2:とりあえず、連れて帰ることにした
そういうことなら、と、老婆が言った。
「どこのどなたか存じませんが、孫をよろしくおねがいします」
深々と頭を下げる老婆に、『どこのどなたか存じない』男に孫を早々と明け渡せるのかと神経を疑いつつ、特に何も考えずに、母子手帳の場所を問うた。
「お義母さん! 本当に大丈夫なんでしょうね、あんな礼儀もなってない男に預けて」
「だから、そう言うなら貴女が引き取ればいいでしょう」
「それは無理だってさっきも……」
「ほら見なさい、あの男性に感謝しなさいよ。ただでさえ扱いづらい子供だったんだから」
言いたい放題だ。泣き疲れて眠ってしまったとはいえ、子供が聞かないようにと耳を塞いでやる。まあ、あの口論を聞いた後になっては、今更ではあるだろうが。
渡された母子手帳の表紙に、子供の名前が記してあった。
『絆』に『賀ぶ』と書いて『絆賀』と読むらしい。
素直にいい名前だと思って、そう思った自分に驚いた。してやったりな顔をした子供―――絆賀の父親が脳裏に浮かび、少し癪にさわった。
ワクチンは欠けることなく接種記録があり、アレルギーに関しても特記はない。
とりあえず、連れて帰ることにした。
コンビニで握り飯と菓子パンを適当にカゴへ放り込む。少し考えて、カップスープもいくつか投げる。
世間一般で言う子供が飲むような洒落た飲み物は部屋にはない。紙パックのジュースも入れておく。
玄関前で絆賀を起こすと、状況を思い出すのに時間を要したらしく、しばらくぼーっとしていた。
「おりられるか」
うなずいた。
絆賀を一度おろし、帰りに貰った塩を出す。
「前と、後ろと、足元な」
自分と絆賀の足元に塩を撒く。
「…………」
「これは、悪いものを追い払うためのものであって、お前の親父やお袋を追い払うものじゃないからな」
力加減なんて分からないが、気持ち程度に頭を撫でてやる。
部屋は、当たり前だが、朝出てきたときと同じ景色をしていた。よくあるマンションの、よくある1DKだ。
変化は小さな子供だけ。この違和感に、慣れる日は来るのだろうか。
「……今まで住んでいたところに比べると狭いだろうが、これからはここで暮らすことになる。…………今日は疲れたな、よく頑張った。風呂入って、メシ食って寝よう。必要なことは、ぜんぶ明日からだ」
とは言ってみたが、なにぶん絆賀は喋らない。やりづらいったらない。
「分からないことは何でも訊いてくれていい。泣きたくなったら泣けばいいし、笑いたくなったら笑っていい。ただし、俺は、やめてほしいことは『やめてほしい』って言うし、駄目だと思っていることには『駄目だ』って言う。分かったか?」
「………なんでも?」
絆賀が口を開いた。あまり反応を見せずに、「ああ、なんでも」とうなずく。
「じゃあ、………おじさん、お名前なんていうの?」
おじ、……。歳でいうなら彼の父親と大差ないのは確かだが、正面から言われると意外とダメージになるものだ。
そういえば、自己紹介がまだだった。母子手帳を見たおかげで、自分は絆賀の名前を知っているが、当の絆賀は自分の名前すら知らないのであった。
つまりこいつは、名前も知らない『おじさん』の家で暮らすことを選び、ここまで大人しく連れて来られたのである。
頭を抱える自分に対し、絆賀はきょとんと首を傾げた。
「………河中勇飛。呼び方は好きにしろ」
「元木絆賀。もうすぐ七歳」
知ってる。
そのあとも、絆賀は、知っている子供の七割減くらいのテンションだった。メシも食っていたし、風呂も入った。着替えを貰い忘れたので、俺の服の襟を安全ピンで留めて着せたが、それでも随分と大人しかった。
正直、助かった。
「賀」と書いて「よろこぶ」と読むことを初めて知りました。良い漢字ですね。




