第5幕『私は奥さんです!』
買い物を終えた帰り道、宿の建物が見えてきたところで、違和感に気づいた。
……なんか、騒がしい。
通りに面した、宿の1階。
まさに、俺たちの部屋の窓のあたりに、なにやら妙な“群れ”ができていた。
「……なあ、アレ」
「男性個体が偏在してます。明確な目的を持っている様子」
《観察:対象群は視線を一点に集中。推定:エナの視認を目的とした接近》
……なるほど、そういうことか。
「オマエらぁぁぁあ!! 他人の部屋の窓に群がってんじゃねぇぇぇッ!!!
散れ!!散れ--!!」
俺の怒号で、男どもが蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
一人、立ち去り際にニヤニヤしながら振り返ってきたヤツがいた。
「にいちゃん、良い趣味してんな〜」
——石を拾って投げた。
………当ててはいない。理性は保った。
部屋に戻ると——
「リクさん!!」
ドアを開けた瞬間、ベッドの上で正座していたエナが、パッと顔を上げた。
目にはうっすら涙が浮かび、ぷくっと頬をふくらませている。
「ひどいです! あたしを置いて行くなんて!」
「いや、あのな、アレは“仕方なく”ってやつでだな……」
「だって、あたし——奥さんなのにっ!」
「いやいやいやいや!? 待て待て待て、落ち着け! あんな男の言葉を真に受けなくていいから!」
「違いますっ!」
エナが立ち上がり、ぴょんっとベッドから降りて、真っ直ぐに俺の前へと詰め寄る。
「違います! 本気でリクさんのお嫁さんになりたいんです!」
ぐっと胸に手を当て、うるんだ目で見上げてくる。
「……それに……」
言葉に詰まり、少しだけ俯いて、指先をそっと合わせる。
頬をほんのり染めながら、潤んだ瞳で俺を見上げてきた。
「あの日……リクさんと初めて会ったとき。……あたし、初めてだったんです……男の人と…あんな…」
目尻にうっすら涙の膜を張ったまま、きゅっと唇を結び、決意したようにキッと俺を見据える。
「責任…とってください……!!」
アリスが、ジトっとこちらをにらむ。
「………“初めて”とは、どの文脈での初回を指しているのですか?」
「いや乗っただけだらな!? 背中に!! そういう意味じゃないからな!? というか、オマエも見てただろうが!!」
《警告:不適切ワード検出。誤解を招く発言により、情報の混乱が発生する恐れあり》
セブンが、タイミングよく場を凍らせる。
エナはちょこんと座り直して、うっとりと手を胸に当てながら語り始める。
「あのとき……リクさんが……。最初に、そっと……あたしの背中に触れてくれて……」
「足でな!オレ、足で踏ん張っただけな!」
「それで……リクさん、囁いてくれたんです。“怖くないよ”って……」
「言ってねぇよ!? ……いや?……え、言ったか俺?
夢中で覚えてないけど、そういう意味じゃねぇし!?」
「最初は……すっごく怖かったし……ちょっと痛かったけど……」
「俺も怖かったんだよ!!!
でも痛かったってのは、ゴメンなッ!?」
「でも……だんだん、慣れてきて……
それで……気づいたら……」
顔をぽわっと赤く染めながら、両手でほっぺを包み込む。
「まるで、体が浮かんでるみたいに、ふわふわして……。いつのまにか、すっごく……気持ちよくなってて……」
「いや浮かんでたからな!? 実際に!」
「そして最後には……リクさんが……黒くて、硬くて……逞しいのを……あたしの背中で……ッ」
「セブンをそんな風に言うのやめろ!!」
《補足:当ユニットは黒く、硬く、耐衝撃構造を有する。否定する必要性は低度》
「やめろ! オマエを腰に下げるのがなんか嫌になるだろ!?」
ふと横を見ると、アリスがこちらを見ていた。
いつもの真顔……。なのに、どこか“じとっ”とした視線が刺さる。
「……確認です。あれは“背中に乗せただけ”という情報で、間違いありませんね?」
「そうだよ!! むしろ、今の話に間違えることができるタイミングなんざ一個もねぇだろ!!」
「詳細な状況説明とタイムスタンプがあれば、判断可能かと。至急、記録の照合を……」
《了解。至急、映像ログと照合——》
セブンがすぐに応答する。
《照合完了。文脈上の“初体験”と一致する記録は存在しない》
「あたりまえだ!!」
《ただし、野営の際に、リク・ミナセはユニット・エナと“密着して睡眠”している記録が存在する》
アリスが、"ヒュッ" と息をのんだ……。
「ちょ、待て! あれはエナが勝手に背中に寄ってきて……いやいや、そもそもあのとき“剣”だったからな!? 全長180cmのブロードソード! いやらしさの“い”の字も無ぇからな!?」
——一通り叫びきって、俺はどっと力が抜けた。
……ダメだ。
このままだと、話がどんどんおかしな方向に転がっていく。
まずは、仕切り直しだ。
「ほら、エナ。先に……これ、着てみろ」
俺は、手に提げていた紙袋から、買ってきた服を取り出した。
「兵士用の、動きやすいやつ……ってことで選んだけど。サイズ、よく分からなかったから、シャツもズボンも一番でかいやつ買ってきた」
「えへへっ。ありがとうございますっ!」
エナは嬉しそうに、ぱっと紙袋を受け取って——
そのまま部屋の隅に移動すると、服を持ったまま一瞬こちらを見て、こてん、と首を傾げた。
「……リクさん。見ててくれないんですか?」
「見ねぇよ!? そこは自主規制しろ!!」
——そして、数分後。
「……どうでしょうかっ?」
着替えを終えたエナが、部屋の中央に現れた。
シャツは一番大きいサイズのはずなのに、特に胸元がパツパツでボタンが危うい。
ズボンも「胴回り」は余裕だったが、エナの足が長すぎて丈が足りず、足首が完全に露出してしまっている。
だが——
腰に巻いたマントが、ちょうどいい具合にシルエットを締めていて、妙に……いや、すごく様になっていた。
薄いグレーを基調にした兵士服に、長い脚と銀の髪。
シャツのパツパツさはさておいても、堂々と背を伸ばし、視線をまっすぐに向けるその様は、まさに誇り高き騎士。
「かっけぇ……」
少年心が、くすぐられた。
「……なんか、姫騎士って感じだな」
気づけば、自然にそんな言葉が漏れていた。
「へへっ。リクさんにそう言ってもらえるなんて……うれしいですっ!」
エナは、頬を染めながら、嬉しそうに笑った。
エナがぽつりと呟いた。
先ほどまでの勢いは鳴りを潜め、少しだけ伏せた目で、ぽつりぽつりと。
「でも……リクさんと一緒に眠ったりしたのも、あたしにとっては、大切な時間だったんです」
その声に、部屋の空気が少しだけ変わった。
セブンも、アリスも、黙る。
エナは、そっとベッドの端に腰を下ろした。
そして——
胸元をそっと握るように、両手を重ねながら、言葉を紡いだ。
「最初にリクさんと出会ったとき……あたし、喋れなかったし、ただの剣として現れただけ……」
「でも、リクさんは……怖がらなかった」
ふ、と笑った。
「ふわふわ浮いてる、目玉のついた巨大な剣なんて……普通、近づいてこないはずなのに。
リクさんは、怖がらないで。普通に“話しかける”みたいに、声をかけてくれました」
「それから……一緒に旅して。あたしが“ただの剣”じゃないって、ちゃんと見てくれた。
“女の子”として扱ってくれて……気遣ってくれて……」
エナの声が、少しだけ震えた。
それでも、まっすぐに俺を見てくる。
言葉を、止めない。
「それが、嬉しかったんです」
「ずっと、背中にいて。時々、ずり落ちそうになって。……でも、何回だって、リクさんが受け止めてくれた」
「その背中、逞しくて……あったかくて……ずっと、安心できた」
そして、静かに。
「だから、あたし……リクさんが好きになりました」
息を呑んだ。
からかいじゃない。
目の前のその子は、ただまっすぐに、自分の“心”を言葉にしている。
見た目がどうとか、構造がどうとか。
そういうの全部ひっくるめて。
今、この瞬間の彼女は、ちゃんと“恋する女の子”だった。
……とりあえず。
やっぱ、コイツ——なんかかわいいな。




