第2幕『占領下の夜』
空はもう、すっかり夜の色だった。
俺たちは村を目指して進みながら、大きめの木の影で野営することにした。
エナが、枯れ枝を地面に組みはじめる。
「……あ、待った」
俺は、静かに声をかけた。
エナの手が止まる。
彼女はこちらを見て、ただ頷いた。
この“火のない夜”は、やけに世界が広く感じた。
代わりに見上げた空には、見渡す限りの星。
誰も照らさない、誰も見上げない、ただあるがままの夜空。
街の明かりも、人工の空もない。文明の一切が消えたような、純粋な闇の中で思い出したのは、小学生の頃。
親父と二人で行った、山奥でのキャンプだった。
火を消したあと、親父が無言で空を指さして——「星が本当の明るさで見えるのは、何もない場所だけだ」って、そう言ったっけ——。
エナは枝をまとめて脇に置き、そのまま地面に静かに座り込む。
アリスは既に自分の毛布に入り、仰向けで空をじっと見ている。
俺も、自分の毛布を広げてその中に潜り込む。
気温はそこまで低くないが、夜の草の湿気が体温を奪っていく。
しばしの沈黙。
「……なんか、魔王の領地って感じじゃないですね」
ガチャガチャと鎧を脱ぐ音のあと、後ろからエナの声がした。
後ろというか、声が近い。というか、真後ろだ。
ぴと。
背中に、やわらかい感触が張りついた。
服ごしに、ふわりと体温が伝わってくる。
「……は?」
声が裏返る寸前でなんとかこらえる。
甘いような、鉄っぽいような匂いが鼻をかすめる。
鎧と、彼女自身の女の子っぽさが同居する匂い。
エナは、まるでそれが自然であるかのように、
俺の毛布に潜り込み、後ろからぴとっと抱きついている。
やわらかい。あったかい。
背中の中心あたりに、確実に何かが当たっている。
……いや、“何か”じゃねえ、“おっぱい”だ。間違いなく、物理的に存在する胸だ。
妙に弾力がある。やさしく押し返す感じで、布越しでもわかる。
思考が一瞬フリーズした。
いや、でも違う、今はそういう話じゃない。
そうじゃなくて——
「……おい」
俺は小さく、しかし静かな怒りを込めてツッコんだ。
「はい」
即答。
耐えきれず、叫んだ。わりと本気で。
「『はい』じゃねーよ!!」
がばっと振り返りながら、ツッコミをかます。
「なんでオレの毛布にしれっと入ってんだよ! ダメに決まってんだろ!」
エナはきょとんと目を丸くしたまま、首をかしげる。
「はい?」
「いや、『はい?』でもねぇのよ!? 何その“意味わかんない”みたいな顔!」
エナは小首をかしげ、まるで“何が問題なんですか?”という顔で言った。
「でもこの間、普通に一緒に寝たじゃないですか」
——ピクリ。
隣のアリスの毛布が、ほんのわずかに動いた。
顔は見えないが、絶対に今、何かを記録した。
が、オレは見てないフリをした。
エナに向かって、思わず語気を強める。
「あの時はオマエ、剣だったろ。
ギリ“武器とオレ"のバランスの関係だったんだよ!!」
その言葉に、エナの表情がふと変わった。じわり、と顔が赤くなる。
「……え? その、もしかして、剣のほうが……良いんですか……?」
——え?
「そっちのほうが興奮するとか……そういう……エッチな?」
「ちげーよ!!そんな偏った性癖に仕立て上げるな!!
刀剣乱舞で推し見つけた歴女だって、日本刀抱いて寝たりしねぇからな!!」
勢いよく否定する俺をよそに、エナは続けた。
「わたしの本体は、剣……。つまり、硬くて、重くて、無口で、冷たい金属の塊です……。
……リクさんは、そういうのが好きなんですか……?
えっちです……! ド変態です……!」
そして、キリッ と何かを覚悟した目で、オレを見る。
「でも……奥さんなので、従います……!」
「その“嫁の務め”みたいな義務感に乗っかるのやめろ!! 変態扱いとは違うベクトルで恥ずかしいわ!!」
もう、何がどうしてこうなったのかわからない。
でも一つだけハッキリしてる。
このまま放っておくと、変な方向に覚悟を決められる。
「いいかエナ、落ち着いて聞け。オレは、普通に、ひとりで寝たいだけだ」
俺がそう真顔で告げると、エナはじっとこちらを見つめたまま——
「でも、わたし……奥さんなので」
「……は?」
エナは当然のことのように言葉を続ける。
「だって奥さんって、一緒に寝るものですよね? それ、本で読みました。“夫婦は夜を共にして信頼を深めます”って。……だから、これは正しい行動です」
「誰だよその本渡したヤツ!ゲスの極みパパかよ!!」
俺が頭を抱えるのをよそに、エナは胸を張って——なぜか少し得意げに、こう言った。
「でもわたし、その本で——いろいろ、勉強しました。だから、大丈夫です!」
「余計大丈夫じゃねぇよ!! 文字情報だけでわかった気になるな!!
“IGN見たからミラボ余裕”とか……舐めてると即溶けるからな!?」
即ツッコミ。即全力。最大火力。
「ていうか、どういう“いろいろ”だよ!? 何ページ目まで読んだんだよ!?
目次に“夜の攻略チャート”とかあったらアイツ絶対ブッ飛ばすからな!!」
「全部です。とくに“夜の仲直り”と“膝枕の角度で伝える愛”のところは、折り目が付いてたのでしっかりと!」
——顔が赤くなる。どっちが。俺が。
「何冷静に言ってんだよ!?
それ、教科書にエロ本混だってたレベルの事故だぞ!!
よし!ブッ飛ばすの今決まった!」
エナはさらに一歩詰めて、ぽつりとつぶやいた。
「……注釈で、リクさんは……背中から、ムニって押しつけられるのが好きって、書き足してありました……」
「それ誰だよ別人だよ!!
注釈で捏造してんじゃねぇ!!Wikiの注釈ポリスに怒られろ!!」
思わず天を仰ぎかけて、踏みとどまる。
息を整える。ツッコミの応酬で酸欠気味だが、ここからはちゃんと説得だ。
「エナ、いいか? そういうのは、気持ちとか、信頼とか、お互いのタイミングがあってだな……なんていうか、自然にそうなるもんなんだよ!」
「……自然に?」
「そう。自然に! いきなり毛布に潜り込んできて、しかも抱きついて、挙げ句“あててんのよ”みたいな状況は、自然の真逆なんだよ!」
「……でも、喜んでましたよね?」
「それは身体が独断先行しただけで、理性はキッチリ即刻否決してたからな!!」
夜空に、わりと本気の悲鳴が響いた。
星は何も言わず、ただ瞬いている。
「エナ。オレたちは今、戦時下の占領地で敵の気配にビクビクしながら旅してる最中でな、ちょっとでも変な意味で意識飛んだら、マジで死ぬからな?」
「……変な意味、とは?」
「そこはツッコむな」
俺の真剣な説得に、エナはほんの少し間を置いて、しぶしぶ毛布から這い出した。
「……はーい」と小さくつぶやきながら、自分の毛布に戻っていく。
一つ息を吐いて、改めて自分の毛布をかぶる。
一拍の後、
後ろで、なにやらモゾモゾと布の擦れる音がしているのを、あえて気づかないフリをした。
無言のまま、何かが再びオレの毛布に潜り込んできている。
「おい……」
「…………」
「オマエは普通にやめろ」
「……………………………」
アリスは何も言わない。
完全に黙ったまま、5秒ほど隣で寝たふりをしたのち——。
そっと身を起こし、まるで“そんなことは最初からしてませんけど?”という空気をまとって、
——やっぱり自分の毛布に戻っていった。
俺は毛布の中で、天を仰いだ。
星が、さっきより少しだけ遠く見えた。
静けさが戻った夜。
星はきれいだ。けど、なんかやたら疲れてる。
《分析:ユーザーの精神負荷上昇。当該人物:アリス及びエナの行動は不適切。改定要求を推奨》
「……マジそれな。オレの味方はオマエだけだ、相棒。」
《補足:ユーザーの対応遅延が対象行動の誘発に寄与。判断の不明瞭さが要因》
「……うるせぇよ。急に刺してくんな。あとオマエにツッコミ入れるのも地味にストレスだからな」
《加えて、当該人物ルセリアとも不安定な状態を継続中》
「おい、ここでルルの名前出すのやめろ」
《明確な意志表示と行動改善を推奨。ユーザーの行動は、関係を曖昧のまま放置することで好感度を稼ぐ、典型的な責任放棄型トラブルメーカー》
返す言葉は出ない。図星だからだ。
——こうして、"敵の懐での初めての夜"は、
緊張感あるんだか無いんだかで更けていった。




