第2幕『巫女と剣と、とばっちり』
星の巡りが、また変なことになってる。
……っていうか、最近これで何度目? 寝不足で数える気力もないんだけど。
観測室の天蓋に映る星軌図。
線は真っ赤に発光し、重なっちゃいけないポイントでぐちゃぐちゃに交差して、
警告灯がピコピコ——というよりジリジリ鳴りっぱなし。
「はいはい危機的状況、わかってるってば!」
青と金の外套をひとつ直して、ため息をついた。
清楚で落ち着いた“巫女”を演じる装束は、見た目は優雅だけど……動きにくいったらない。
午前中は隣国宛ての報告書を三通、昼は占星会議の代理出席、
夕方には儀式の再計算……。
そこにコレ。完全にオーバーワーク。
「ほんっと、給料分以上働かされてるんだけど!」
半分ため息、半分本気の文句が漏れる。
さらに追い打ちをかけるように、
アストライアグラスの球体が、ふわりと淡く光った。
——仕事、増えた。はい確定。
そのときだった。とつぜん空間に、奇妙な“声”が響いた。
《——LINK CHANNEL ACTIVE.
Requesting coordinate solution from external origin.
Higgs boson: stabilization in progress》
《………外部起点より……座標演算要求》
《オペレータに、時空振安定の補佐を要請。》
「……はあ? どちら様?」
思わず球体にツッコむ。
忙しいっつーの、こっちは。
地味に滅亡フラグ踏まれまくってる星の管理で手一杯なんだけど。
なのに球体の色が、いきなり深緑から赤に変わった。
……やばいやばいやばい。何これ。
——球体に数字が浮かび上がる。
《Ω-collapse ratio:0.91》
《Universal Deviation Rate:92.6%》
……見間違いじゃない。0.9超えてる。
「FCIは…。……っ、Decem!? マジで!?」
思わず端末の前に突っ伏しそうになる。
これはシャレになってない。ていうか何やってくれてんの魔導機関……。
とりあえず、叫んだ。
「じーちゃーん!! 超級フラグ踏まれたー!! デケムよ、デケム!」
ドタドタと足音。
案の定、杖をついたじーちゃんが、モノクルずりかけて飛び込んでくる。
「……アストライアグラスが、外部から干渉を受けておるのか?」
「うん、バッキバキに割り込まれてる。しかも座標指定つき。何様だし」
じーちゃんが、渋い顔でうなる。
「……最近、魔導機関が古代兵器を引っ張りだしたと、聞いておったが。
まさか本当に、起動まで強行するとはな」
「でも、さっきの通信は魔導機関の連中じゃないよ。
あれ、多分、その古代兵器が自分で信号送ってきた」
「……自力で割り込んだ、というのか?」
「うん。座標演算要求とか言ってたし。…あたしらに助けを求めてた…んだと思う」
じーちゃん、眉間のシワが倍になってる。
わかるよ。わたしも今そうなってる。
「魔導機関からの連絡は?」
「ゼロ。ナシのつぶて。いつも通り」
「まったく……古代文明の残滓は、正式な術式で慎重に扱わねば——」
「はいはいその話あと。今はこっちの空間がブチ抜かれるかどうかの瀬戸際ですぅー!」
じーちゃんは笑いもせず、うんざりした顔で言った。
「……ルル。座標をこちらへ引き寄せろ。精度は問わぬ、急げ」
「わかってるってば……もう、ほんと寝かせてくれない世界よね……」
ブレッブレになって、空の彼方に飛んでいきそうな座標を、こっちの座標を基点に無理やり引き寄せる。
アストライアグラスの中心に、光の断面が浮かんでいた。
これ、なんとなく感覚でわかる……。
これは、"異世界召喚儀式"の終端。
向こう側から、誰かが来る。
そして——その“線”は、まるで一本の剣みたいに、空間を裂いていた。
ずぶ濡れの空間が、破れた。
水の膜をぶち抜くような音と一緒に、
誰かが、空間の“こっち側”に落ちてきた。
「うわっ、ちょ、なに、ぬるっ……え!? うわあああっっ!?」
男の子だった。
向こうの世界の学生服らしき服装。
落下というか、上から投げ込まれた感じ。
ひっくり返りながら、真っ逆さまに、床に落ち——
——スタァンっ!
「……うおっ」
——いや、着地成功。すごい身のこなし。
半回転して足から着地って、何者?
「……あ、こっちの言語、通じる?」
思わずつぶやいたら、男の子が目を丸くしてこっちを見た。
「えっ、なにここ。誰? てか、なんか……外に出たと思ったら今度は……」
混乱してる。まあそうなる。
でも、こっちも混乱してるんだけど。
しかもタイミングを見計らったかのように、
後ろの扉が、バッ! と開いた。
「間に合ったか!」
「勇者殿、よくぞ来られた!」
ぞろぞろと、見慣れた顔が何人か。
——魔導機関のご高名な先生方、登場。
内心では「また来たよ」って思ってても、
私はすかさず立ち上がって、腰をかがめた。
「はるばる波濤を越え、この座へとたどり着かれました、
星の巫女、ルセリア・ルーンヴァイス。深くの敬意とともにお迎え申し上げます」
——完璧な敬礼。声のトーンも八割増しで柔らかく。表情も微笑みに固定。
先生方は、どこか満足げにうなずいた。
「ふむ、無事に召喚されたようで何より」
「星の巫女殿。状況の安定を感謝する」
「彼には、そちらから丁寧に説明を頼むぞ。我々は既に王都との回線が——」
——お約束の「丸投げコース」、来ました。
さっさと喋って、さっさと帰る。
ほんとに、それしかやらない。
「畏まりました。
この身に託された響きは、ひとつ残らず、しかと紡ぎ届けましょう」
頭を下げながら、内心では中指を立てる準備をしていた。
扉が閉まりかけるタイミングで、
そっと腰の後ろ——中指を一本、立てる。
顔をしかめて、舌を出して「べー!」と一言、振り返る。目の前の男の子とばっちり目が合った。
「あっ……見てた?」
「うん。がっつり」
「……えーっと」
私は、ちょっとだけ演技モードを入れる。
「貴方が導かれし勇者——この終焉の地に、
希望をもたらすため選ばれし者……云々……」
——あ、ダメだ、もう限界。
「はー、もういいか。……アンタ、災難だったわね」
私はフードを外して、素で話しはじめた。
「なんか性格違くない?」
「こっちが素よ。さっきのは儀式モード?みたいな感じ。
巫女って、だいたい見栄っ張りだからさ。
キミも、さっきみたくポエムみたいな口調で話されるより、今の方がわかりやすくていいでしょ?」
男の子は、
まだ状況を飲み込みきれてない顔してたけど、まあ正直に言うしかない。
「状況の説明、いるよね?」
男の子は、コクコクと頷いた。
「今この国、けっこうヤバい状況なのよ」
私は背伸びしながら話を続けた。
「魔王ってのがいてね。ここ最近、ガチで攻め込んできてるのよ。しかも、そこそこ手強い」
「魔王……なるほど、テンプレだ」
「うん。んで、お国の魔術部門の人たちが、なに血迷ったか古代兵器を起動しようとしたの。
あわよくば、それで“魔王倒しました!”って手柄にできたら……って腹積もりだったんじゃない?」
「それで……オレを?」
「たぶん、その兵器が“適合者”として、アンタを選んだんだと思う。で、異世界から召喚された、みたいな。ざっくり言えば」
「放り込まれたってことか」
「うん、放り込まれた」
私は肩をすくめる。
「でもね」
私は、少し表情を曇らせる。
「その古代兵器、どうも彼らじゃ使いこなせなかったっぽいのよ。
だから——アンタ、扱いきれないってことで“こっち任せ”にされた。放逐、ってやつ」
「……なるほどね」
「で、国としては、王都にいる本命の軍隊で魔王を倒す計画を立ててる。
あくまでアンタは“保険”か、“万が一の捨て駒”って感じ」
さすがに言葉が止まった……。
「つまりまとめると——」
彼はゆっくりと指を折りながら言った。
「オレは聖剣とやらに勝手に選ばれて、
使えるかもって期待されて召喚されたけど、
うまく扱えなさそうだから放置されて、
アンタは“よろしくね”って押し付けられた、と」
「正解。めっちゃ要領いいじゃん」
この子、めちゃくちゃ順応が早い。
正直、助かる。
「あ、そうだ。名乗ってなかったね」
私は、軽くスカートの裾を持ち上げて一礼した。
「ルセリア・ルーンヴァイス。星を読む者。……まあ、"ルル"って呼んで」
男の子は少し戸惑ったように目を瞬かせて、それからようやく口を開いた。
「オレは……リク。ごく普通の、男子高校生。だった……つもり」
「ふふ。じゃあ、よろしくね、リクくん」
そう言ったとき、なんだかほんの少しだけ、彼が肩の力を抜いた気がした。
そこまで言ったところで、球体のアストライアグラスが再び反応した。
再び、中央に、一本の線。今度は黒い。
直線。細い。けど、異様な存在感。
黒く、鋭く、何かを貫くように空間を切り裂いていく。
そのまま音もなく、“それ”は姿を現した。
長い柄。真っ黒な刃。
まるで凍てついた星の破片を打ち伸ばしたような剣。
——to be the next act.