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境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第1部8話『斬光輪舞(ザンクロリンダ)』
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第3幕『毒気、火花、そして剣の蝶』


 ——“シュウゥゥッ……”


 何かが、じわりと空気を染めていく。


 煙……いや、もっと重く、ぬるりと粘つくような気配。

 戦場の中心、傷ついた魔物の体から、霧のような気体が流れ出していた。


 

 「もしかして、あの色……って……」


 うっすら黄緑。微かな硫黄のような、鼻をつく刺激臭。


 


 「セブン、成分わかるか?」


 《分析開始……混合気体を構成する主要成分を検出》


 《主成分:水素(H₂)、塩素(Cl₂)》



  ——あの色、あの匂い。




 ……登別、だったっけか。


 昔、親父と行った温泉地。

 旅館の露天風呂で、突然ガス警報が鳴ったことがあった。

 従業員が慌てて走ってきて、避難誘導されて──親父はというと、


 『あー、こりゃ水素と塩素だな。吸い込みゃ一発でおだぶつだ』

 って、妙に嬉しそうに言ってたっけ。


 ——なんでニコニコしてんだ。お前バカかって思ったけど。


 でも、あのときの匂いと、色と、親父の声が、今まさに目の前で再現されてる。



 「こいつ……自分の体の中に、水素と塩素を別々に溜めてるのか……!」



 ちょっとの水分があれば、混ざって塩酸。小学校で習った奴だ。


 強酸性の、天然の毒ガス兵器。ちょっとでも風向きが悪ければ、市民にも被害が出る。


 

 そのときだった。


 視界の端、黒銀の閃きが風を裂いた。


 

 「……エナ!」


 

 街の通りを縦横に駆けるのは、十数本のクナイ。


 黒光りする金属、ライムグリーンに光る回路。

 どれもがエナの一部——彼女自身を分けて投げた、小さな戦う分身たち。



 敵の周囲を円を描くように駆け回り、目にも止まらぬスピードで、肉を削る。


 

 「エナ! お前……ガス、平気なのか!?」


 

 濃い黄緑色の気体が、地を這い、宙を舞う。

 そんな中で翻るエナの分身の姿は、まるで火の中を泳ぐ蝶だった。



 「わたしの体は、生き物じゃないです! 大丈夫ですっ!」



 《補足:ユニット・エナの外殻は、当ユニットの約7.4倍の耐酸性と推定》

 《現在のガス濃度における不可逆損傷の発生まで、およそ38秒》



 「いや、それって……やっぱ溶けてんじゃねーか!!」


 

 事実、飛翔するクナイのうちいくつかは、

 空中でジュッ……と音を立てて、煙を上げている。


 それでもエナは、次の一撃を飛ばす。

 表情は歪み、痛みに耐えているのが伝わってくる。



 クナイが煙を上げるたび、身体がピクリと揺れる。

 ——エナの”本体"は鎧だって言ってた。

 きっと彼女自身は、体が溶ける激痛をそのまま感じているはず。




 若竹色の光が咆哮に切り込むたび、魔物は苛立ち、怒り狂う。

 確実にダメージは通っている。徐々に追い詰めている。




 しかし……。


 ズルッ、と音を立てて、魔物の背中が裂けた。

 中から——大量の“羽虫”が這い出してくる。



 「……グロっ! なんだあれ!!」



 体長30センチほどの巨大な甲虫。透明な羽が震え、空気を切り裂いて舞い上がり、街路を埋め尽くす勢いでこちらに向かってくる。



 《警告:敵体内より異種の生体反応を検出。皮膚下に数百体。共生関係にある別個体と推測》


 「うわっ出た!!虫出す系の中ボス! オレ、そういうのダメなんだよ!」



 ——しかし、そうも言ってられない。


 数が、やばい。

 斬ったそばから次が来る。アリスのワイヤー軌道にも限界があるし、俺一人じゃ到底さばききれない。


 


 そのときだった。



 「——敵群、排除しますっ!」


 

 風を裂いて、黒銀の刃が駆けた。



 宙に放たれたクナイが、一つ、また一つと空中で軌道を変え、さらに細かく分割されていく。

 その数、四十、五十……。まるで乱舞するツバメの群れ。



 「数が多いなら、数で押します!」



 エナの声に呼応するように、刃の群れが羽虫に突っ込む。



 ——カキン! キィィンッ!



 「いっけぇぇぇっ!!」


 反響する金属音。火花が、雨のように降る。

 宙を舞う刃が、弾丸のように敵を撃ち落としていく。



 「一匹残らず、通しませんっ!」



 エナは一歩も動かず、手を振るだけで、刃の全てが動く。

 まるで彼女自身の手足であるかのように、意志を持った刃が敵を蹂躙していった。


 

 俺とセブンは、その光景にただ見とれていた。


 

 「……すげぇ……」


 

 ——頼もしさと、美しさ。

 その両方を、俺は確かに見た気がした。

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