第3幕『境界線の上で』
——この村、やっぱり“静かすぎる”。
井戸は乾いていない。
桶も、縄も、ちゃんと使われている形跡がある。
なのに、水を汲む人はいない。
茅葺き屋根の軒先には、洗いかけの布が干されたまま揺れている。
家畜小屋の扉は閉じられ、藁も踏み荒らされていない。
誰かがここで暮らしている形跡は、確かにある。
生活の痕跡だけが、妙に几帳面なまま貼り付いていて。
なのに、人の気配だけが、すっぽり抜け落ちている。
風は吹いている。
頬に当たるし、草も揺れる。
でも……"人が暮らしてる音"を感じない。
その中を、俺たちは足音を殺すでもなく、かといって無防備でもなく、
慎重すぎない速度で歩いていた。
セレスと肩を並べて歩くのにも、ようやく少し慣れてきた気がする。
革のブーツが、舗装されていない土の路面に沈む。
乾いた砂が、小さく散る。
そのたびに、彼女の歩幅と俺のそれが、不思議と同じ間で揃う。
軽く揺れるポニーテール。
背筋は、意識しなくても真っ直ぐだ。
淡い陽射しの中で、腰のホルスターとスカートの裾が光を弾く。
ぱっと見なら……いや、ちゃんと見ても、“できる人”にしか見えない。
……実際、セレスは信用できる人間だと思う。
彼女は、軍属だ。王国の兵士であり、軍という組織の歯車として任務を受け、役割をこなしている。
その立場の重さを、本人はきっとちゃんとわかってる。
なのにそれでも、"オレたちを助けたい"と言ってくれたその気持ちを、オレは疑ってなんかいない。
あの真面目さも、妙に要領が悪いところも、変に隠そうとせず全部見せてくれる。
それは、彼女もオレたちを信じてくれてる証だと、オレは思ってる。
——だからこそ、だ。
現実には、そんな綺麗な話じゃすまない。
“オレたちを助けたい”という気持ちと、
“オレたちを知るべきか”は、別だ。
彼女は、王国軍の人間だ。
“オレたち”と“この国”が、いつまで同じ方向を見ていられるかなんて、わからない。
もし、俺たちが何か大きな“地雷”を踏んだら。
軍の方針とぶつかるようなことをしたら。
その時、彼女に『軍部での立場も、これまでの人間関係も全部捨てて、オレたちに付いてくれ』なんて、言えるはずがない。
セレスが「軍部の知らない俺たちの情報」を知っているってだけで、
場合によっては、立場も、これまでの人間関係も、全部が疑われるリスクにもなる。
オレたちのせいで、軍の中での、彼女の味方を減らすことになったら——
それは、一番避けたいことだ。
だからオレは、彼女が“巻き込まれないための線”を引いておくべきなんだ。
——そして何より……。
ちょっとした情景が、脳裏をよぎる。
居酒屋の片隅。
軍服を脱ぎ、カジュアルなワンピースに身を包んだセレスが、マドラー片手にグラスを揺らしている。
そして……隣に座る同僚がボヤく。
『さいあく〜! どこかにイヤリング片方落としちゃってる!』
『え〜かわいそ〜。あんな小さいの、見つからないわよねぇ……セブンくんにスキャン頼めれば良いんだけど』
その“何気ない会話”の中に、ぽろっと紛れ込むのだ。
『あ、リクくんたち。こないだの事件でも、すごい方法で情報集めててね……』
『え? どゆこと?』
『あ、やばっ……今のナイショ!ナイショだからね!?』
……ありありと浮かぶ。
あまりにもハッキリとだ。
「……セレス」
少し硬めの声で呼ぶと、彼女はすぐにこちらを向いた。
セレスはぴたりと足を止め、こちらに振り返った。視線がまっすぐぶつかる。
それが、逆にやりづらい。だから、目を逸らす。
「……オレたちが、どうやって調査するかとか。
そのへん、あまり詮索しないでもらえると助かる」
一拍。空白。
でもすぐに、彼女は答えた。
「もちろん。わかってる」
即答だった。
余計な驚きもなく、落ち込みもせず。ただ、そのまま受け入れるような口調だった。
協力すると申出てくれて、
それでもオレたちのために、軍人としての距離感を保つ。
その在り方が……少し、胸にきた。
セレスはきっと、そういう人なんだ。
《補足:ユーザーは、セレス個人に対して不信感を抱いているわけではない。当該発言は、軍属である立場と将来的な利害衝突の可能性を考慮し、合理的配慮に基づくものである》
——おお。
完璧なフォローだ。
俺は思わず、セブンに心の中で親指を立てかけた。
《ただし》
……ん?
《セレスの行動履歴および発言ログを照合した結果、
当該人物は、意図せず情報を外部に漏洩させる確率が高いとユーザーは確信している》
——おい、やめろ。
《要因は、これまでの私的空間における警戒心の著しい低下、雑談時における思考と言語出力の同期ズレ、自覚なき感情優先発話等である》
——やめろって。
《総合評価:当該人物は、極めて“残念美人”として完成度が高い。というのがユーザーの現状認識である》
「ぶっ!?」
思わず、変な声が出た。
横目でセレスを見ると、案の定……。
口を開きかけて、目を伏せ、また閉じて、……そしてホルスターを強く握り直す。
「い、一応、私は軍人ですからね……? それなりに、信用は……されてる、はず……ですよ……?」
その様子に、アリスがこちらを見ていた。
無表情のまま、瞬きもせず、視線だけをまっすぐ向けてくる。
……おい。
その“ツッコミ待ち”みたいな圧、やめろ。
一歩も動かない。
言葉も出さない。
ただ、"オレの反応待ち"という姿勢だけがはっきり伝わる。
「いや、ちゃんと信用はしてるよ……。いろんな意味で、だけど……」
俺が曖昧な言葉で濁すと、
エナが一拍遅れて状況を“いい話”だと解釈したらしく、ぱっと顔を明るくして前に出てくる。
「そう! セレスさんは信じられる人ですっ!
昨日も、あんなに酔ってたのに……!」
一瞬、言葉を探すように首を傾げてから、胸を張った。
「ちゃんと最後まで、お布団を離しませんでしたしっ!
途中で逃げたりとか、全然しませんでしたっ!」
「それはただの泥酔だろ……」
だけど、まぁ——
ああやって、ちょっと不器用に落ち込んで、
それでも立ち上がってくるのが、セレスなんだろうな。
軍属だからって、線を引いて終わりじゃない。
ちゃんと“人として”付き合える相手だからこそ、こうして考える意味がある。
……セレスにとって、俺たちも、そう思われてるといいんだけどな。
雲が流れて、斜面の上にある一本の木が、長く影を伸ばす。
村の奥へと向かう坂道は、まだ静かだった。
——つづく。




