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境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第1部9話『声なき占領地、現れた少年』
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第4幕 『名乗られたその名は』


 足音ひとつ、しなかった。


 俺たちが気づいた時、そいつはすでに、石垣の上に立っていた。




 まだ朝の空気が湿り気を残している中で、ひとりだけ、その少年は乾いたような空気を纏っていた。


 黒髪。裸足。ボロボロの服。


 だが、肌はどこか透けるように白くて、目だけが——まるで、空っぽの夜みたいに冷たかった。



 「きみたち、ずいぶん静かに歩くんだね。見つけるの、ちょっとだけ大変だったよ」



 少年は、あくまで穏やかに、笑みすら浮かべて言った。



 ……敵意はない。

 だが、味方って感じでも、絶対にない。



 そもそも、こんな場所にどうやって?

 セブンの索敵も、エナの直感も全部すり抜けて——



 「……セブン、どういうことだ」


 《推定不能。直前まで存在が認識されなかった個体。ステルス機能または空間遮断技術の存在を仮定》



 その答えに、背中を冷たい汗が伝う。


 ——つまり、こいつはセブンのセンサーすら“出し抜いた”ってことだ。



 それに、オレたちも敵に見つかっては居ないハズだ。

 これまで、飛行型の偵察用モンスターとは何回か遭遇した。

 しかし、セブンが事前に察知し、全て見つかる前にやり過ごした……。



 少年は、こちらの表情を見て、くすりと笑う。



「……納得できない顔してるね」


「まず、どうやってオレたちを見つけた」


「“目立つ囮の見張りに、本命は別”って、監視の基本さ。見えすぎるものは、だいたい嘘だよ」



 アリスが前に出ようとしたのを、俺は手で制した。


 セブンも沈黙している。

 エナだけが、微妙に身構えたまま、俺の隣で拳を握っていた。


 


「……名前は?」



 そう尋ねると、少年は少しだけ考えるような素振りを見せて——



「いろいろ呼ばれ方はあるよ。“神の戯れ”とか、“世界の墓標”とか、“審判を告げる者”とか。ああ、"マスター"とか呼んでくる変わり者もいるね。

 でも、たぶん——そうだね」



 さらりと口にしたその呼び名に、一瞬ゾクリとした。



 「“魔王”ってのが、キミたちには一番わかりやすいかい?」


 静寂が、空気ごと張り詰めた。


 次の瞬間だった。



 「——ッ、まて!!」


 オレが止める前に、アリスが音もなく飛び出した。



 黒髪が翻り、スカートがパージされ、白い脚が空を裂く。

 その大腿部から、ワイヤーが射出された。


 視線の外側、石垣の“裏”へワイヤーを引っ掛け、その張力を利用して回り込む。

 魔王の背後を取ると同時に、反対の腕を振り抜く。


 ブレード付きの拳打。狙いは後頭部——即時無力化の一撃。


 それと同時に、エナも動いた。


 「アーマー・パージ。攻撃展開……いきます!」



 鎧が、羽ばたくように“開いた”。

 膨大な数の光るクナイが、空中に展開される。

 全方位から、黒い閃光が一斉に飛ぶ——!




 ——が。


 その全てが。空中で、止まった。


 アリスは、拳を振り上げた姿でピタリと止まり、

 エナのクナイはピクリとも動かない。

 

 まるで、音さえ止まったように。


 空中のアリスが、目を見開く。



 「制御不能。強制拘束……!?」



 彼女の身体が、ふわりと浮いたまま動かなくなる。

 まるで重力が失われたように、ゆっくりと回転し……


 そして、そっと、地面に下ろされた。

 優しく、まるで落ち葉を扱うように。


 同じく、空中に展開されたエナのクナイたちも——

 ポト……ポト……と音を立てて、地面に落ちた。


 剣の破片のようなそれらは、すべて勢いを失って、ただ重力に従って落ちるだけの“鉄片”になっていた。



 「っ……!」


 エナが歯を食いしばる。だが、それ以上の動作はできない。


 


 ——目の前の少年は、ただ、手すら動かしていなかった。

 立ったまま、笑みも浮かべず、ただ“見ていた”。



 「……あんまり怒らないでよ。ちゃんと優しく扱ったんだから」



 その声が、空気に溶けるように静かだった。


 ポト、ポト……

 金属の音だけが、地面に消えていく。


 誰も、動けなかった。

 セブンさえ沈黙している。


 


 俺はゆっくりと息を吐いた。



 「……アリス、こっち戻ってこい」



 指一本動かさずに宙から降ろされた彼女は、すぐに立ち上がると、無言のまま俺の隣へと歩いて戻ってくる。


 スカートと袖を付け直し、静かに身を正した。


 


 「エナも。ヨロイ、戻せ」


 「……はい」


 わずかに悔しそうな顔で呟いたエナは、地面に落ちたクナイを、再び浮かべて引き寄せ、身体に戻していく。

 鎧のパーツがパズルのように収束し、いつもの姿に戻った。


 

 俺は、二人をちらりと見てから、静かに口を開いた。



 「……正体も、力量もわからない相手に、あんなふうに突っ込むな。

 不用意な一撃が、引き金になることだってある」


 声は抑えたつもりだったが、ほんの少し滲んだ怒りは、多分隠せていない。



 アリスが、すっと目を伏せて言った。



 「……この場において、最優先されるべきは“リクの安全”です。

 わたしは、代替可能なゴーレム。リスクを引き受ける判断は、合理的でした」


 

 ……その言葉に、俺は眉をひそめた。


 「……そういうの、やめろ」


 ぴたりとアリスの動きが止まる。


 「もう一回言ったら、殴るからな」



 アリスは、ほんの一瞬だけ目を見開いて——

 それから、ゆっくりと視線を落とした。


 「了解。発言、撤回します……」




 その間も、目の前の“魔王”は、ずっとこちらを見ていた。


 何も言わず、何もせず。

 それでも、背中に冷たい汗が伝っていた。



 「……さっきの、魔王ってのは……冗談かなにかか?」


 俺がそう言うと、少年は、口元だけで笑った。


 「冗談かもね。……でも、冗談って、真実より信じられることもあるんだ」


 さらりとした口調なのに、妙に重い。

 


 「君たちさ」


 少年——いや、“魔王”は、空を見上げながら言った。


 「もし仮に、自分が“間違った側”だったとしても、それに気づけると思う?」



 ——何の話だ?



 だが、その問いが、どこかに引っかかる。


 「……いや、別に深い意味はないよ。ただ、君たちがどっち側に転ぶのか、ちょっと楽しみにしてるだけ」



 彼の声は、楽しそうだった。

 けれどその裏に、何か冷たいものが混じっていた。


 悪意でも、敵意でもない。

 ただ——不気味だ。

 


 俺は、セブンの柄に触れたまま、じっと彼を見つめる。



 「……どっちに転ぶか。ってのは意味わかんねーけどよ」


 言葉を選ぶ。口調はあえて、フラットに。

 それでも、視線だけは絶対に逸らさずに、俺は言った。


 「転んだ拍子にすっぽ抜けた"剣"が、テメーのドタマ直撃しても、文句言うなよ?」



 少年は、ほんの一瞬だけ目を細めて、微笑んだ。

 何も言わない。ただ、その場に立ったままだ。



 ——風が吹いた。



 木々がざわめき、草が揺れ、

 さっきまで“死んだ村”だった場所が、少しだけ、音を取り戻していく。


 だがその中心に立つ少年だけは、まるで別の時間に存在しているようだった。


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