28, ライフの少女(3)
そこについたのは、それからほとんど経っていなかった。
場所は待ち合わせにはそぐわない質素な建物の前。レンガ造りの建物が並ぶ中、その建物だけがステンレスのようなもので出来ていた。
他の場所には学園生が充実したスクールライフを送る中、この場所だけは隔離されたかのような静寂が支配していた。俗に言う裏路地のような所だった。
待ち合わせている男子生徒を目で探したが、まだ見つからない。恐らくまだ到着していないのだろうと思う。学園長が連絡を取ってから春樹がここに向かったのはそう時間が経っていないので、それも許せる。
とりあえずそのステンレスの壁に背をかける。一瞬冷たさを感じたが、気にする程度ではない。
気にするべきなのは九条のことである。
ライフを取り込んでいる少女。自分がそうだったと思うと想像だけでも悪寒が走る。一体どのような生活を送ればよいのか、普通の人間として生きていけるのか、悩むところは無数にありそうな気がする。
そして今回の件。やはり、不遇な立場に生まれてきた人間はいつまでも不遇な人生なのか・・・。
「おい」
物思いに耽っていると、春樹の目の前から声がする。よく今まで気付かなかったものだと自分でも驚いた。
その目の前に立ちはだかった、もといいたのは整髪剤で頭を天に伸びるかのごとくセットしている男、服装からしてこのあたりの学園生。髪の毛も黒い・・・いや、思いっきり茶色に染めていた。だが、染めたような感じがしているのでやはりこのサークルエリアの住民なのは間違いないだろう。
「お前がこの・・・武藤って奴か?」
そう言って、証明写真サイズの顔写真を見せてくる。それを見ると、確かにそれは春樹そのものであった。
が、そんなものを撮った覚えは無いのだが・・・。
「あぁ、するとお前が協力者の人か?九条美香留捜索の」
それに頷く。
彼の名前は日比谷怜と言った。先ほどの学園、言うところの中央大学園施設という場所の生徒らしく、九条美香留とはクラスメイトだと言う。一応確認を取るため協力の書類等を見せてもらい、お互いに確かめ合った。
春樹は物事を穏便に進めるためにも、自分のことは治安維持機関のものだと名乗っておいた。
話は思っていたより円滑に進み、早速九条探しの話になった。
「んで、どうするんだ?俺はこっちの土地勘は皆無に等しいし、九条さんの件についても誘拐されたことくらいしか・・・」
と言おうとしたときだった。日比谷が大きくそれに乗り出してくる。
その表情には疑問と焦燥、そして何かを吹っ切ったようなものが混ざっていた。
「誘拐だぁ!?やっぱそうだったんじゃねぇかよ、クソッ!」
「・・・?」
その様子に顔をしかめる。
このことは知っていたのではなかったのかと、だから協力したのではないかと。だが、当の日比谷は壁を殴りつけて激怒している。
またその顔をしかめている春樹を見て、日比谷が言う。依然として怒の感情は消えないようだ。
「あぁ、誤解してるみたいだがな、こっちに与えられた情報は美香・・・九条が家出したってことだ。まぁ消え方が普通じゃなかったから誘拐って目測はついていたがな、あのクソ学園長が」
恐らく学園内の混乱を避けるためなのであろうが、こういった仕事をする前なのだから本当のことを話しておいてほしかったと思う。本当のことと言っても確信が持てたわけではなく、あくまで最も有力な推測に過ぎないのだが。
しかし怒っていたところで何も始まらないので話を進めることにする。
「ま、まぁとりあえずだ。これからどうするんだ?九条さんの居場所の目処とかは?」
一度殴った拳を下げ、痛みがあったのかさすりながら答える。
「来な。情報課に仲間がいんだ。そいつに色々と調べてもらってんだ」
「情報課?そういうのって本来・・・そうだな、機械的な仕事とか、経済的なものを勉強するとこじゃねぇの?そんな探偵みたいなことやるのか?」
「そういった情報にも長けてんだよ。それに、そいつの推測ではさっきお前が言ったとおり誘拐の線が一番有力だとも言ってたしな」
そう日比谷は言うものの、やはり何かがおかしい。治安維持機関に関わっている信一から聞いた話によれば治安維持機関の中にも様々な職があり、その中に確か情報課というところがあったはずである。
信一自体が所属しているのは『警務課』という部署で、主にパトロールなどの警備関係を扱っている場所だ。
そして『情報課』は、名前の通り外部と内部からの情報を管理するところだ。
この学園の情報課というのも同じであるならば、恐らくそのような探偵のような仕事はそれこそ警務課のような部署だと思うのだった。
「いやな、俺が軽ーくこう、拳を固めて優しく頼み込んでやったのさ。ったく、奴らも頑固一徹でなかなか承諾しやがらねぇからだっての」
つまり言うところ、半脅しである。
「まぁ状況が状況だからな。そんくらいのことは妥協か。・・・あ、そうだ。ちょいと厚かましいようで悪いが、色々と質問させてもらうぞ」
「情報課そんなに遠くねぇから早めにな」
日比谷は特に拒みはせず、勝手に歩を進め始めたがそれに付いて行きながら質問する。
「とりあえずええと、名前と立場的なものはさっき聞いたからいいとして・・・」
質問すると言ったものの、思い浮かばない。
同じ九条探しの一人として最低限の性格、行動原理、実力などを知っておきたかったが質問でどうにかなるものでもない。心理学者ならばいくつかの質問で分かってしまうのだろうが、無論そんな力は春樹にはない。
「んだよ、ねぇならねぇでいいじゃねぇか」
「いや待て。何かあるはず」
と考えていたところ、ふとあることが思い浮かんだ。
「そうだ、日比谷、お前確かこの事件の協力に自ら志願してたって聞いたんだけど、何で?」
するとその質問に大きく動揺する日比谷。何故か顔を赤くし悪い意味の汗をダラダラと流しながら機械的な動きで春樹を見る。
「そ、そ、そりゃぁひと、そう、人助けだ」
全く持って狼狽が全面にあふれ出ている。
春樹も馬鹿では無いし、この質問をしたのもある種の悪戯である。言わずもがな、何らかしらの関係はある。
「なんつーか、シャイだなお前」
「うるせぇ。初対面のクセして馴れ馴れしいなお前よ」
「気にするな。売りでもある」
これで認めたようなものだ。
一番最初、日比谷が九条のことを美香留と呼ぼうとして止めた。女性のことを男性が名前で呼ぶことは、普通の中では極稀である。そして、仲が良かったとしても特別な関係でなければ良い直す必要などありはしない。
推測することなど容易いものだと思った。
「九条はな、単なる友達だ」
そう言う日比谷の表情は沈んでいた。嘘ではないのだろうと思う。恐らく一方的なものか。
日比谷は歩を止めることなく話し続ける。
「そうだな、別になんら関係がねぇってわけじゃねぇ。強いて言うなら、俺を暗い沼の底から引きずり出してくれたのが、あいつだったってことだけだ」
なんというか、踏み入ってはいけないような気がしてそれ以上は問いださなかったし、日比谷のほうから話すことも無かった。
読める。妙に頭の後ろ側が冷たくなったような気がする。
彼は何らかの問題を引き起こしていた。それは恐らく周りの人から見てあまり良いものではなかったのだろう。そしてある日、九条が日比谷に関わりを持った。
日比谷は孤立していたのだろう。話していて思ったが日比谷は人間関係は不器用なものに思える。外見、口調から怒りっぽいと思われがちであろう。そんな荒れた荒野に生えた一輪の花。それが九条。
しかし足りない。過去にまだ何かがあるような・・・。
「・・・ッ!?」
驚愕する。
何にか。自分にだった。
一体何を考えていた?人の心情、過去を推測するような、いやもっと大きい。読心術のような頭の流れ。無意識の状態でそんなことを考えていたのか。
勿論春樹にはそんなことをする癖も無いし、力も無い。なら一体何故今になって?
・・・・・・。
自らに驚いたとするならば、それは自分の知らない自分。一度も表に出したことの無い内面、ジョハリの窓で言う未知の窓。
しかし何をきっかけとし・・・。
(ッ!?また、今度は他人じゃなくて自分を計ってるのか・・・?)
今の思考の仕方は自分ではないと間違いなく断言できる。
確かに春樹は物事の流れを読み、それに対する思考を展開するのが不思議と苦手ではなかった。だがそれは『予想』であり『読む』とは全く違うものである。
そう、何かに基づいた確信のようなものも得ている。
「どうした?」
知らぬ間に長い間そうしていたのであろう、日比谷が気にかけてくる。
春樹はその声に呼び戻されたがごとく思考を停止して、作ったような表情で問題ない、と言った。
この意識が飛ぶような感覚。以前どこかで体験したような気がするが、思い出せないので放置しておくことにした。
「そんなお前の思うような変な関係じゃねぇぞ。ホントにそれだけだからな?」
関係のほうを疑問に思っていると思ったのか、そんなことを言ってくる。
それに微笑して手を振る。
「違う違う。ちょっと考え事してただけだ。でもまぁ、恩返しみたいなもんだろ?」
「恩返し・・・たぁちょいと違うが、趣旨は同じだな。義理とか人情でやってんじゃねぇんだ。自分の意思で、な」
「つまり恩返しなのは恩返しなんだけど、義務的なものじゃなくてホントにやりたいからやると。まぁ簡単に言えば好意があると」
「あぁ!?何でそこに落ち着くんだよ。だからそんなんじゃねぇって言ってんだろが」
「落ち着け。良く考えろ。義理でやってんじゃないのならそこに何らかの感情が生じているのはもはや見なくても分かるだろ。そんな隠さなくてもバレバレだから止めろ」
「くっ・・・。じゃ、じゃぁお前はどうなんだ?ええ?」
図星とも言える赤面状態を見せながら、あくまで否定し続け反撃するのか、意味の分からない問いを投げかけてくる。その声質などの問題から何故か怒っているようにも聞こえた。これが孤立した原因なのではと思ったりもする。
「その、女の子に優しいことされたら、返してやろうとは思わねぇのかよ」
羞恥に溢れているのかかなり口ごもっている。嫌なら言わなければいいのにとなんだか微笑ましくもある。
春樹はその言葉にちょっと考えてみた。
女の子・・・。優しい・・・。
良く考えてみればそんな状況に出くわしたことが無い。とりあえず優しい行為が何か分からない。
無理に想像してみた。
『ねぇ、お姉さんが優しいことしてあげよっか?』『な、なんだよ優しいことって?』『ふふふ、大丈夫よ。お姉さんに任せてほら』『ちょ、待って。そ、そこは・・・』
ここで一気に現実感が増す。背筋に電撃が走るように何かが流れ、想像が完成する。
『必殺!わき腹こちょこちょアターーーック!!』『ぎゃぁぁっぁぁ!!?」
長い黒髪を靡かせ楽しそうに春樹をいぢる人間。白鳥準の他何者でもなかった。
女性と優しいというワードで過去のこんな出来事がフィードバックされたことに有り得ないほどの失望感を味わいつつ、日比谷を見た。
「お前が羨ましい」
「何でだよ!?今の間に何考えてたお前!?」
「絶望と失望を中継地点とした地獄」
「すげぇ酷い場所だな」
「気にするな。こんなの日常茶飯事だ」
「どんなのか知らねぇが、お前も苦労してんだな」
初対面の人間に同情されなんとなく泣きたくなった。
と、突然日比谷が立ち止まった。
春樹もそれを見て一通り絶望した後、横で立ち止まる。
「ほれ、ついたぞ」
そう言われて、その情報課の人間がいる建物を見る。
「・・・・・・」
先ほどの妄想での落胆は去ったはずなのだが、何故か春樹の心の中にはもやもやとしたものが再び立ち込めていた。
ひとまずその目の前の状況を確認するために、言葉にした。
「・・・ただのボロ屋じゃん」
見た目カイツの家より二回りくらい腐敗した木造の家があった。
ここが調査のスタート地点だと思うと、少々不安になる春樹であった。