第1幕『突然の来訪者』
食堂から廊下に出た瞬間、思わずもう一度ため息が漏れた。
模擬戦を一回やっただけ。
俺たちがここに来て、まだ半日も経ってない。
それなのに——アリスとエナは、もう“有名人”になっていた。
離れた兵舎の方からも、ジワジワと視線が集まりつつある。
演習場の熱気が、まだ尾を引いているのもあるが。
ほとんどの兵士の目当てはやはり二人。まるでアイドル扱い。
会議でどう信頼されるか、演習でどう納得させるか。
ここ数日、考えに考えてきた。
だが……。
「……これは……想定してなかった」
石畳の床を踏みしめながら、自然と口から漏れた。
————
まっすぐ進めば、俺とセブンに与えられた簡素な兵舎の個室がある。
ちなみに、女子寮なんてものは存在しない。
アリスとエナは、司令部のすぐ隣にある来賓用の小部屋に、一時的に通されている。
……正直、ありがたかった。
あの二人を普通の兵舎に入れていたら、間違いなく“何か”が起きる。
起きない方が不自然なくらいだ。
俺の精神も、兵士たちの理性も、たぶん持たなかったと思う。
「……ほんと、マジで助かったよ。あの部屋分けは……」
食堂を抜け、兵舎へと向かう渡り廊下を進む。
吹き抜ける風が少し冷たくて、火照った頭を冷やすにはちょうどいい。
……はずだった。
「……髪、ほどけかけてます。整えます」
アリスがふと、歩く隣でそう言った。
「あ、ありがと〜おねーちゃん!」
エナが立ち止まり、嬉しそうに背中を向ける。
アリスは無言で三つ編みに手を伸ばし、淡々と整えていく。
「えへへ〜……こうやって、おねーちゃんに結ってもらったの、初めてかも!」
その瞬間、食堂からついてきた数人の兵士たちが——
全員、足を止めた。
「……なにあれエモ……」「姉妹のてぇてぇ……?」「尊すぎて思考が焼かれる……」
《周囲における感情高揚率、急上昇中。内容:“姉妹の親密性”“擬似的百合”への嗜好共鳴と推定》
「……セブン、どこまで拾ってんのマジで……」
さらにアリスは、何かを思い出したようにスカートのスリットを指で整えた。
ほんの、仕草ひとつ。だがそれだけで——
「……今の、反則すぎん……」「もう一挙手一投足が尊い……」
《不可抗力フェチ被弾、局所的に過半数突破。対象本人に挑発意図は皆無。破壊力は極大》
もうセブンにツッコむ気力もない。
——と、そこでエナが目を細めた。
「ん〜……アリスおねーちゃん、スカートのフック、ずれてるよ?」
「確認……あ、ずれてました。手動調整、実行します」
アリスが手を伸ばしかけた、そのとき。
「……あたしが、つけてあげる!」
エナが勢いよく手を出す。
「えっと……これ、こうやって……あれ? あれれ?」
指がうまく引っかからないのか、スカートの端をつまんで、ぐいっと持ち上げる。
「いったん、全部外しちゃった方が早いかもっ」
「待てエナァ!!今それはマズいって! 兵舎の廊下だからなここ!!」
止める間もなく、バチンッと音を立ててフックが外された。
巡礼服のスカートが一気に落ちる。
その下から現れたのは、例の超ミニスカ戦闘スーツ。
「……えっ」「ちょっ」「ちょ、ちょっっ……」
静寂が、石造りの廊下にまで染み込んだ。
そのまま、エナが真剣な顔でひとつひとつフックを留めていく。
そして——最後の留め具が、カチリと音を立てた。
「今の……脱いだ状態でフック確認して、丁寧に付け直すとか……」
「過程が……過程が強すぎる……!!」
「下半身は超ミニなのに、上は重たい巡礼服。あれ何!? 殺す気!?」
アリスは静かに、振り返らずに言った。
「……ありがとうございます。助かりました」
「えへへっ、どういたしまして!」
完璧すぎる。自然すぎる。無防備すぎる。
《周囲、完全沈黙。対象行動に対するフェチ反応、一時的に全方位沈黙領域へ突入》
……もうダメだ。コイツら(※兵士たち)も、この空間も。
誰が責任取るんだよこれ。
俺は石壁に手をつき、ゆっくりと天を仰いだ。
アリスとエナは、ただ“歩いているだけ”で空気を破壊していく。
しかも、本人たちにまったく悪気がないのが本当にタチが悪い。
……分かるよ? 俺だって男だ。可愛いと思うさ。
でも、これじゃあ俺の立場がねぇんだよ。
演習で一番動いたの、俺だよな?
信頼を勝ち取るため、どう動くかとか全部一人で考えたし、小隊長と一騎打ちしたよな?
前線では空中戦もしたし、幹部も倒したし、セブン振ってたのも俺だよな??
《確認:リクの評価項目“戦闘効率”と“戦術応用力”は上昇傾向。
だがこの場での注目軸は“ほぼ空気”“取り巻き枠”“無害な添え物”に偏重》
「……セブン、それ以上はもういいから……」
————
「では、わたしたちは司令部へ。一時宿舎の方で荷物整理をしますので」
「リクさん、またあとでね〜!」
アリスとエナがそう言い残し、廊下の向こうへと並んで歩いていく。
その背中を、何人もの若い兵士たちが、夢見るように見送っていた。
「……っしゃ、今なら話しかけ——」
「コラ貴様、何やっとる!」
振り返りざまに上官のゲンコツが炸裂し、二人ほど床を転がる。
——平和だな、王国軍。
ため息混じりに歩いていると、前方の影が立ち止まる。
「やあ、リクくん」
姿を現したのは——エルド将軍だった。
廊下のさらに奥からは、コソコソとしたざわめきが聞こえている。
「おい……あれエルド将軍じゃないか?」「なんで一般兵舎に……?」「誰か、やらかしたのか……?」
わざと足音を消した兵士たちの“静かな騒ぎ”が、じわじわと広がっていく。
「ずいぶん人気だったじゃないか。いや、君たち“全員”が……かな?」
どこか茶化すように笑いながら、俺の隣に並ぶ。
「……あれ、見られてましたか……」
「まぁな。あれだけ兵たちが騒いでいたら、見に行かざるを得ないだろう?」
エルド将軍は、冗談めかして肩をすくめた。
その言葉の奥に、軍人としての観察眼が隠れていたのが、わずかに伝わる。
そして少しだけ声を落とし——
「少し話したいのだが」
俺の部屋の前で、将軍が立ち止まる。
「構わないかね?」
俺は一瞬だけ迷ってから、扉の取っ手を回した。
「……はい。どうぞ、将軍」
扉を静かに開ける。
将軍が中へ入り、俺も後に続く。
——演習の次は、“本音の話”だ。
俺たちはたぶん、もう遊びじゃない場所に踏み込んでしまっている。




