう。
とは言え、先ほど口にもしたが反応が無いのはおかしい。会話から理科室の扉に近づいてきていることは確かだったはずなのだ。あそこまで来て、もう一度戻ったというのか。
と、その瞬間だった。
「む。天宮寺由真よ、よくやった」
音が鳴る。よくあるメールの初期設定着信音のような単純な音。
情報強奪が成功したのだった。
うんうんと唸っていた準もその音に顔を上げて信一の下へと駆け寄ってくる。由真も横から覗き込むようにして顔を出した。
信一はカタカタとキーボードを鳴らし、その強奪した情報を確認しようとした。画面には目が痛くなるような情報の数々が表示されていき、それが目にも留まらぬ速さで処理されていく。
そして、纏まった情報を見て言葉を呑んだ。
『色識別:外観主に黒色、主色人体と一致。能力識別:筋力、神経の発達共に平均指数を大きく上回る。所持品識別:黒色の布、一般衣類の材質、鉄製鋭利なもの。特殊事項:左目の視力に大きく異常反応』
人体の立体映像が出てくる。
それを見て、信一が言葉を漏らした。
「これは・・・黒ローブの男か」
春樹たちを2ndエリアに送ったあの日に会った、リンクロード前にてアイズとアイツァー、そしてこの立体映像と完全一致する黒ローブの男。まさにそれだった。
「黒ローブの男って、春樹が刺された時の犯人だよね!?」
準が身を乗り出す。それに信一は頷く。
「白鳥準は見たことが無いだろうが、恐らくその男に間違いない。だが何故ここに・・・」
「春樹を追って来たに違いないよ。あんな通り魔みたいなことして、多分殺し損ねたからって」
「前者においては否定する材料は無い。が、後者は違うだろう。傷は前も言ったが意図的に急所を外されている。武藤春樹に何か目的があるのか、この男・・・」
「そういえば退院した日に春樹が言ってたけど、黒ローブの男って春樹が入院してた病院にも現れたって」
と、ここで由真が唖然とした様子で画面を見て言った。
「これ、見てください」
パソコンの画面に直接触れ、強奪された情報の一つを指差す。そこには、名前、とは言っても一般登録された情報から引き出し、最もその人物に近い名前を表示するだけなのだが、そこに表記された名前は全員を凍りつかせた。
信一が、かみ締めるように口にする。
「武藤、冬樹だと・・・?」
準が手を叩いて、思い出したように興奮する。
「白銀ちゃんの情報強奪!あれにもこの名前あったよ!」
リンクロード内のことを思い出す。リンクロードに仕掛けられた情報強奪に春樹たちが謎の空間歪曲によって飛ばされた後に引っかかった人物の名前だった。
その頃由真はアイズの名で目一杯だったのか、彼女は覚えていないようで首をかしげていた。
「武藤冬樹・・・武藤春樹・・・なんだこの不快感は」
「でもこれでなんとなく分かってきたね。黒ローブの男がこの名前の人物だったなら、春樹に関係があるのかもしれない。忘れちゃった春樹の過去と何か」
「ヤツの過去とか・・・」
信一の中のもやもや感は消えない。何か予想だにしないものが動いているようだった。
だがそれよりも思いに耽っているのは、何故か由真だった。先ほどから焦点をその名前に合わせて一点たりとも動かさない。それは怖いくらいに相手を威嚇する、飢えた獣に見えないこともなかった。
獲物を見つけた獣は、決してそれから目を離さない。
「何、何なの・・・」
誰にも聞こえない声で、自分でも気付かない声で、そうつぶやいていた。
が、そんな思考すら無慈悲にかき消される。再び先ほどと同じ音が鳴る。
信一も考えていたことをひとまず置き、画面を見る。
「またか。今度は誰だ・・・?」
同じように情報が高速で処理されていき、一つの纏まった情報と化す。
『色識別:頭髪に金、外観に赤、主色人体と一致。能力識別:筋力、神経の発達共に平均以上。所持品識別:赤色衣服、硬度の高い鉱物を用いた槍状の武具。特殊事項:生命情報が不安定』
信一には誰か分からなかった。だが、後ろで二人が声を上げるのが聞こえた。しっかりと発音されたその言葉は、無論信一にも意味は分かった。
「金剛地、黄金・・・」
何がどう繋がっているのか、それを知る人物はここにはいなかった。