5:そうか、お前は
リビングのソファ周りを先に片づけておいて正解だった。絆賀は三十分もしないうちに眠ってしまい、そこへ寝かせることになるからだ。
必要なものと言うなら、着替えと下着くらいなものか。あとは、教科書のたぐい。
そういえば、学校はどうするべきなのだろうか。ここが校区に属する小学校は知っている。とは言っても、生憎と自分のマンションからでは、バスで駅を経由して電車も使って、合わせて三十分はかかる。小学生にさせていい登下校ではない。
転校……にしては、入学したばかりだ。不可能というわけでもないが、あまりに酷だろう。
引越しにしても同じだ。物件探しに業者への依頼、解約手続きに引越し作業。
ただでさえ環境ががらりと変わっているんだ、しばらくは落ち着く時間が欲しい。
考えることが多い………。
とりあえず片付けに集中しようと手を動かすと、そのぶん、『止まったままの時間』が鮮明になっていく。
壁掛けのカレンダーには、汚い字で『出張(福岡)』、整った字で『夜勤』。期限を過ぎた、アニメ映画のレンタルDVD。冷蔵庫に残ったまま傷んでいた、ちょっと良い牛肉。
動き出す。止まっていた絆賀の両親の時間が、自分の手によって一つずつ確実に、動いては片づけられていく。
「……無念だなあ、他でもない俺なんかに一人息子預けることになって、家の片付けまで。……なぁ?」
柄にもなく、無機物に話しかける。
すでに故人となった元同僚は、家族写真のなかでも仕事中と変わらない笑顔をしていて、もしかしたらこの男はこの顔しかできないのではないかとすら思う。
「ばかづら」
「おかーさん……?」
聞こえた呼称で全てを察した。絆賀が起きた。
目が覚めたら、他の誰でもない自分の家で寝ていたのだ。記憶が混濁するのも無理はない。
「起きたか、絆賀」
「……うん。ごめんなさい」
聞こえなかったふりをして言うと、絆賀も思い出したように少し動きを止める。
「いいよ。体が疲れているんだろう。来る前にも言ったが、無理はするな」
まだ覚醒はしきっていないらしい。ぼんやりと返事をした絆賀に、自分の着替えだけはまとめておくように言うと、その足取りのまま階段に向かった。
食器のたぐいも、分かりやすくサイズの違う三つが重なって保管されている。絆賀のものだと思われる茶碗と汁椀、カップと平皿をいくつか新聞紙で包んだ。
あとは、書類のたぐい。小学校の案内と学童保育の入所案内。保護者確認用の時間割表には、各授業で必要なものが手書きで記入されている。非常にありがたい。
通帳も出てきた。おそらく学資金だろう。絆賀名義のそれには、地方国公立の四年制に通えるだけの金額がすでに入っていた。手書きのメモもしてあり、お年玉にどこからいくら貰ったのかが書いてある。マメな性格な母親だったようだ。
「……? なんだこれ」
書類がまとめてファイリングされたバインダーのなかに、少し目立った普通のノート。開いてみて、少し後悔したと同時に、この家の母親は絶対に頭が良かったと両手を上げそうになる。
だからといって見なかったふりもできない。バインダーと一緒にそのノートも、持って帰る用の段ボール箱に入れた。
「ゆーひさん」
「ん?」
顔を上げると、小型怪獣のぬいぐるみ(そこそこ大きい)を両腕に抱えた絆賀がいた。
なんとなく言いたいことは分かったが、それは自分で許可をもらうことに意義があると思ったので、そのまま「どうした」と訊いてやる。
「あ、あのね……この子、今のおうちに連れてっていい……?」
「ん、よし。いいよ、連れて帰ってやりな」
絆賀はほっと息をつくと「ありがとう」と少し笑った。
…………〟笑った〟?
そういえば、初めて見たような気がする。
そうか、お前は、そんなふうに笑うんだな。
「連れてっていい?」に「連れて帰ってやりな」と返せる大人になりたいです。




