第8幕『キミがくれた水で、まだ歩ける』
朝の空気は、妙に澄んでいた。
迎賓館の中庭に面した石畳を踏みしめながら、俺たちは王都軍の詰め所へ向かった。
前夜の出来事は……まあ、忘れられるわけがない。
けど、誰も触れようとはしなかった。
というか、俺としてはありがたい。
なにせ、あれは本当に――怖かった。
ルルの、あの目。
あの服。
あのセリフ。
そしてあの“沈黙”のあと、気まずさMAXの空気。
あのままだったら、俺の理性の方が死んでたかもしれない。
……まあ、ギリギリ生きてるからヨシとする。
⸻
そして今。
軍本部の正門前で、なぜかアリスとエナが敬礼している。
「……おい、なんの儀式だよこれ」
俺の声に反応したのか、そうじゃないのか。
アリスが口を開いた。
「戦果は出せずとも、あなたは優秀な指揮官でした。
わたしのメモリには、“最も勇敢な戦士”として永遠に記録します」
「やめろや!!なにその死別感ある別れ!!生きてんだよルルは!!」
そう言った俺の背後で、エナも小さく一礼する。
「……後は任せてください。わたしとおねーちゃんで、リクさんを……必ず倒します!」
俺は声を張った。
「聞こえてるからな!?そういう話は俺のいないところで話せ!
ていうか、そもそも変な策略立てんな!!」
しかしルルは涼しい顔で、ひらひらと手を振った。
「アンタたち。リクのこと、任せたわよ」
「いや、そこで引き渡すようなノリやめて!?オレはまだ“誰のもの”でもないからな!?」
アリスとエナは、それぞれ「了解」「はいっ」とだけ返事をして、俺の両隣に立つ。
自然な動き。慣れた連携。
——なんか……負けた気がするのは気のせいだろうか。
そんな俺の様子を見て、ルルは少しだけ微笑んで、ふっと目を細めた。
「アンタ、その2人のこと……もっと大切にしてあげなさいよ」
「……え?」
唐突に言われて、俺は思わず聞き返す。
「よく言うじゃない。愛情ってね。まあ、それが親子愛であれ、なんであれ……。
水みたいなもんって」
「水?」
思わず口にした俺に、ルルは少しだけ目線を逸らして、静かに言葉を継いだ。
「満たされてる時は、当たり前と思ってても……
それがないと、人は生きていけないのよ」
……わかる気がする。
この世界に来て、セブンがずっと一瞬にいて。
アリスに出会って。
エナがいて。
……もし誰もいなかったら。
一人きりだったら。
きっと俺は、前に進めなかった。
「……まあ、たまに多すぎて、溺れちゃうこともあるけどね?」
「……それも、わかる」
小さく、こぼれるように呟いた。
「それにね。囲まれてたら気づきにくいけど——
澄んだ水で満たされた場所ってね、離れて見るとキラキラ光ってて……とってもキレイなのよ」
そう言って、ルルはどこか誇らしげに、俺たちを見つめていた。
「……ふふ。
じゃ、そろそろ行きなさい。軍の会議、遅刻したら印象悪いわよ」
「わかってる。ありがとな、ルル。……色々」
俺がそう言うと、ルルは少しだけ目を伏せてから、いつもの声に戻った。
「当然でしょ?王国の巫女として、あなたの支援も私の仕事のうち。
……ま、もうちょっと"個人的な支援"もしたかったけどね」
その“支援”の意味を考えて顔を赤くした俺を見て、ルルはにやりと笑う。
「……じゃ、健闘を祈ってるわ、勇者様?」
⸻
そうして俺たちは、王都軍本部の扉をくぐる。
これから始まるのは、戦争のための作戦会議。
でも——なぜか心は少しだけ、軽かった。
いや、気のせいかもしれないけど。
……この“突撃三人娘”に付き合わされることと比べると。
この先に待ってるであろう苦難が、少し和らぐように思えてくる……。
——第1部—完ー




