第2幕『“向こうの世界”の少年』
ひと心地ついたあと、街の中心通りを目指して歩き出す。
少し人通りが増えてきて、荷車を押す商人や、剣を携えた旅人っぽい人たちがちらほらと行き交っている。
しばらく歩いて、目に入ったのは——
冒険者ギルドの看板だった。
「……うわ、やっぱ本当にあるんだ、こういうの」
ちょっと声が漏れた。
木造の建物は二階建てで、思ったよりこぢんまりしている。
けど、扉の前にはクエスト掲示板っぽいものが立っていて、中からは話し声や笑い声が聞こえてくる。
異世界テンプレ、堂々の登場。
RPGだったら、ここがスタート地点になる場所だ。
けど、ここに来たのは、あくまで情報収集が目的。
ついでに、何か手頃な仕事でもあれば——ちょっとくらい、稼げれば御の字だ。
ルルにまた頼るのは、それがダメだった時でいい。
まずは、自分で動いてみることが先だ。
扉を押して中に入ると、思ったよりも賑やかだった。
奥には受付カウンター、横に掲示板。
木の床は歩くたびにきしみ、壁には古ぼけた地図と、見知らぬ紋章がいくつも飾られている。
「へえ……雰囲気は、めっちゃソレっぽい」
そう思いながら、掲示板に目をやる。
びっしりと貼られた紙——そこに書かれていた文字に、思わず目を凝らした。
「……あれ?」
ひらがな。カタカナ。それに、英単語。
多少は崩れていたり、装飾がついていたりするけど、見覚えのある形だ。
“ぼしゅう”、“きゅうじん”、“ホールスタッフ”……それに、“Room cleaning”、“マニュアルあり”とか。
読める。完全じゃないけど、意味はわかる。
「……いや、ちょっと待て。そういや、さっきの屋台のおじさんも……」
改めて思い返す。
この世界に来てから、ずっと自然に会話していた。
ルルとも、パン屋のおじさんとも。それに、今目の前にいるギルドの人たちも——
ずっと日本語で喋ってた。
「……いまさらだけど…これ、どういうことだ?」
背中のセブンに問いかけるように目をやる。
でも、何も答えない。ただ静かに、そこにあるだけだ。
まあいいや。今それを深掘りしても、たぶん答えは出ない。
それにしても……やっぱり、この世界、どこか変だ。
でも、もう来てしまった。
なら、まずは一歩ずつ——踏みしめるしかない。
掲示板に貼られた紙を、順に目で追っていく。
“食堂ホールスタッフ募集”
“鍛冶場の手伝い 短期歓迎”
“薪割りできる方 経験不問”
“商隊の荷運びスタッフ 要腕力”
……ん?
「……バイト斡旋所だ、これ」
てっきり“スライム退治”とか“遺跡探索”とか、そういうテンプレが並んでるもんだと思ってた。
でも現実は、コンビニの求人ボードとそう変わらない。
「……まあ、そりゃそうか。魔物と戦うのって、普通は命懸けだもんな……」
ちょっとだけ、アテが外れた。
“軽い依頼で経験値稼ぎして、ついでにお金も稼ぐ”——そんな都合のいいスタートダッシュは、ここには無さそうだ。
唯一、それっぽい内容が一つだけあった。
“王国軍・前線維持部隊 臨時兵募集
魔王軍接敵区域につき、危険手当あり”
「……危険手当、ねぇ」
紙の端には、“自前の装備推奨”“支給品に限界あり”の文字。
つまり、来るなら勝手に来い。装備はそっちでどうにかしろってことだ。
さすがに——
いきなり“魔王”の顔を見るような位置に飛び込むのは、あまり賢い選択じゃない。
「……無理。選択肢から除外」
剣はある。けど、状況は違う。
セブンの重さを調整して飛んだり跳ねたりはできるけど、兵士たちと連携して戦うなんて芸当は、今のオレには、たぶんまだ無理だ。
「せめて……もう少し、基礎から積める依頼があればいいんだけどな」
そう思いながら、掲示板の前で腕を組んだそのとき——
「ふむ?」
すぐ後ろから、ひとつの声が降ってきた。
振り向くと、そこにいたのは——
白衣を着た男だった。
くたびれた茶色がかったボサボサ頭。
どこか無精な雰囲気をまといながら、なぜか腰に、魔法アイテムっぽいルーペみたいなのと、水筒を提げている。
そして、なんか態度はやたらと堂々としていた。
「おや、少年。君は、向こうの世界の人間か。……ふむ、なるほど。絶妙な跳ね毛で、手入れしてないのに常にベストコンディション。旅の途中なのに謎の清潔感。嫌味にならない、ほど良いイケメン。
異世界判定、合格だ」
「は?」
「いやいや、いいのだ。君がどうしてここにいるのか、そこに毛ほどの興味もない」
そして当然のように、オレの横をすり抜けて、掲示板に目を向ける。
「うーん……この時期はやはり、募集が偏るな。もっとこう、“丁寧な人間サンプル回収業”とか、“年齢問わず実験協力スタッフ歓迎”とか、そういうのが欲しいのだが。まったく、冒険者ギルドも世知辛い」
「……いや待って待って待って!? 今なんて言った!? 回収? 実験? スタッフ? おいコラ白衣!」
思わず白衣の裾を掴む。
男はちらりとこちらを見て、“はぁ〜……またか”みたいな表情を浮かべた。
「困るな。物理的接触は原則禁止なのだが」
「禁止してる側がうっかり怖いワード連発すんな!」
《相手の精神波形に乱れ。反応速度の遅延と自己陶酔傾向が観測される》
「やめてセブン、変な診断入れるな、オレの味方して!」
男は、オレの抗議なんてどこ吹く風で、袖をパンパンとはたいた。
「まあ、私は寛容なので許そう。キミくらいの歳の子にツッコまれるのには慣れているからな。いや? うむ、むしろ歓迎すべきか。私は父性があるので」
「いや、無いだろ今のどこにも! てか誰だよアンタ!」
「ふむ。名乗りは後回しでよい。名乗ったら“なにそれどこかで聞いたことあるような無いような”とか言われて、結局“名前が覚えづらい”とか文句をつけられるのが目に見えている。ならば名乗るメリットは薄い。よって割愛」
「早口だな!? てか開き直るな!」
《論理の飛躍が甚だしい。サンプルとして異常な言動傾向を示す個体》
「セブン、分析やめろって! こっちが混乱するから!」
白衣の男は、自分がツッコまれてることすら気にしてないのか、ぼそっと呟く。
「……まあ、頑張りたまえ。どのみち、君のような者は、そうとう苦労する運命にある」
「ちょ、待ってそれどういう意味!? 今なんか意味深だったよね!?」
「深いようで、浅い。浅いようで、……まあ浅いな」
そう言い残して、白衣の男はふらりと背を向けた。
オレは、ほんの一瞬だけためらって——
「……いや、待てよ!」
反射的にその背中を追いかけていた。
この世界のこと、オレはまだ何も知らない。
さっきの言い草といい、絶対何か知ってるタイプのやつだ。
「ちょっと待ったって! アンタさっき、オレのこと“向こうの世界の人間”って言ったよな!? 何者なんだよ、あんた!」
白衣の男は立ち止まり、こちらをちらりと振り返った。
「おや、まだ話すのかね。意外と、しつこい性格のようだ」
「誰のせいだよ。変なこと言い残して行こうとするからだろうが!」
《異常個体への接近は計画性を持って行うことを推奨する》
「セブン、お前も黙ってて!」
肩で息をしながら、白衣の裾をもう一度掴んだ。
さっきはうっかりだったけど、今回は確信犯だ。
「とにかく、オレは今この世界で、わけわかんない状態で放り出されてんだよ。……誰かに教えてほしいんだよ、何が起きてるのか」
白衣の男はしばらくこちらを見つめ——そして、ため息をひとつ。
「……ふむ。ならば、ほんの少しだけ付き合ってやろう。
所用が終わって、多少は時間がある。いや、正確には、“逃げてきたところ”と言った方が正しいがね」
「おい、今なんて言った!?」
「気にしなくていい。君には無関係なはず……たぶん」
《“たぶん”は信頼性評価において最低ランクである》
「セブン、今日イチ正論……!」
こうしてオレは、
この“胡散臭すぎる白衣の男”と、少しだけ足並みを揃えることになった。
——to be the next act.