第6幕『父と娘の関係性』
「リクさん! あたしも……行きたいです!」
真っ直ぐに、少しだけ上目遣いで見つめながら。
エナがそう言った。
宿の部屋で荷物をまとめていた俺は、思わず手を止めた。
「え、ああ……買い出しと情報集めだけだけど」
「はいっ! 一緒に、歩きたいんですっ」
……それは、ちょっと反則だろ。
大きな緑の瞳に期待を詰めて、嬉しそうにぱたぱたと近づいてくる。
その笑顔は、あまりにも素直だ。
《補足:エナの随行は、行動効率の低下要因には該当しない。対応力の向上、およびユーザーのメンタル状態の安定に寄与すると判断》
「……わかったよ。じゃあ、行こう」
俺がそう言った瞬間、エナの顔がぱっと花開くように明るくなった。
「やったあっ!」
ぴょんと小さく跳ねて、セブンの方を振り返る。
「セブンさん、ありがとうございますっ!」
その後ろで、アリスがなぜか無言で荷物を詰める手をぴたりと止めていたが——気づかないふりをしておいた。
————
朝の空気は、ほんのり湿っていた。
街路に差し込む光はまだ柔らかく、石畳に混じる水気が、ほんのりと土の匂いを立てていた。
通りを歩く人々のざわめきと、遠くで鉄を打つ音。
荷馬車の車輪が軋み、果物売りの少年が声を張り上げる。
昨日まで、ただ通過点のように思えたこの街が——少しだけ“名残惜しい”気がした。
俺たちの旅は、ここからが本番になる。
ルルからもらった地図と戦況マップを照らし合わせる。
街の北門を越えた先——そこは、魔王軍の占領域。
“いわゆる敵の懐”だ。
地図では、一本道を2日ほど歩けば、次の集落にたどり着ける……はず。
けれど、その村が今どうなっているのかは、誰にも分からないらしい。
魔王軍の占領下に置かれて以降、偵察も連絡も途絶えているそうだ、
途中で補給できるかどうかも、わからない。
野営が前提の行程になる。
俺たちは持ち金を確認して、大きめのリュックを二つ購入した。
保存食、簡易テント、火おこしキット、道具袋、ロープ。
必要なものを選びながら、子どもの頃、親父とキャンプに行った日のことをふと思い出した。
夜の焚き火と、インスタントスープの味。
……あのときも、こんなふうに荷物を背負って、森を歩いたんだっけな。
「リクさん!」
後ろから呼ばれて振り返ると、エナがぴょこぴょことスキップするような足取りで近づいてきた。
腰マントをなびかせて、兵士服姿の長身シルエットが光に映えている。
高くてまっすぐな背筋。揺れる三つ編み。
端正な顔立ち。
「やっぱ、長身に鎧姿って、映えるな……」
ぽつりと口をついて出た言葉に、エナがきょとんとして——すぐに照れくさそうに笑った。
「えへへ……ありがとうございます!」
凛とした騎士姿に似合わぬ、その素直な笑顔に、少しだけドキっとした。
「……なあ、エナ。ひとつ聞いてもいいか?」
「はいっ、なんでも聞いてください!」
「その……お前の身体って、結局どうなってるんだ?」
「えっとですね……あたしは、いわゆる“リビングアーマー”っていうものらしいです!」
「リビングアーマー……」
「はい! 鎧とか、武器とか……長く在り続けた物に魂が宿るっていう!
あたしの場合は、その“剣”と“鎧”が本体で、人間っぽく見える部分は……投影された像、みたいな?」
「付喪神……みたいなもんか」
「つくもがみ?」
「ああ、日本……あ、いやオレの故郷の……そういう、古い道具に魂が宿るって話があってさ」
「あっ、ちょっとロマンチックですねっ、それ!」
……あっけらかんと笑うその様子が、あまりに自然で。
“本物の人間じゃない”とか、そういうことが、だんだんどうでもよく思えてくる。
「……ちょっと、いいか?」
「え? はい?」
エナの手を、そっと取ってみた。
"投影された像"なんていうから、触れないのかと思ったら、しっかり実体がある、
それに、柔らかくて、温かかった。
金属の冷たさなんかじゃない。
ちゃんと、“誰か”の手だった。
「わ……」
エナの顔が、ぱっと明るくなる。
「……うれしい……リクさん……あたし、ちゃんと触れられてる……!」
満面の笑顔で、思い切り握り返してきた。
……やばい、これは……けっこうドキドキする……
しばらく繋いだままだったが、エナがなかなか手を離さないので——
「おい、もうそろそろ……歩きにくいんだけど」
「えぇ〜……もうちょっとだけ……」
「いや、歩きにくいんだよ! っていうかお前……俺より背ぇ高いんだよ! こっちが見上げてんだぞ今!」
「えへへっ、じゃあ背中に乗りますかっ?」
「逆!!」
そんなやりとりを遠くから眺めていたアリスが、いつの間にか真後ろにいた。すっと後ろから割り込むようにエナとオレの間に立つ。
「……リクとの距離が、やや近すぎます。行動においては不効率です」
エナが、アリスを見下ろして、無邪気に返す。
「え〜? でも、おねーちゃーん?」
「私は“おねーちゃん”ではありません。型番はLC-01-A-03、コードネーム・アリス・リドルです」
「あれ? でも、えっと、あたしとリクさんが“夫婦”で、おねーちゃんも、リクさんの奥さんだから……えっと……」
少しだけ首を傾げて、くるくると指を回しながら真剣に考え込む。
「んー……“お義姉さん”? あれ? ちが……」
「違います!!」
「ちげぇよ!!」
俺とアリスのツッコミが完全にハモった。
エナは「えへへ〜」とごまかし笑いを浮かべ、頭をかいた。
セブンが、腰でぽつりと漏らす。
《観察:交差する恋愛感情を複数検出。対応として、双方に対して優先順位の明示、または並列処理の是非判断が推奨される》
「お前も黙ってろや」
————
その後、食料や保存剤、予備の水袋などを補充しつつ、街の情報掲示板を眺めていたとき——
「なあ、エナ」
「はい?」
「お前……あの変な男とは、結局どういう関係なんだ?
……娘?とか言われてたけど……。というか、そもそもアイツ何モンなんだ?」
一瞬で、空気が変わった。
エナの瞳から、笑顔がすっと消える。
視線はまっすぐ俺に向けられたまま、瞳の色だけが冷えたように感じた。
「……………………………」
「……あたしの前で、あの男の話は二度としないでください………」
低い、平坦な声だった。
その一言だけを残して、エナはぴたりと口を閉ざす。
——地雷。それもあからさまに設置した地雷だった。
……理由はわからんが、まあ…わかる。
気にはなるけど、これ以上は聞けねぇな…。
《解析:反応レベル臨界域。感情安定化処置を推奨》
「セブン、今の空気に“処置”とか言ったら、死ぬほどスベるぞ」
気まずい空気が流れたまま、数分ほど歩く。
その後……。
「……でも、セブンさんも、すごいですよねっ」
エナが、ぱたぱたと前を歩きながら、ふいに振り返って言った。
目を輝かせて、無邪気な笑顔。
「あんなおっきな相手を、リクさんと一緒に一発で!!それに、硬いし、重いし、斬れるし!」
「褒めてんのかそれ?」
《肯定:当ユニットの構造強度、質量調整幅、演算能力は、全ユニット中トップクラス》
「リクさんとも相棒同士って感じで、かっこいいですよね!セブンさん!」
エナが勢いよく親指を立てると、セブンの鞘がほんの一瞬、わずかに震えた。
それは、誰が見ても——ちょっとドヤってた。
《現在、当ユニットのユーザーはリク・ミナセである。だが、第二の連携候補としての検討は可能》
「なんでわざわざ三角関係みたいな言い方すんの!?」
《補足:なお、ユーザーからの当ユニットに対する信頼指数も順調に上昇中》
「……なんでお前、勝手にオレからの信頼ポイント積み上げてんだよ……」
「でもでも、あたし……セブンさんの声、最初から好きでした!」
「“好き”って……お前、告白みたいなテンションで言うな」
「だって! 一番最初に“喋ってくれた”の、セブンさんだったんですよ?
誰もあたしに声をかけてくれなかった頃に、ちゃんと……“言葉”をくれたんです」
その言葉に、セブンが静かに応じる。
《記録照合完了。初回遭遇時、“ユニット解析。状態安定を確認。敵性行動なし”と発声している》
「いや、それ完全に“診断音声”じゃん!」
「でも、嬉しかったんです!」
オレの腰にぶら下がってるセブンの鞘を、エナが嬉しそうに見つめる。
……と、その後ろで。
「…………」
アリスが、ブスッ……とした表情で黙っていた。
腕を組み、ぷいっと視線を外しながら、やけに足音を荒くして歩いている。
「……わたしだって、喋る構造はありますけど……?」
ぽそっと、誰に聞かせるでもなく呟く。
《補足:アリス・リドルの音声構成は対話演出用。主機能はワイヤーを展開しての立体起動補助》
「……知ってます……」
「そんな拗ねるなよ……」
「拗ねてません」
顔を見せないまま、ぐいっとリュックの紐を強く引いて、さらにぷいっと顔を逸らす。
「……わたしにも、飛行と変形機能……付けられたりしませんかね……?」
「絶対無理だ。お前は自分のワイヤーを信じろ」
「…………ワイヤーは、地味です」
そこまで言って、アリスはついにむくれ顔で前に出た。
その背中が、“ひとりだけ”距離を取っていくのが、逆にちょっとかわいそうだった。
「……ご、ごめんねアリスおねーちゃん…。あたし、嬉しくてつい……」
「別に……怒ってません……けど……」
……明らかにめちゃくちゃ怒ってる。
「ったく……仲いいんだか悪いんだか」
リュックを背負い直して、俺はセブンの柄に手をかけた。
そして——そのとき。
「きゃあああああああっ!!!」
つぎの瞬間、警鐘がカンカンと響いた。
「……今の、敵の報せか?」
アリスが顔を上げ、スカートを押さえて駆け出す。
「警報信号は敵襲時のパターン。市街地に、魔物が出現した可能性が高いです」
「うわぁぁぁ!!」
再び悲鳴。道をひとつ越えた辺りから。
「……行こう。放っとく理由なんて、ないだろ!!」
「あ、あたしも行きます!!」
俺は、腰のセブンの柄に手をかけた。
「いくぞ、相棒」
《応答完了。出力調整フェーズ、即時展開可能》
街での戦闘が、始まる。




