30, 砂のアート
まさか来た道を引き返すことになるとは思っていなかったが、何故か日比谷が施設について色々と説明してくれたため、移動に飽きはしなかった。
日比谷の話によると、ここは学園エリアというよりも行政に似たエリアだという。部局があるように、中央大学園施設を中心として様々な行政機関があり、そこに学園生たちが勤めている、もとい学習するために所属しているのだと言う。
しかし当然食堂のような場所に勤める人もいれば、地味に商業を営む人間もいる。結局言えば普通の街となんら変わらないということだ。
変わっているのは、教師や店長以外の人間が全て未成年で構成されているくらいだ。いや、街の様子を見るに未成年しかいないので、やむ終えずといった感じだ。
そして現在目の前にある中央大学園施設。
街に出すための教育施設だと言う。これはれっきとした学園のようだ。
「じゃ、裏路地回るぞ」
日比谷の後についていく。
路地裏とやらに近づくにつれ、春樹の第六感のようなものが疼き始めていた。
(何だこの嫌な感じは・・・)
先ほどの読心術といい、最近自分に異常が見られるのは言うまでも無かった。だが、現在原因の一つも分からないので放置している。元々感が強いほうではある。
それは、あの由真との出会いのときが良い例だ。路地裏というのは嫌でも不穏な空気を感じさせてくれるが、そこに『存在』があるか否かで大分違う。
つまり今現在、この鬱蒼とした暗闇の向こうには確かな『存在』がある。
「心の用意だけはしといたほうがいいぞ日比谷。何かいる」
「何かいる?仮面の奴か!?」
「分からない。けど、人がいるのは確かだ」
嫌な、とは付け加えなかった。
日比谷は春樹の顔と路地裏の向こう側を見比べた後、剣を鞘から抜いて鞘を投げ捨てた。その動作は重々しく、とても使い慣れているようには見えない。
春樹も最悪の場合を想定し、腰からナイフを抜き取る。
「おいおい、武藤お前そんなもんで大丈夫なのか?」
「少なくともお前のその錆び付いたものよりはな」
神経を研ぎ澄ませるため、ほぼ無視で路地裏へと足を踏み入れた。
そこは1stエリアの路地裏と何ら変わらず、やはり漆黒に満ち溢れ腐敗した空気が流れていた。多くの廃棄物や生ゴミにがここで生殺しで処分に合い、どこの裏路地も物どもの死に満ちている。
そしてそこに『存在』があると、死が生を包含するため第六感へと働きかけるのだ。
道案内も無く、春樹が先頭でどんどん進んでいく。だが、一向にその『存在』の正体は現れない。身体に伝わるピリピリとした感覚は依然としてある。
「なぁ」
突如後ろから日比谷に声をかけられる。だが答えない。
「そんなに緊張しなくてもいいだろ。身体が固くなっちまったら動けるもんも動かなくなるぞ?」
その言葉に初めて歩を止める。
そして後ろを振り返って指差して言う。
「いいか?確かにリラックスして自分の実力を出すことが最善かもしれないけど、相手が分からない以上警戒して進まなきゃならない。『熊が出没したことがあります』って立て札があった森を何の緊張も無く進めるか?進めたとしてもそれは単なる無用心だ。状況を考えろ」
一通り言い終わると、再び警戒の意を強めて歩を進め始めた。
しかし日比谷はそれでもまだ話しかけてくる。
「一体どこのどいつが主犯なんだ。お前がここに来たのって、確か外界との外交問題がどうとか言う理由なんだろ?それで何で俺ら3rdの人間が関わってくんだよ」
日比谷が与えられた情報は、ライフのことは含まれていない。恐らく学園長の差し金だろう。
しかしこうして九条探しの件に関わったことによって、日比谷も彼なりに疑問を持ったようだ。今更であるが。
「何かあったんだろ?」
隠すべきか考えた。
だが今は同志である。とりあえず言える部分だけ言っておくことにする。
「外界の政府って機関は知ってるか」
それに日比谷が頷く。
「お前も学園長に会ってきたんなら知ってんだろ。ここは外界の政府の管理下。時々九条の身の回りとかも見に来るしな」
「九条の身の回り?」
わざと知らないふりをして聞いてみる。
「あぁ、聞いてなかったのか?九条はライフを取り込んでんだよ。1stエリアにもあんだろ?ああいった重要なものがあいつの身体には入ってるから、重要保護指定を受けてんだよ」
学園長から聞いた話そのものである。
と、ここで春樹はあることに疑問を持った。
「なぁ、九条が保護指定なのは誰でも知ってるんだろ?だったらいなくなったりしたら誰もがみんなおかしく思うんじゃないのか?」
学園生は何ら変わらぬ日常を送っている。非日常を満喫しているのは学園長と、この日比谷怜とその関係者たちだけだ。
そう、決定的な人たちが疑問を持っているかどうかなのだ。
「その、九条の親族とかは・・・」
「いねぇよ」
言葉が日比谷によって遮られる。
それもそれ以上有無を言わさぬがごとく、きっぱりと。春樹もその険悪な雰囲気に負けて、それ以上は何も問わなかった。
日比谷も何かを察したのか、政府については問いただすのを止めていた。
思考を展開する。
親族は疑問に思っていないのか、という面において思っていたのは、彼らが心配するか否かの問題ではなく、それを見過ごしているかのごとく現在の状況が進んでいるからだ。
実際親族がいないのであればその可能性は否定されてしまうが、それでもおかしい。
仮に学園長が親族だとする。当然親は子がいなくなれば心配し、のた打ち回ってでも探し出すだろう。そこに親としての愛情があればだが。
事実学園長の口ぶりからして、九条をこちらに引き渡すことを小さく拒否していたように、九条に対しては最悪同情までは抱いているはず。
しかし、現在のこの捜査状況はどうだ。子供に捜索を任せ、自分は学園の仕事に勤しんでいる。
やはり・・・・・・。
と、ここまで考えた瞬間、日比谷が考えに耽っていたのを見通してか春樹の服を掴んで立ち止まらせた。
「おい、あれ」
春樹の横から指が伸び、前方を指す。
その指をたどって、見る。
まず暗闇の中から確認できたのが学園服。どこの部署かは知らないが、中央大学園施設の制服ではない。だが、買ってから一度もアイロンなどかけていないとも思わせるほど皺が出来ていた。
そして次に性別。制服から見るに男子生徒だ。だが、それは服装を見なければ分からないほどやつれている。
その生徒を見て、春樹は表情を苦にする。
生徒の足取りが不自然すぎた。二日酔いしたオヤジのようにおぼつかない。だがまだそちらのほうが良かっただろう。生徒の足取りはさらに酷く、撃たれても死なないゾンビのようにゆっくりと、ねっとりと地に足を着きゆらゆらと彷徨っていた。
何よりその男子生徒は、狐の仮面をつけていた。
「う・・・クす・・く・す・・い」
うわごとのように何かをつぶやいているが、理解できない。
だが件の仮面の人間で無いことは確実だろう。
その男子生徒に日比谷が近寄る。
「お、お前大丈夫かよ。ちょっと待ってろ」
日比谷はポケットに手を突っ込み、何かを探るがそれが無かったのか、唇を噛んで、しまったという顔をする。
何を思ったのか、その男子生徒を背負い春樹の元へやってくる。
「こいつを病院施設へ連れて行く。手伝ってくれ」
正直お断りしたいところだった。男子生徒は依然として奇妙な笑い声にも聞こえる声を出している。
『く・・・い・・り・・す・・り』
先ほどから同じことをぶつぶつとつぶやいているが、やはり何を伝えたいのか全く理解できなかった。
理解できるのは、この男子生徒が普通ではないことだ。そして、日比谷は少なくともこの現状を理解している。
「聞こえてんのか?こいつ結構これでも重・・・」
その時だった。
「ぐがぁぁぁぁぁ!!!」
男子生徒の手が刹那として日比谷の首に伸びる。背負っているため振りほどく手段も無く、手を腰から男子生徒の掴む首に持っていき引き離そうとするが、思った以上に固いのかなかなか離れない。
光景を目の当たりにした春樹は一瞬の判断で拳に力を込める。
「こんのっ!」
春樹の鉄拳が狐の仮面にめり込み、仮面を破壊しつつ男子生徒を吹っ飛ばした。殴った拳はさほど痛くなく、壊れた仮面はプラスチック製だった。
男子生徒は全くその打撃に痛みを覚えていないのか、再びふらふらと立ち上がる。
「日比谷!何なんだアレは!?」
咳き込む日比谷に急かすように問う。
「し、知らねぇよ」
本当かどうか疑ったが、今はそれを問いただす時間は無い。
ナイフを構え、次の相手の一撃に備える。
だが、それは来なかった。
「なっ・・・」
目の前の光景に目を疑った。いや、少なくともこの世の光景には思えなかった。
攻撃が来なかったのではない。その男子生徒自体の存在が消えうせかけている。後ろにいる日比谷すらもその光景に目を見開いた。
さらさらと音を立て、身体が砂になっていっていた。正真正銘、砂である。
まるで出来の良い砂のアートが壊れるように男子生徒の身体が少しずつ崩壊していく。だが元々は人間である。砂ではないのだ。
「なんだよ、これ・・・」
触れることも近づくことも出来ないでいた。わけもわからず身体が硬直している。
そして、男子生徒の全てが砂と化した。残った学生服が残骸になり、その肉体の消失を物語っている。
春樹は勢い良く振り返り、日比谷の襟首を強く引き寄せた。
「何なんだよあれは!?知ってるんだろ?言え!」
その威勢に身を引きながらも、依然として黙秘の態度をとり続ける日比谷。それに春樹は軽く舌打ちし、進んできた道を引き返す。
「おい、どこへ・・・」
遮って言う。
「学園長に直接問いただす。こっちは治安維持機関で、捜索令状も出してんだ。嘘はつかせないからな」
春樹の第六感はその時、確実な何かを捉えていた。
「ま、待てって!」
日比谷が急ぐ春樹の袖を掴んだ。振り払おうかと思ったが、乱暴にするのもどうかと思ったので一度ため息をついてから日比谷を見る。
が、ここで春樹の目が何かを見つけ、脳内に激しく信号を送り始めた。暗闇の中とは言え、捉えた映像はくっきりとし鮮明である。
日比谷の向こう側、狐の仮面を被った人間がこちらを見ている。いや、こちらに気付いたのかそそくさと足早に暗闇の中に逃げていった。
そこからはもはや反射的だった。
「日比谷、追うぞ!!」
「あ?一体何を・・・っておい!」
そのまま二人も漆黒へと色を染めた。