正しい政略結婚
昔、貴族社会では政略結婚が当たり前だった。
しかし時代が進んだ今、恋愛結婚を望む者も増えている。
……とはいえ、すべてがそう上手くいくわけではない。
私、侯爵家の一人娘・エレナの家もまた、政略結婚の渦中にあった。
父が営む海洋貿易は王国内でも一、二を争う規模だったが、干ばつによる不作で領地は深刻な打撃を受けた。
領民の冬の糧を確保するため、家で一番大きな船を使って食料を買い付けたが──その船は嵐に遭って沈み、帰らぬままとなった。
多額の損失。領民の生活。
侯爵家は、一気に窮地へ追い込まれた。
その時、手を差し伸べてくれたのが伯爵家だった。
造船費と食料費を肩代わりする代わりに、伯爵家次男との婚約と人脈の提供を求めてきたのだ。
結婚は1年後という準備期間の少ない婚約。だが断れる状況ではなかった。
──あれが一ヶ月前のこと。
学園の噴水前。
私は、婚約者である伯爵家次男・レオナードが、子爵令嬢リリアを肩に抱き、笑い合っている姿を見てしまった。
咄嗟に垣根の影に身を隠す。
聞こえてくる笑い声と、私の悪口。
「恋愛結婚がしたかった」「頭でっかちでつまらない女」
リリアもまた、自身の婚約者を悪く言い、二人で楽しげに笑っていた。
「……っ」
私のため息と、もう一つのため息が重なった。
振り向けば、そこには同じく影に隠れていた青年が立っていた。
お互いに状況を理解し、場所を移すことにする。
学園の庭園。
人一人分あけて並んで腰掛けると、青年──男爵家次男ハロルドが静かに口を開いた。
「私は……先ほどの、子爵令嬢の婚約者です」
顔色は悪く、声には苦悩が滲んでいた。
ハロルドの家は農業が盛んで、子爵家から穀物を安く卸してほしいと依頼があったらしい。
代わりに山脈の鉱石を男爵家が買い取る。
その結びつきを強めるため、リリアは婿を取る予定だった、と。
私も自分の状況を語り、互いに沈黙が落ちる。
「……婚約を続けても、私たち四人は誰も幸せになりませんね」
「……ええ。でも婚約解消すれば、貴女の家は……」
「……いっそ、婚約者を入れ替えることができれば良いのにね」
その言葉にハロルドは目を見開き、輝かせた。
「……それだ!」
そこから私たちの戦いが始まった。
卒業式の夜。
卒業生とその親が集う夜会には絶対のルールがある。
──伴侶として連れて入れるのは婚約者か家族のみ。
私はハロルドにエスコートされ、会場に入った。
この一年、共に戦ってきた戦友でもある彼が、そっと手を握りしめる。
「大丈夫ですよ」
胸の奥に、穏やかで温かいものが広がった。
だが、会場に入った直後──
「エレナ」
声をかけてきたのは、レオナードだった。
リリアをエスコートしている。
そしてリリアは、レオナードに見えないように私へ嘲笑を向けていた。
「お前は俺の婚約者にふさわしくない。
頭でっかちで男を立てることもできない。
しかも、男爵家の次男を隣に? いつのまにたらし込んだんだ。まるで娼婦のようだな」
会場がざわめく。
リリアは涙を浮かべて私に訴えかけた。
「エレナ様には申し訳なく思っておりましたの。
でも、あなたが私の婚約者を奪ったから……苦しんでいる私をレオナード様が慰めてくださって……」
被害者を演じ、私を悪者にしようとしているのが見え見えだった。
どうしようかと周りを見ると、親たちが騒ぎを聞きつけ近づいてきていた。
私とハロルドは視線を交わし──頷く。
「レオナード様。
あなたと私は、すでに婚約を解消しています」
会場が静まり返る。
「同じく、ハロルド様とリリア様も婚約を解消しています。
そして──私とハロルド様、レオナード様とリリア様が新たに婚約を結んでいます」
「そ……そんなはずがない!
お前の家を助けるために我が家は金を貸したんだぞ!」
「それは私が説明しよう」
人混みを抜け、伯爵──レオナードの父が前に出た。
伯爵家は香辛料の輸出を計画しており、そのため侯爵家との繋がりを求めていた。
しかしレオナードがリリアに心を寄せていると聞いたため、伯爵は婚約を一度整理する方向で動いていたのだ。
「調査した結果、実際にお前はリリア嬢と恋仲だと報告をもらった。
それに男爵家からの提案内容を当主会談で吟味し、婚約を見直しても問題ないと結論が出た。
だからこそ新たな婚約を結んだのだ」
「……提案……だと……?」
実は噴水前でレオナードとリリアを見た時にハロルドと話合い提案書を作成した。
婚約相手を変更しても利益が変わらない上に恋愛結婚をしたいというレオナードの希望も叶えてあげられる。
伯爵家と男爵家の長男同士、仲が良いというのも助けになった。
事実を突きつけられ、レオナードの顔はみるみる青ざめていく。
「先の婚約に拘らずとも、男爵家が穀物を子爵家へ卸し、子爵家の鉱石を我が伯爵家が買取る。
そして我が家と男爵家、子爵家の特産品を侯爵家が海洋貿易に回せば、四家は互いに利益を得られる。
だから、好いている者同士を婚約させた。
それだけの話だ」
伯爵の言葉に、レオナードは震える声で叫んだ。
「この俺が……子爵家の婿養子!?
ふざけるな! 俺は侯爵家の当主になる男だ!
エレナとの婚約を解消する気なんてなかった!」
その叫びに、リリアは崩れ落ち、父である子爵に抱えられた。
「おい、エレナ!
俺はお前が好きなんだ!
俺を振り向かせるために、婚約解消なんて演技だろう!?
なぁ、俺を愛してるだろ……!」
狂気じみた目で腕を掴もうと伸ばしてきたその手を──
「おやめください」
ハロルドが強く遮った。
「エレナ様は、あなたに侮辱され、笑われても……皆が幸せになる方法を考えていた方です。
この方の価値は、侯爵家という地位ではありません。
優しさです」
レオナードは言い返せず、伯爵に腕を掴まれ、強制的に連れ出された。
次いで子爵もリリアを支えながら会場に騒がしくしたことを謝罪しこの場を去った。
騒ぎが収まると、周囲の生徒や親たちから「よく頑張った」と励ましの言葉が届いた。
私はハロルドと顔を見合わせ──そっと笑った。
あの日、噴水の前でハロルドに会えて良かった。
あの安心感こそ、私たちの始まりだったのだ。
その後、私とハロルドは無事に結婚した。
四家の協力のもと再開した海洋貿易は大成功し、領地にも再び活気が戻った。
一方レオナードは、領地経営の知識が乏しく、子爵家の運営は行き詰まっているそうだ。
夜会の騒動以来リリアとも不仲になり、次女が婿を迎えるという噂まで立っている。
欲望のために人を貶めた彼は──結局すべてを失った。
「……私は、周りの人を大切にしよう」
自分にそう誓いながら、私は夫にそっと囁く。
「あなた……愛しているわ」
ハロルドは微笑み、私の口にそっとキスを落とした。
「僕も、心からあなたを愛しています」
そして、私のお腹にもそっと唇を寄せる。
私たちの未来は、もう恐れるものなどない。
静かで、確かな幸福がここにある。




