19, 恋路と過去(男)
お久しぶりの更新です。
また遅れるかどうかは気分しだいですが、26日から少々忙しくなる予定なので、そこのところはご了承くださいませ。
辺りも暗闇に包まれ、本来ならば鈴虫のさえずりでも聞こえてきそうな夜の時。
夜の森にひっそりとたたずむ一戸の家から、暗闇の影響で映えて見える湯気がもくもくと立ち上がっていた。
春樹たち四人はなんとか狂竜を退けカイツの小屋へと帰ってきたのだ。
現在春樹は大量の返り血を浴びたので、血だらけの服は処分し、カイツの小屋の風呂を貸してもらい入浴中であった。
「しっかしでっかい風呂だなぁ・・・」
入ってみて直後、感嘆の声を漏らさざるを得なかった。
ちょっと計ってみればもしかしたらリビングルームよりも広いかもしれないその木造の風呂は、白い湯気に覆われて今やその全貌を確認することは出来ない。
とりあえず腰にタオルを巻いて、身体の血を流していく。
「んぁぁ。生き返るわぁ」
予想以上に身体に染みる湯が、精神的に春樹を癒していった。
「背中を流そうか?」
「・・・うぉ!?」
素早く振り返ると、カイツが背後で微笑を浮かべながらこちらを見ていた。
頭にお湯をぶっかけて、目を合わせないように急いで湯船に飛び込む。
「ははは。驚かせてしまったか」
湯船から少し火照った顔を出し、相手がカイツだと確認するとため息をついて上半身を出す。
「マジで驚いたって・・・」
「それはすまなかった。ご一緒させてもらっていいか?」
「ん、あぁ」
カイツも湯船へと身体を沈める。巨大な湯船なので、体積の増加で水が溢れ出すこともない。
横から直にカイツの裸体を見ると、おじさんと呼ぶに相応しくない肉体美がそこに存在していた。無駄の無い引き締まった筋肉と、微妙に褐色な肌。ボサボサの髪と髭さえなんとかすれば、かなりのいい男に見えないことも無い。
それに比べて自分は、どこを取ってもお世辞でもなく平均以上程度であろうと思う。
「ところで・・・」
カイツが春樹に視線を向ける。
「正直、どっち狙いだ?」
「・・・はい?」
その不可解な質問に首をかしげる。
それにカイツは不満そうな表情を作り、もう一度言う。
「だから、白鳥君と天宮寺君のどっち狙いだと聞いているんだよ」
「・・・ぶっ!?」
不満そうな表情が今度は弄ぶような微笑に変わっていた。
春樹としてはこんな質問をされるとは予想だにしていなかったらしく、大きく噴出した後火照った顔をさらに赤らめる。と言っても、特に恥ずかしいわけでもない。ただそういう話題にあまり耐性がついていなかった。
何度か深呼吸して、落ち着いた後に春樹が言う。
「準はとりあえず論外として、天宮寺さんを狙ってたとか言ったら沢山の人に恨まれるような気がするから無理だ」
最初の一言を言った瞬間、何か得体の知れない殺気が一瞬感じたような気がしたが、無視しておく。
「そうは言っても君のような年だ。少しは異性に興味があってもいいんじゃないか?」
「無いと言えば嘘になるけど、もはや異性でも無い人間に興味持たないし、天宮寺さんは・・・まぁ、特に意識したことはねぇな」
「そうか?おじさんが君のような年の時は・・・護衛兵だったな」
ジジィめいたことを言うと思えば、ずいぶんと灰色の青春時代を語りだしたものだと春樹は口元をほころばせた。
「ってことは、やっぱ、その、女性経験とかは無いのか?」
こんなことを聞く自分にむしろ嫌気が差してくる。自身女性に興味が無いわけではない。むしろ年相応の興味はあるのだが、暮らしてきた場所が場所なだけあり、経験どころか会話すらしたことはほとんどない。
カイツから見れば、確実にありそうな雰囲気をしているというか、ある人物との関係が非常に気になるところだが、本人からしてみれば有り得ないを通り越して森羅万象にもなり得る事である。
「おじさんはそうだな・・・、杯をともにした女性なら多々いるが、そういった関係まで持ち込んだことは無い。というよりも、護衛兵は私生活が許されない身なのでね」
少し寂しそうな顔をする。
若いときは護衛兵で時間をつぶされ、今では人っ子一人いないこの辺境の地で暮らしている。考えれば非常に同情できる人物であった。
「白鳥君もなかなか良い女性ではないか?どうなんだ?」
それに驚愕とでも言うべき目の見開き方をし、視線を直視するようにカイツに移す。
「おっさん・・・」
「なんだ?」
「俺はそんな感情が微かでもあれば、来世からやり直すことを誓うよ」
言って後悔する。
実際そういった感情が微かどころか血迷うほどにあったからである。
だが気づかないカイツは、疑問に思いつつも、対象をもう一人に変えて質問してみた。
「天宮寺さんは、あれだ、なんか大切な人がいるみたいだしな。対象にしたくない」
「ほう、アイズのことかもしれんな」
アイズという名に先の事を思い出す。
赤髪の男が突如やってきて、王女と王子がどうたらこうたら言って由真を連れて行こうとしたこと。その会話の中にアイズという名前が出てきたのを確かに覚えていた。
「アイズって、どんな奴なんだ?」
ふと思うことを口にしてみる。王子というからには、想像上は美男子だ。しかし由真がかなりの美少女なだけに、それ相応の外見と中身でないとなんとなく嫌な気分になる。
「アイズは聡明な人間だ。何よりも愛する国民のために働き、そして天宮寺君のために尽くそうとする。そういった態度がこの国との友好関係に関わってるのだろうな。外見も美しい金髪碧眼で、女性には大層人気があるそうだ。まぁ、父親があれだったからな」
話を聞く限りでは、非の打ち所はなさそうであった。
むしろ、そこまで愛している由真がいなくなったことを相手の立場から考えれば、可哀想に思えてきたりもする。
「そりゃ、血眼になってでも連れ戻したいと思うわけか・・・」
アイズに返してやりたい感情が沸き起こるも、一つ気にかかることがあった。
やはり、由真が好きなのはアイズでは無さそうだということ。簡単なことである、彼女はその人を救うためにサークルエリアへと侵入してきたのだ。外界の人間であるアイズであるはずがない。
「・・・天宮寺さんに、他に好きな人がいるとは考えられねぇか?」
無駄だと思いつつも聞いてみる。
「そういった噂はここまで流れてこないものでね。考えられるとしたら・・・そうだな、アイズと出会う前、つまり都市化計画の前後に出会った人間となるだろうな」
大きな事件があった時に、王家である由真が恋愛事情に勤しんでいる暇などないと考えれるが、子供の頃だけあって有り得ない話でも無い。
なんだか考えれば考えるほど気の遠くなるような推論の話である。所詮は恋愛事情なのに。
「ま、関係ねぇ話だ」
大きくくつろぐように肩を降ろす。
「はは。そうだね、こんな質問は無難だったか。まぁ、おじさんが話たいのはそんなことでは無い」
突如、表情から微笑が消え、本気の顔になる。
それを察したのか春樹も上半身をまるごと湯船から出し、長期戦に備える。
「少し昔話をしたいのだが、その前に確認しておきたいことがいくつかある。いいか?」
春樹はそれにゆっくりと首の動きで答える。
「まず、このサークルエリアについてどの程度分かっている?無論、歴史の方についてだ」
少し思考を展開してみる。
自分がここに来たのがほぼ10年前であり、それ以前は記憶喪失のようなもので全く覚えていない、というよりも元々無かったかのようにすっぽりと抜けている。
だが10年の間にも大きな変化は多々あった。
その中でも一番大きな事件と言えば、やはり黄金にも話した侵入者との大戦闘。そのせいで今は無き6thエリアの崩壊、さらには軍隊への大きな被害、そしてその後のサークルエリアの動きは大きいものだった。
1stエリアは元々6thエリアであり、元1stエリアが崩壊したために6thが1stになったこと。
そして総合区域管理機構の創立と、外界との外交が始まったのもそれが引き金だった。
その時に信一率いる外界の貴族たちがサークルエリアに住み込み、セキュリティが上昇したこと。
「・・・と、こんなところかな」
一通り自分の知っていることを話すと、カイツがそれにうなるように考え込む。
彼は2ndエリアに幽閉されるような形でいたため、そこまでの事情は把握していなかった。もっとも大戦闘の時はカイツも傭兵として駆り出されたが、前線で戦闘することは皆無だったので敵の正体すら明かされないままの終幕となっていた。
「それでは、おじさんの知っていることを君に教える。君の知らない、都市化されるもっと以前のサークルエリアの話だ」
「何故それを俺に?」
ふと疑問に思ったことを聞いてみる。
「君は政府と対立しようとしている。そこでおじさんがそれに少し役立つまめ知識を与えてやろうということだ」
理解する。
カイツは、思い出に耽るようにして空を眺め、語りだした。
「都市化される前、このサークルエリアは監獄施設だったのは知っているだろう?おじさんはある事件がきっかけで、この監獄施設に叩き込まれることになった。それは、犯罪者を護送しているときにその犯罪者と友好関係に陥り、逃亡の手助けをしてしまったことだ」
それは確かに重罪に値する、と春樹は思う。
以前傭兵をしていた頃に、そういった事件があったが、その手助けした人間は何の遠慮も悠長も無くただ殺された。死刑判決にしても、あまりに呆気ない判決だった。
「あの頃のサークルエリアは、それはもう所詮は監獄施設でしか無いのだから酷い場所だった。今のように草木が生い茂っているところなど微塵も無かった。今このようになっているのは観光目的と聞いたが、恐らくは植物で何かを実験するためだろう」
「それはどうしてそう思うんだ?」
春樹が口をはさむ。
話を止められたのを不快に思いつつも、春樹の質問に答える。
「この2ndエリアはどういうわけか、温度湿度に関わらず様々な植物が生息している。それに、時々白衣を着た人間が出入りするものでね」
納得する。
最初に入ったときに気づいてはいたが、主に熱帯植物が生息していると思いきや所々にそれ以外の植物を見かける。針葉樹などはまさにそれであった。
ライフ採集をしようとしたときも、周りの植物はやはり別物であった。
「そしてだな、そんなある日に一人の男がここに訪問してきた」
瞬間、カイツの表情が曇る。
続けてカイツは口をゆっくりと開いた。
「三大貴族の神堂という男だ。それも、親子での登場だ」
その名に聞き覚えは無い。だが、確かに外界の三大貴族というのに神堂という名前が入っていたようなことを習った気がした。ちなみに、三大貴族はサークルエリアが都市化されたのを計画し、実行した人たちのことである。そしてその貴族たちは自らはサークルエリアには入らなかったという。
「サークルエリア都市化計画については、どの程度知っている?」
「・・・いや、俺は生憎と記憶喪失みたいなもんでさ、いつの間にやらサークルエリアで生活してたんだよ」
それに納得したようにうなり、横目で春樹を見る。
「コードネーム『四季』の暴走事件を知っているか?」
―――ズキン。
何か胸の奥に潜んでいるものが疼きだすように、急に頭が痛み始めた。
だが無視して、なるべく表情に出さないようにしてカイツの質問に首を横に振る。
「『四季』というのは、四人の実験被害者のことだ。あの頃外界では戦争が絶えず行われていたため、人体の強化実験というのはどこの国でもやっていることだった。当然この国も王家天宮寺の監修の元に行われていた」
天宮寺、という名前に少し反応する。
この家系も三大貴族であり、サークルエリア都市化後も外界に残ったという。由真がそんな中に生きてきたことを思うと、少しかわいそうに思えてきた。
カイツの話は続く。
「最初、まず人体強化された人間を作り出すことに成功した。身体に無数の式を刻み込み、科学の力によってそれを完全に身体に馴染ませることが出来たのだ。その子供に新たな時代の幕開けの象徴として『春』と名づける」
ここで何故その実験被害者が『四季』と呼ばれた事となったかがなんとなく予想がつく。
頭痛が、とにかく激しくなっていく。
「次にそれで終わりにならないように、クローン技術を駆使してその人間を複製することに成功する。さらに、製作者側の気まぐれで女性体に変化させることに成功。名は予想がつくかと思うが、『夏』と名づけられる」
もはや科学の力に不可能は無いのではないだろうかと春樹は思えてくる。
だんだんとのぼせてきたのか分からないが、意識がボーっとしてくる。だが、カイツの話はそんな春樹を横目に続いた。
「次に、その女性体の方がオリジナルよりも優れた性能を持っていたため、そこからさらに人体を強化したクローンを作る。名は『秋』」
―――ズキン。
そろそろ尋常じゃない痛みに変わり、春樹はもはやカイツの話など耳に入れる余地が無くなってきた。同時に以前病院で感じた左目の痛みが、数倍にもなって襲い掛かる。目を押さえつけ痛みを堪える。
「そして最後に、男性体のほうが身体能力の限界値が高いことに気づき、『秋』と『春』をベースとした最強の人体が生成される。それが、『冬』だ。・・・・・・おい?」
さすがに春樹の異常に気がついたのか、春樹の肩にそっと触れる。が、春樹は恐ろしい形相でそれを払いのけた。
「・・・武藤君、一体その目はどうした?」
カイツが驚いたのは春樹に払われた事ではない。春樹の目が、充血とは言いがたいくらいに赤みを増していた。いや、既に黒目すらうっすらと赤に染まろうとしているくらいの酷さであるる。
「・・・先に出ていいか」
「・・・・・・かまわんが、大丈夫か?」
「ちょいとばかし厳しい。少しのぼせたかもしれねぇな」
そう言って、大きく水面を揺らして湯船を出て、そのまま浴室を後にした。
脱衣所で、初めて春樹は自分の異常に気づく。
―――水が、怖い。