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天使のお気に入り

作者: 針狸
掲載日:2026/05/19

 運命の鐘の音って、聞いたことがあるだろうか。


 それは恋に落ちる人々が稀に聞けるらしい、素晴らしい音なんだそうだ。神様がいるとしたら粋なものを作ったものだ。そして、その神様にひとつ聞いてみたい。



 なぜ私の中にソレを設置したのか、と。



 その素晴らしい音は「リィーンゴーン」という重々しい音で私の頭に鳴り響く。自分の恋であれば確かに素晴らしい音に聞こえるのかもしれない。けれど誰彼構わず、誰かが恋に落ちるたびに鳴らされるのであれば煩いとしかいえない。生理痛で頭が痛くても風邪で頭が痛くても頭に響く鐘の音。


 リィーンゴーン――。


 ほら、また誰かが恋に落ちた。

 目線を彷徨わせると隣のクラスの男子がある女の子を見ていた。あぁ、あの子だな。一目惚れだろうか。私の鐘が鳴るのは恋に落ちた瞬間だ。


 でも残念。


 あの子はこの間別の男の子に鐘を鳴らした。成就しようがしまいが鐘は鳴る。

 まるで恋は素晴らしいと言わんばかりに……。


「なに難しい顔してるんだ?」

「武文」


 この男は中学からの腐れ縁だ。

 鐘の音が恋に反応しているのだと気付いたのは中学校の時。多感なこの男がたくさんの女の子に愛を振りまいていた頃。鐘が鳴る度にあの娘いいなぁとこいつが洩らすのだから、気付いてしまったのだ。

 心の中では鐘の音メイカー1号と呼んでいる。


「なぁ、今日は部活あるんだろ?」

「そういえばそうだね」

「うー、寒いしやだなー」


 柔道部の格技場は寒い。なぜなら北側にあるから。校舎に遮られて日が当たらないのだ。


「いや、武文は帰れば? 部外者なんだし」

「格技場が一番よく見えるんだ!」


 何をだよ、とは言わない。

 テニスコートだ。女子テニスを見るためだけに親切面して格技場に来ているのだこいつは。ちなみにそんなこいつの女子の評価は……最高なのである。なぜかというと、そこが私たち柔道部の格技場だからだ。


「柔道部の女子は汚くて臭くて辛いが、俺にはそれよりも大きなものがあるんだ!」

「最低だ」


 なお、この男が私含め女子柔道部に鐘を鳴らしたことは一度もない。


「じゃあ私はなんなわけ?」

「お前は別格だからなぁ。まず匂いが違うし」


 毎度のことながら、この理由が一番わからない。


「ほんとに良い匂いだよなぁ、お前」

「人を芳香剤みたいに言わないでくれる?」


 私だって友達がいないわけじゃない。ちょっと少ないけど……。その少ない友人たちからの私の評価がこれだ。


 良い匂いがする。


 香水も何も使ってないんだけど……。自分で嗅いでみてもやっぱりわからない。


「じゃ、放課後はよろしくー」

「一度豆腐の角にでも頭をぶつければいいのに」

「優しいかと思ったけどよく考えれば気持ち悪いしやっぱりひどいな」

「回りくどい」


 丸めた教科書でぽこりと頭を叩くと、大人しく自分の席へ戻っていった。ぼんやりと肘をついて眺める。武文の隣の席の女の子が、武文にプリントを渡した。


 リィーンゴーン――。


 おい。


 部活が終わると、更衣室は異常に汗臭くなる。普段からひどい匂いだけれどもっとひどいのだ。


「おぅふ……」


 掃除が終わって更衣室に入るとムッとする匂いが顔を包み込む。


「お疲れー」

「まったくだ」

「当番なんだから文句言わないでよ」


 待っていてくれた友人は、既に着替え終わっていた。


「玉緒は外で待っててくれても良かったのに」

「それより早くしないと武文くん来ちゃうよ」

「おっと」


 慌てて道着を脱ぐ。下に着ていた体操服も汗でどろどろだ。これでも私自身は汗臭いとはめったに言われないんだから有り難いといえば有り難い。振り向いて頬杖をついている玉緒に声をかける。


「武文が入ってこないように外で待っててよ」

「はーい」


 口実である。

 玉緒は前に武文と一緒にいるときに鐘を鳴らしていた。あれのどこにいいところがあったかは知らないけど。玉緒は良い奴、だと思う。元々は部活が同じってだけでクラスも違うけれど、面倒見はいいしノリもいいし気さくに話せる。柔道部の中でも顔はいいほうだ。

 むしろ武文にはもったいない。


 が、それはそれ。


 友人の恋は応援してやるもんだとかの少女漫画は言っていた。着替え終わっても少しばかりドアを開けない。あの二人が二人きりになれる時間なんて私を待つこの時ぐらいなのだから。


『ねぇ、まだー?』

「まだー!」


 武文はまだ来ないのだろうか。あまり待たせるのも変だしなぁ。今日は諦めようか。ドアを開けると更衣室の前にはやっぱり玉緒しかいなかった。


「遅いよ~」

「ごめんごめん」

「武文君なら帰っちゃったよ」

「あれ、そうなの?」


 珍しい。来ると言ったら来るやつなのだけど。緊急の用事でも入ったんだろうか。


「帰ろ。途中でアイス買っていこうよ」

「うん」


 玉緒から制汗剤の匂いがする。張り切ったんだろうな。力になれなくて申し訳なくて、私で良ければ精一杯優しくしてやろうって思う。

 靴紐がほどけたと言って玉緒がしゃがもうとしたから側に寄って玉緒の荷物を持った。


 リィーンゴーン――。


 うん?


「ありがと」

「うん」


 近くの家で誰かがまた恋に落ちたみたいだ。立ち上がる玉緒の手を取って荷物を返す。コンビニの前でアイスを頬張ったらまた鐘の音。

 最近は武文のそばに居なくてもよく鳴るなぁ。


 * * *


 鐘の音は日に日に激しさを増していた。

 まるで武文が二人いるみたいだ。


「おーっす! ……お前、日に日にやつれてないか?」

「……ぉぅ」


 半分はお前のせいだと言いたいところだけど、武文自身は変わっていないからなんとも言えない。むしろ武文みたいなやつがいるんじゃないか近くに。

 考えられるのは部活の友達。

 でも私達女子柔道部には出会いがない。気が多い子がいたとしても鳴らす相手がいないのだ。恋に落ちるたびに鳴る、という定義がそもそも間違っているんだろうか。もしかして私はただの病気なのか。考えてもわからないことばかりだ。


「よくわからんが、俺は今日も格技場に遊びに行ってもいいのか」

「お前は本当に心配してくれているのか?」

「おう! してるしてる!」


 嘘つけ!

 調子のいい武文を殴りつけて机に突っ伏する。あぁ、今日の部活も掃除当番だ。もはや持病のようなものだからサボるわけにもいかない。今日は近くにその人がいないことを祈るしかなかった。




 いつもよりゆっくりと掃除を終わらせて、更衣室のドアを開けた。

 先に帰ってもらったはずの玉緒がいつもの位置で待っていた。


「お疲れ、今日は本当に時間かかったね」

「あれ!? 先帰ったと思ってた」

「別に用事があるわけでもないし……」


 そうは言っても下校時間ギリギリだ。相当な時間待っていてくれたんだろう。


「ごめん」

「いいよ、約束してたわけでもないし、体調悪いって知ってたし」


 いいから早く着替えなよって言われて渋々着替えだす。勢い良く体操服を脱ぐと、また鐘の音がした。……武文がいるんだろうか。


「玉緒、また武文が来ないように外で待っててもらっていい?」

「武文君ならもう帰ったよ」


 え。

 じゃあ今の鐘の音はなんだ?


「え、帰ったの?」

「うん、どうせまた着替えるのに時間かかるんでしょ?」


 そばで待ってるって言われてぐらつく。

 あれ?

 外にはほとんど人が居なくて、近くのテニス場も静かだったと思う。少なくとも耳に入る音は玉緒がちょっと動いたりするそんな音だけ。何を見ているわけでもなく、ただ待ってくれている。


「時間かかるからって武文だけ帰ったの?」

「そうだよ。……え、なんかまずかった?」


 まずいっていうか、そうでなく。私でなくて。好きな男の子が帰ったにも関わらず私を待つって。


「えっと、もしかして私、邪魔してた?」

「なんの?」

「た、武文君と帰りたかった、とか?」


 いやそれは気持ち悪い。仲はいいけど無理してまで一緒にいるほどのものでは……。というかそれは玉緒の方じゃないの。


「まさか」

「だ、だよね!」

「武文と帰るよりは玉緒と一緒にいるほうが楽しいし」


 本心で、でも意味のある言葉じゃなかった。ただそのとき思ったことを言っただけだ。

 それなのに。



 リィーンゴーン――。



 なんで今、鐘が鳴るの。

 良かったと呟く玉緒。

 なるべく急いで着替えを終えて玉緒に向き直る。


「玉緒さ、思ってたんだけど」

「なに?」

「なんでいつも私のこと待ってくれるの?」


 確かめてどうするっていうの。今ここにいるのは、私と玉緒だけ。警備員の人や先生も廊下をもう見回り始めているかもしれない。鐘の音の範囲が私にはわからない。


「なんでって、別に大した意味もないけど」

「大した意味もないのに、こんな時間まで?」


 玉緒は落ち着きがない様子で目線を逸らしては別にと漏らす。


「暇だし、私も一緒にいると楽しいし」

「それだけ?」

「……他になにがあるの」


 いいから帰ろうよと私の手を引っ張る玉緒。先回りして後ろ手にドアを抑えた。真正面20センチしかない距離に玉緒の顔がある。鐘の音を信じてどうするの。もし違っていたら、ただの勘違いだったら。カマのかけ方なんて知らないから、問い詰めることしかできない。


「玉緒が他の人と一緒に帰るの見たことないんだけど」

「そりゃあ、時間の都合とか、色々。……どうしたの、なんか今日変だよ。もう帰ろう?」

「変なのは玉緒のほうだよ」


 いつも着替えが遅くても待ってくれている癖に。遅くなるだろうからって武文を先に帰してまで残ってくれている癖に。自惚れじゃなければ、きっと。


「私、玉緒は武文のことが好きなんだと思ってた」

「なんっ、何言ってんの!?」

「だから余計なお世話だって思いつつ、ゆっくり着替えて時間を作ったりしてた」


 前に武文に鐘を鳴らしていたと思ったのは、そのとき私と武文と玉緒しかいなかったからだ。


「武文君のことは別に……」

「じゃあ」


 握った手を離して真っ直ぐに目を見る。



「私の事が好きなの?」



 鳴らない鐘。

 目を見開いて固まる玉緒。……ちがった、かも。


「そんなわけないじゃん!」


 だ、だよね。何を自惚れていたんだ私は。


「真剣な顔して何言うかと思ったら」

「ごめん」

「いいよ、別に」


 なんだか居た堪れなくてドアから身体を退ける。玉緒はなぜか動かないまま。俯いてしまっているから顔が見えない。いつも見上げてくれるから、こんなのは初めて見る気がする。


「玉緒?」


 側に寄って、覗きこもうとしてやめた。見られたくないから下げてるんだよね。黙って待っているだけなのに、鐘の音がする。

 本当に玉緒じゃないの?


「なんでそう思ったの?」


 鐘の音がするから、なんて言い訳はできない。なんとも言えなくて考え込む。


「なんとなく、かな」

「私、そんなにおかしかったかな」


 どうフォローしたらいいんだろう。私が考え無しで変なことを聞いたから玉緒を悩ませている。


「……もしかして、本当は待ってるの気持ち悪かった?」


 それに関してだけは即答できる。


「そんなわけない。さっきも言ったけど、玉緒と一緒にいるの楽しいし、むしろ待ってくれてるからいつも嬉しいんだよ」


 本当のことだ。私はもしかして武文のついでだってことが嫌だったのかもしれない。鐘の音のせいにして確かめたかったんだ。

 玉緒が待ってくれていたのは自分だって。


「私、たぶん玉緒のこと好きなんだと思う」

「え」


 小さな嫉妬みたいなもの。部活仲間っていう括りしかなくてなにか優越感みたいなものが欲しかったんだと思う。特別な友達に、なりたかった。


 リィーンゴーン――。


 ってなんで今鳴った!?

 友達としての好きでも鳴るわけ!?

 え、じゃあ今のって私が原因?


「ひ、ひどいよ」


 玉緒の手は拳になっていて、声は震えていた。ひどいって何がだろうって思ったところで気付いた。私、もしかして言葉が足らなかったんじゃない?

 玉緒にとったら突然告白された感じ?


「ま、玉緒、ちょっと待って今のは」

「なんでそんなこと言うの……」


 私の声はもう玉緒に届いてないみたいだ。ボタボタと音がしてそれが涙が落ちている音だって初めて気付いた。拭おうとしたら首を振られた。

 お、おぅ、これ私が気持ち悪いってことか。


「私は必死で否定してきたのに、ちゃんと我慢してきたのに」


 鐘の音が大きく鳴り響く。普段のものと違ってガラガラと連続で。これじゃあ素晴らしい音というより警鐘みたいだ。

 玉緒の真っ赤な目が私を睨みつけた。


「恋じゃないって、女の子同士でおかしいって、何度も何度も否定してきたのに」


 手を濡らす涙がもういっぱいいっぱいだ。拭いきれなくて地面に落ち続けている。


「そのたびにまた好きって思わせるの、やめてよぉ」


 鐘の音の犯人はきっと、やっぱり、玉緒だ。否定するたびに恋に落ちて、そのたびに鐘は鳴る。揺れる心が鐘を揺らす。

 私が玉緒にしてあげられることってなんだろう。あんまり痛々しい顔をするからわからなくなる。私はどうしたかったんだろう。鐘の音の犯人を突き止めて、ときめかないで下さいなんて言えないのに。


「どうせ今のだって、同じ好きじゃないってわかるもん」


 私は私自身が鐘を鳴らす音を聞いたことがない。武文を見ていると嫌気が差す。恋は面倒で滅多に成就しなくてつらいものばかり。鐘の音をきくたびに嫌な恋をいっぱい見てきた。だから私は恋なんてしたくなかった。鐘が鳴るより早く諦めていた。


「叶いっこないって」

 叶わないって。


「わかってたもん」

 わかっていたから。


 私は、例えば神様じゃなければキューピッドでもない。誰かの恋を応援するなんて実際はとてもおこがましいことだ。それでも身近な玉緒だけでも幸せになってほしかった。同情なんかで受け入れるのは失礼だし、けどだからといって諦められるほど単純な性格じゃない。

 この気持ちは一体なんだろう?


 質問をしたとき、確かに期待をしていた。

 なんで?


「困ったなぁ」

 困ったなぁ。



「それでも好き」



 リィーンゴーン――。


 鐘が鳴る。

 今まで聞いたことない大きさで。はっきりとわかるその音が心臓に鳴り響く。突き動かされた血液が凄い音で巡る。遠ければ遠いほど小さく、近ければ近いほど大きい。

 きっとこれ以上大きな音はこの先鳴ることはないだろう。


「ごめん」


 玉緒が謝る必要はない。問い詰めたのは私なんだから。


「好きの意味なんて、わからないけど」


 カラカラになった喉をなんとか動かす。少なくとも泣かせるために聞いたわけじゃない。



「たぶん玉緒に負けないぐらい玉緒のことが好きだよ」



 自分のために鳴り続けている鐘の音。

 一際大きく、一際長く。

 中心にある私の鐘が止まってくれない。あぁでもこれじゃあ玉緒の気持ちもわからない。自分の音が周りを飲み込んでいく。まだ止まらない涙。

 手を伸ばしても今度は振り払われなかった。ポケットから出したハンカチを目元に押し付ける。涙でぐしゃぐしゃな顔が可愛い。一緒に居たい気持ちは元々のもの。


「玉緒、えっと、抱きしめてもいいですか」


 そうしたくなったから。涙で赤くなっていた顔が、ゆでダコみたいになる。どんどん赤くなって元に戻らなくなりそうだ。私もたぶん、赤い。

 恥ずかしくて返事を待てずに一歩詰め寄ると、玉緒の身体が一歩下がる。


「わ、ま、待って、私部活が終わったあとで汗臭いから」

「お互い様でしょ」

「全然お互い様じゃないよっ、う、うわ」


 足をとられた玉緒が尻もちをついた。どすんと音が響いたせいで、外からばたばたと足音が聞こえてきた。 しまった、下校時間過ぎてたんだっけ。

 警備員さんに校舎を追い出されて気まずい空気が流れる。鳴りっ放しだった鐘の音はやっと静かになってくれた。なんとなく遅くなる足をゆっくりゆっくり前に出す。玉緒の顔は赤いまま。ただ好きだと伝えあっただけのよくわからない状態。もやもやとはするけれど嫌な気持ちではない。


「あ、あのさ」


 意を決して立ち止まる玉緒。手は握り拳だ。


「まだよくわかってないんだけど、そっちの好きって、付き合ってって言ったら付き合ってくれる好きなの?」


 心無しかところどころ小さな声になっている。好きの部分をもにょもにょと誤魔化す。私が玉緒から付き合ってほしいと言われたらどうするか。真面目に考えれば本当はお断りするべきなんだろう。わからない好きで応えるのは失礼だ。

 でも今の私には変な確信というか自信があった。

 あんなに鬱陶しかった音が安心に繋がっていく。今は鳴っていないけれどきっとこの先、玉緒といると二倍響くのだろう。

 玉緒の分、それから私の分。

 二人の間で何度も何度も打ち鳴らされるであろう鐘の音。


「そうだよ」

「か、簡単に言うなぁ」

「だってさ」


 いつでも隣にいて欲しいし、私以外の人を待たないでほしい。なるべく待たせないように努力はするけれど。つまりは玉緒の特別でいたい。

 それって好きってことじゃないのかな。もしかするとあの鐘は鈍感な私のために設置されたのかもしれない。かわいい恋心を見逃さないように。


「コンビニ寄ってアイス食べて帰ろうよ」

「えっ、続きは? 『だってさ』の続きは?」

「いいからいいから」


 手をとって進路を変えると、また音がした。



 リィーンゴーン――。



 今回だけは祝福の音に聴こえた。


Pixivにて2015年5月16日に公開した物です。

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