第2幕『帰還と、父の退場』
ぎゅぅぅぅぅぅんっ!!
——空間がねじれたかと思えば、視界がぐるりと裏返った。
次の瞬間、足元がぴたりと止まり、ふわりと重力が戻ってくる。
俺は、転がるように床に落ちた。
「っっ……いてててて!!」
木の床。漆喰の壁。少し埃っぽいけど、ちゃんとした建物の中。
見覚えのあるレイアウト。いや、これって——
「ここ……ルーメルの宿じゃねぇか!?」
体を起こすと、アリスが無言で横に立っていた。
ワイヤーは展開していない。転送は成功してたらしい。
セブンも、すでに鞘の中から確認応答。
《状況確認。宿屋“ホワイトベル”の302号室。座標精度99.8%》
「いや精度高ぇな!?」
ベッドの上に、もうひとり浮いていた。
——エナだった。
ふわふわと体勢を整えながら、無表情で俺を見下ろしてくる。
……あ、無表情だけど、ちょっとだけ目がキラついてる。こいつ、たぶん楽しかったなさっきの空中戦。
そして、部屋の隅には——
「ふむ。計算通りの着地だな」
白衣の男が、勝手に座ってお茶を飲んでいた。
いつの間に。というか、ティーカップいつ出した。
「勝手にお茶してんじゃねぇ!」
「落ち着きたまえ。激しい戦闘後は水分補給が重要なのだ」
そう言って、彼は立ち上がる。
腕時計のような端末に数回触れ、何かを設定しているようだった。
「……お前、ほんと何者なんだよ」
古代兵器であるセブンの構造を理解し、改造までやってのけ、妙に"向こうの世界"について詳しい。
それに、あきらかに人間とは思えないアリスやエナを"娘"とか言ってることも——
それを問いかけると、アイツはふっと振り返り…。
「何者、か……」
「嫡出子であれ非嫡出子であれ、婚姻関係の成立によって自動的に親族関係が生じる——私は、君の配偶者の父。つまり、民法上の義理の父だよ」
「違うそうじゃねええええ!!」
オレは全力で叫んだ。
「さて、私はそろそろ行こうか」
「えっ、帰るの?」
「他の娘との約束があってね。
それに、新婚旅行に新婦の父が同行し、初夜そっちのけで"義息子君、義父との絆を深めるために酒でも——"とか言い出した暁には……。
ふふ、夫婦仲も父性も、爆発四散するのだよ」
「そもそも結婚してねぇからな!?あと“初夜”とか生々しいからやめろ!!」
《補足:当該人物のこれまでの行動分析より、"娘との約束"との発言に当ユニットは懐疑的》
アリスが無表情のまま、こちらをチラチラと見る。
エナの中央の巨大な目が、オレに斜めに目線を向けて、なんかモジモジしている。
「オマエらはオレをチラ見すんな!こっちは気まずいんだよ!!」
「ふむ……なるほど、やはり、娘たちとの“初夜”を警戒しているのだな?」
白衣の男は、無駄に神妙な顔でうなずいていた。
「安心したまえ。“どちらから順番に”とか悩まず、いっそ3人で——」
「その台詞、それ以上続けたら“遺言”にするからな!」
白衣の男は気にも留めず……。
「では、諸君。健闘を祈る。
何かあれば——そのポータルで呼びたまえ。たぶん無視するが」
「するな!!」
ぎゅぅぅん、と再び空間がねじれた。
今度は彼だけが、その渦に吸い込まれる。
去り際に、捨て台詞を残した。
「娘との多少アブノーマルなプレイも、私の父性は寛容に許容するつもりだ。
新婚生活を逐一モニタリングするなどという無粋な真似は……しない。たぶん」
「その“たぶん”をやめろッ!!
オレはノーマル!……じゃなくて、そもそも新婚生活なんて最初から存在してねぇからな!!」
——バシュッ。
空間が閉じ、白衣の男は煙のように消えた。
ようやく、部屋に静けさが戻る。
俺は、その場にへたり込んだ。
アリスが黙って水差しを差し出す。
セブンがいつもより軽くなった。
エナが俺の顔を覗き込みながら、なぜか頭をポンポンしてきた。
「……はぁ」
「なんなんだよ、あの人……」
俺は、息を吐いた。
この先に何があるのかはわからない。
でも、少なくとも——
“今だけは”、
静かな時間に感謝していい気がした。




