第2幕『本音の問い』
部屋の扉を閉めると、エルド将軍は壁際の椅子に腰を下ろした。
狭い部屋の中に、さっきまでの食堂とはまったく違う静けさが満ちる。
「……すまないな。私が直々に部屋を訪ねたら、多少は噂になるだろう」
「いえ、わざわざ来ていただけるなんて。本来ならオレの方から伺うべきところです」
そう返すと、将軍はほんの少しだけ眉を上げた。
「……いや。将軍の執務室に呼び出してしまっては、私は“将軍”としてしか喋れないからね」
静かな口調だった。
けれど、その言葉に込められた意図はすぐに察せられた。
これは——軍人としての立場を、いったん“脱いだ”上での会話だ。
「……それで、お話というのは?」
将軍は一度だけうなずき、テーブルの上に肘をついた。
そして、どこか重たい目で、こちらをまっすぐに見つめてくる。
「まずは、礼を言わせてほしい。君たちの実力は、疑いようがなかった」
「……ありがとうございます」
「そして案の定だ。演習の後、すぐに軍部内では“君たちをどう使うか”の話し合いが始まった」
そこまでは、予想していた。
この流れなら、次は——
「……で、俺たちはどこかの部隊に配属、とかですか?」
将軍は、苦笑したように首を横に振った。
「そんな単純ではないさ。君たちの“兵器としての価値”を目の当たりにした連中は、
“対魔王抵抗戦力”の主力に加えようとしている。しかも、次の進軍作戦の総指揮官まで動き出した」
——やっぱ来たか、掌返し。
ここまでは予想できてた。
問題は、この次……。
「君たちが、演習で勝利してから流れが変わった。
“利用できる”と判断した連中は、自分の陣営に君たちを取り込むべく、根回しを始めている」
言葉を濁してるけど、たぶん“実戦投入”も視野に入ってる。
覚悟の上ではあったが、俺たちは“魔王討伐を成し遂げる兵器”として、軍部の戦略に組み込まれようとしている。
「……だが」
と、将軍はわずかに身を乗り出してきた。
「私は、あれが気に入らない。
肝心の君たちの意思を、誰も聞こうとしないのだから」
その声音には、確かな怒気すらにじんでいた。
「私は、軍人だ。指揮官として、戦果を求めることも否定はしない。
だがそれ以前に、君たちは“意志を持つ存在”だ。
勝手に戦略図のコマにされるいわれはない」
……この人、ほんとに、軍の人間か?
そんな疑問が一瞬、頭に浮かぶ。
でも、それがまったく嫌味に聞こえないのは、
さっきの演習で、将軍自身が“俺たちの力”を認めてくれたからだ。
現場を見て、言葉をかけて、こうして歩み寄ってきた人間の言葉だからこそ——届く。
「あとで私は、将軍としての立場でキミに“正式な通達”を届けることになるだろう」
そう言って、将軍はひとつ、深く息を吐いた。
「だが先に言っておこう。君たちは、私が預かることになると思う」
「……え?」
「演習後、君たちの扱いを巡って、激しい綱引きをしたよ。魔王領侵攻作戦の総指揮官とは特にな。
だが、先に目をつけて、いち早く根回ししていた私の勝ちだ。……情報戦というやつだな」
いや、軽く言ってるけど、それ絶対かなり泥臭い政治闘争だったろ。
「私が預かるということは、“君たちを現場で扱う責任”を持つ、ということでもある。
ただし、これはあくまで一時的な措置にすぎん。
他の将軍たちも、まだキミたちを諦めてはいまい。
だが、無理に戦場に投げて使い捨てるようなことは、絶対にさせないつもりだ」
静かだが、強い声だった。
「だからこそ聞かせてくれ。君たちは、どうしたい?」
将軍の問いは、真っ直ぐだった。
誤魔化しも、装いも、通用しない目だった。
俺は、一拍だけ間を置いて——息を吸った。
「……俺たちは、ここに“何かを成し遂げに来た”わけじゃありません」
その言葉に、将軍がわずかに眉を動かした。
「“オレたちがどうすべきか”を決めるために、ここに来たんです」
俺はセブンの柄に手を添えながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「オレには、まだ分からないことだらけです。
魔王は何者なのか。何が目的なのか。
そして王国は、どうやって魔王と戦っていくつもりなのか」
将軍は黙って頷く。先を促すように。
「……それだけじゃない」
声が、自然と低くなる。
「そもそも、なんで魔王は王国を攻めてるのか。
本当に、あいつが“悪だから”なのか。
それとも……“王国の側に原因がある”のか」
将軍の目が、わずかに細くなった。
「だから、オレたちは戦場に出る前に、ちゃんと“知る”べきなんです。
自分たちが誰のために戦うのか、何を信じて剣を振るうのかを」
俺の声に、わずかに熱が混じっていた。
俺だけじゃない。セブンにも、アリスにも、エナにも関係のあることだ。
将軍はしばし沈黙した。
そして、椅子の背にもたれながら、ぽつりと呟いた。
「……私としては、キミに内情を詳しく喋ることは出来ない」
表情は変わらない。だがその瞳の奥には、確かに“何か”を抱えていた。
「……そうですか」
そう返すと、将軍はふっと息を吐く。
そして。
「……だからこれは“独り言”だ」
口元に、わずかな皮肉を浮かべて、ゆっくりと語り出した。
「王国は、いま表向きは“魔王軍との全面戦争”に向けて動いている。
だが、実のところ“なぜ魔王軍が王国を標的にしているのか”、正確な理由を把握していない」
……やっぱ、そうか…。
「諜報機関は、魔王軍の侵攻を“拡大政策”だと報告している。
領土欲、資源確保、あるいは人類種への敵意。……だが、どれも“決め手に欠ける”」
将軍は、指で机の端をトントンと叩いた。
「それどころか、魔王軍は一度、“進軍を止めている”。
辺境の要塞線を越えたあたりで、数週間にわたり活動を控えているんだ」
セブンの予測とも一致していた。
前線でみた戦力を考えたら、やろうと思えば、もっと激しく侵攻もできるはずだ。
「さらに言えば、王国には……魔王軍が何かを“探している”と睨んでいる者もいる。
戦略目標ではなく、ピンポイントな“対象”を」
何かを探してる……?
なら、それが“俺たち”である可能性もあるってことか?
俺が召喚されたあの日、ルルのいる街を襲ってきたのは偶然とは思えない。
……でも、そうすると……あの時の魔王の態度は?
俺たちの事を詳しくは知らない様子だった……。
どうも、しっくりこない……。
「だがな、リクくん」
将軍の目が、鋭くなる。
「……王国の中には、“むしろ戦いたがっている者たち”がいる」
「……戦いたがってる?」
「軍部の一部は“魔王軍の脅威”を口実に、予算の拡大と兵力の増強を進めている。
貴族派の中には、“魔王軍への勝利”を手土産に、政治的な地位を固めようとする者もいる。
つまり、"魔王討伐"を自分たちの地位向上に利用したいのさ」
やっぱりそうか。
そもそも俺が召喚されたのも、魔導機関が魔王討伐の手柄を上げたいって目的だって、そんなふうにルルは言ってた。
この世界も俺たちの世界と同じ。
正義を掲げる裏には、少なからず利益が絡んでる。
「だから私は、キミたちを“戦力”として預かる以上、君たちの目で“何を見たのか”を報告してほしいと思っている」
将軍は立ち上がり、俺と視線を合わせる。
「戦うなとは言わない。
だが戦う意味は、見失うなよ」
その一言が、俺の中にしっかりと響いた。
"戦う"ってのは、たぶん魔王とって意味じゃない。
俺たちを取り巻く思惑、環境、利害……。
それに立ち向かうってことだ。
「……わかりました。将軍」
俺は、まっすぐに答えた。
そして、少し間をおいて……。
「……俺は、自分が賢い人間だとは思ってない」
意識して、ゆっくりと口を開く。
「学校の成績だって、良いところ真ん中。
取り柄があるとしたら、運動神経と……"ちゃんと自分で考えろ"て父さんに言われてきた事くらい」
エルド将軍は、表情を崩さず黙って聞いていた。
「でも、ここに来るって決めたとき、覚悟だけはしたつもりでした。
ただ戦うんじゃない。良いように使われないように。
……メリットをどう示せばいいか、どうすれば“使い捨ての駒”にされずに済むか。逆に、警戒されすぎて動けなくなる可能性も考えて」
言いながら、自分の指が少し汗ばんでることに気づいた。
「……でも、ずっと悩んでたことがひとつあって」
顔を上げる。将軍の目は、変わらず静かだった。
「……“どうやって、信頼できそうな人を見つけるか”ってことです」
ここに来る前からずっと頭の中にあった。
俺たちが軍部の中で動くためには、信頼できる協力者が絶対に必要だ。
それが、一番の懸念だった。
でも……それだけじゃない。
この世界に来てから、旅の途中でも、魔王と会ったときでも。
俺は何をすべきか、自分で決めてきたつもりだ。
それでも、自分の判断は正しかったのか、何を信じていいのか……。
それが不安で、いつもずっと迷ってた。
"頼れる誰か"……
判断を委ねても良い相手を、たぶん俺はずっと欲してた。
エルド将軍は、少しだけ息をついてから、わずかに首を振った。
「……私のことを“信頼してくれ”と言うのは簡単だよ。だが、それはやめておこう」
そして、目の奥に何かを滲ませて言った。
「……大人としての助言だ。
“大人”を簡単に信じてはいけない。
特に政治に関わっている者は、たとえ本人が誠実であっても、個人の裁量でできることが限られている」
それは、自分を卑下しているわけじゃなかった。
むしろ、リアルな現実をちゃんと伝えようとする誠意だった。
「……だから私は、努力するよ」
まっすぐに、正面から。
「キミたちに私が……いや、“我々が”信頼に値する存在であるように。
それが分かるように、最善を尽くすつもりだ」
その一言に、ぐらりと、心が揺れた。
いや、もっと前から、かなり揺らいでた。
この人は……信頼しても、いいんじゃないか。
そんな思いが、心を支配しそうになってた。
……正直、オレ一人だったら、たぶんここで「お願いします」って全部預けてしまってたと思う。
そっちの方が楽だし、安心できるし、答えを探す必要もない。
……でも、俺は一人じゃない。
アリスがいて、エナがいて、セブンがいる。
俺が間違った判断をすれば、みんなを危険に巻き込むことになる。
だから。
「……俺は、見定めます」
思わず、口に出ていた。
「この国を。この世界を。
そして……あなたのことも」
エルド将軍は、それを聞いて、ようやく口元を緩めた。
「……うん。それでいい。いや、それがいい」
小さく、満足げに頷いてから、将軍は立ち上がった。
「ならば、私は“見られる側”として、胸を張るだけだ」
そのまま扉へ向かい、取っ手に手をかけて、ふと振り返る。
「……この世界には、“見極める価値のあるもの”も、“見たくなくなる様な闇”も、どちらもある。
だが、見定めると決めたなら……目を逸らさないようにな」
「……はい、ちゃんと見るつもりです」
将軍の背中が、扉の向こうへと消えていった。
……静まり返った部屋の中で、俺はようやく肩の力を抜いた。
《確認:ユーザーの“政治的中立意思”および“信頼形成に対する慎重姿勢”は安定傾向。
同時に、精神負荷による判断疲労も蓄積中》
「……ありがと、セブン。ちょっとだけ、ひと息つく」
窓から差し込む風が、少しだけ柔らかくなっていた。




