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境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第1部12話『ぬるま湯でラブコメする者たちよ。見よ、これが"戦略的ラブコメ"だ』
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第7幕『突入編《ルル・ルーンヴァイス、実戦行動》』


 静かだった。


 迎賓館の廊下は、まるで誰もいない世界のように、息を潜めている。

 月明かりが高い天窓から差し込み、回廊の絨毯に銀の模様を描いていた。




 私は、素足で音を立てないように歩いた。

 右手には、ルームガウンのすそをしっかりと握りしめて。

 下には――何も着ていない。

 いや、最低限のものはあるけれど、こんなの防御力ゼロよ。



  ——落ち着いて。わたしはルセリア・ルーンヴァイス。

  ——幾千の祈祷と政務をこなしてきた王都の巫女。

  ——これしきのこと、任務のうちよ。



 そう自分に言い聞かせながら、“彼”の部屋の前に立つ。


 ……静かに、ドアノブを回す。



 視界の奥——

 ベッドの端に腰かけた彼が、窓の外を見ていた。

 静かな横顔。くしゃっとした黒髪。

 何気ない仕草が、なぜこんなに胸をざわつかせるんだろう。



 セブンの気配はない。

 アリス……エナ……ありがとう。


 私はそっと、月明かりの部屋へ足を踏み入れた。





「……来ちゃった」



 ベッドに腰かけていたリクが、ゆっくりと振り向いた。

 月明かりの中で目が合う。彼は少しだけ眉を上げ、肩の力を抜くようにため息をついた。



 「……お前もかよ、ルル」


 「ん。わたしもよ」


 「はあ……まったく、今日は何なんだ。誘惑の日か?」


 「さあね。星の巡りがいいのかしら?」



 私がひとつ肩をすくめると、リクは苦笑いをこぼした。

 軽く額を押さえて、のろのろと立ち上がる。



 「その格好……自覚あるんだろ?」


 「もちろん。なにせ、勝負服だからね」


 「どこに向けた勝負だよ……つーか、それ、服って言わねえだろ。タオル以下の布面積じゃね?」


 「それが見せ場なの。わかってないわね」



 いつもどおりの軽口。

 でも——リクは、一歩も引かず、真正面から受け止めてくれていた。


 だから、私はその余裕に甘えた。

 冗談っぽく。

 ふざけてるように見せかけて、少しずつ……本音に近づいていく。




 「……冗談に聞こえる?」


 「わかんねぇよ。オマエ、裏表が違いすぎるからな」


 「ふふ、ひどい言い方」


 「……でも……たぶん……。

 今夜のは、冗談じゃねぇんだろ……」


 「……わかってるなら、話が早いわね」



 私の声が、少しだけ熱を帯びた。


 リクの肩が、ぴくりと揺れる。

 けれど逃げない。ただ静かに、真顔で見つめ返してくる。


 私はくすっと笑って、

 わざと一歩、距離を詰める。

 リクとの間にあった空気が、ぴんと張りつめた。



 「ほら、今こうして、ふたりきり。

 ……なのに、あんた、全然動じないのよね?」


 ささやくように言えば、彼のまつげがぴくりと揺れた。


 「……動じるようなこと、されたら困るけどな」


 「じゃあ、“されたら困る”ってことは……ちょっとは意識してるってこと?」


 「……うっ」



 ふふん、図星。


 言葉に詰まった。ほんの一瞬。だけど、その“間”がすべてを物語ってる。



 ——よし。これは行ける。



 私は、心の中で小さくガッツポーズを決めた。

 ここで焦って一気に詰めるのはダメ。あくまで、自然体で。

 じわじわ、じわじわ、逃げ道を塞いでいくのよ。



 「……でも、そういうとこ、あんた不器用よね」


 「なにがだよ」


 「意識してるくせに、絶対口にはしない。

 目線は泳ぐし、言葉はつっかえるし。

 ……まあ、そういうとこ、可愛いんだけど」


 「可愛いって言うな……!」


 「言っちゃう。だって、可愛いんだもん」



 さらにもう一歩近づいて、至近距離。

 これ以上踏み込めば、自然と手が触れるくらいの位置。


 リクは目を逸らそうとしたけど、私の視線から逃げられない。

 照れてる。耳が、ほんのり赤い。



 ——うん、追い風。いける。今夜のルル、強い。



 「ねえ、リク。……あんたのそういうとこ、ちゃんと見てる人、いるんだからね」


 「…………」


 「わたしとか、アリスとか、エナも。

 ……あんたが鈍感してるあいだに、どれだけ考えてるか……ちょっとは察しなさいよ」


 リクがゆっくりと口を開きかける。


 でも、その前に。



 「……その反応。やっぱり意識してるでしょ?」


 「……それは……」


 「ふふ。黙るってことは、否定できないってことね」



 私の笑みが、自然と深くなった。


 ——さあ、あと一押し。仕上げに入るわよ。




 「リク」


 私はもう一歩、彼に近づいた。


 「明日から、たぶん本格的に戦いに出る事になるのよ。次に会える保証なんてどこにもない。

 だから……今日だけは、どうしてもちゃんと伝えたかったの」


 「…………」


 「……あたしじゃ、ダメなの?」



 声が震えそうになるのをこらえながら、私は彼の目を見つめた。

 さっきまでの軽さは、もうどこにもなかった。

 けれど、それでも私は——本音で、ぶつかりたかった。




 沈黙が落ちた。

 風の音も、夜の気配も、全部止まったようだった。


 リクは、目を伏せたまま……小さく息を吐いた。



 「……ごめん」


 「…………」


 「お前の気持ち、ちゃんと届いてる。エナやアリスの想いも、ちゃんと……」



 その声は、苦しそうで、でもまっすぐだった。



 「ここまでしてくれて、それに応えられない俺が……最低なのはわかってる。ほんと、ごめん」



 私は何も言わなかった。

 ただ、彼の言葉を待った。



 「でも……オマエもわかってるだろ……。

 オレは、元の世界に戻るつもりだ。

 帰れるかはわかんないけど……帰りたいって、思ってる。今でも、ずっと」



 静かに、リクは続けた。



 「だから、この世界で誰かとそういう関係になったら……絶対に、後悔させる。傷つける。……それは、できない」




 ——その声は、真剣で、優しくて、だからこそ残酷だった。


 私は、そっと立ち上がった。

 彼の前にもう一度立ち、微笑む。



 「それを“誠実”って言う人も、いるわね。

 ……でも、私は違うと思う」


 「……え?」


 「それ、“逃げ”よ。……優しさの皮をかぶった、逃げ」



 リクが少しだけ目を見開いた。



 「いつか別れるかもしれないから何も選ばない、なんて。

 ……そんなの、誰かを本当に大事にする人のすることじゃないわ。

 だって……それも含めて私は、あんたが好きになったんだから……」



 私は、彼に背を向けて、ドアに手をかける。



 「でもまあ。そこが、あんたの良いところでもあるんだけどね」


 「……ルル」


 ふわりと、肩越しに笑ってみせる。



 ——精一杯、強がって。



 「おやすみ、リク。もう寝なさい?

 明日はヘラヘラしないで、シャンとしなさいよ?」





 ——この夜は、届かなかった。

 でも、あいつの心には確かに、何かが残った。



 それだけで、きっと、無駄じゃなかったと思える。


 ……そう思えたから、私は、一人きりの部屋で泣かずに済んだ。


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