第1幕 『決意と指針』
宿に戻ったのは、日が傾きかけた頃だった。
通信が終わってから、誰も何も言わなかった。
ルルの声はもう届かないのに、耳に残ってる気がして、なんとなく口を開けずにいた。
俺とセブンと、アリス。
中庭に面した古びた二人部屋に戻って、軋む木の椅子に座る。
「……さて。どうするか」
俺が口を開くと、セブンが即応する。
《確認:現時点での最大目標は“帰還手段の確保”。副目標は“魔王の打倒”》
「わかってる。けど、今の俺じゃ……勝てる気しねぇ」
思い返せば、俺がこれまで戦ったのは——
最初の、ルルの街での魔王軍。あれはもう、勢いとセブンの能力でなんとかした。
それから……人攫いのガラッド。アリスと連携して、ギリギリ勝てた。
でも、あれが“魔王の幹部”レベルだったら?
——正直、自信なんて、ない。
「なあセブン。魔王って、どれくらいヤバい?」
《回答不能:魔王に関する確定情報は不足。想定戦力レンジ:地域掃討級〜文明崩壊級》
「うわ重てぇなオイ……」
隣で、アリスが黙って頷いた。
……いや、あれは頷いたんじゃなくて、姿勢調整の挙動かもしれない。なんせ、アリスだから。
「修行、すべきだよな、たぶん。俺がもっと、まともに戦えるように」
でも、どうすれば?この世界に修行道場とかあるのか?自己流の筋トレで、魔王に通用するのか?
机にひじをついて、額を押さえる。
なにか、いい手は……。
セブンが理路整然と話し始めた。
《提案:連続高負荷戦闘による戦闘感覚の習得。街道における盗賊掃討任務に参加することで、実戦的データの取得が可能》
「いや、それ普通に死ぬ可能性あるよな?」
《補足:死亡率はやや高め》
「“やや”ってレベルか?」
アリスがすかさず口を挟む。
「提案:私のワイヤーで、筋肉に外部からの強制収縮刺激を加え続ける訓練はいかがですか」
「それもう拷問だよね?」
「耐久度の向上に加え、精神ストレスへの適応も期待できます」
「いや、拷問だよね??」
俺はため息をつきながら、机にひじをつく。
正直、セブンの案が、一番現実的かもしれなかった。
盗賊退治——危険ではある。でも、実戦経験を積むって意味では、確かに“最短”だ。
でもなぁ……。
「……人間と命のやり取りする覚悟なんて、まだねぇよ」
ぽつりとこぼれたその言葉に、アリスが一瞬だけ、こちらを見た気がした。
気のせいかもしれない。あいつの目線はいつも無表情すぎて、読み取れない。
この世界に“ゴブリン退治”なんて都合のいい仕事はない。
敵がいれば、それは本当に“人”で、命を賭けた戦いになる。
やるなら、本気でやらなきゃ、こっちが死ぬ。
でも——アリスと連携すれば。
「……不殺、でいけるかもしれねぇな」
ワイヤーで拘束して、セブンで気絶させる。急所は外す。
そもそも俺は剣のプロじゃない。殺すために戦うのは、どこか違う気がしてた。
……それでも、今よりマシだ。
このまま、何もできないままじゃ、戦う資格すらない。
——そのとき、ふと目に止まった。
机の端に、無造作に転がってる銀の円盤。
ポータル。あの、うさんくさい白衣の男から、以前押し付けられたものだ。
触れるのも正直イヤだったが、つい手が伸びてしまった。
……そういえば、アイツ。
あの時、俺たちのことを、やたら詳しく知ってた。
俺が異世界人ってことも、魔王のことも、セブンが古代兵器ってことまで。
この世界や、魔王のことに詳しくて。
俺やセブンの事情も知ってて。
なんか打開策を、思いつきそうなヤツで——
「……いや、でも。あいつかよ」
思わず声が出た。
あんな、うさんくさくて、ギラついた笑い方で、妙に“パパ”ぶってくるヤツに、また会うのか?
けど——他に、今の俺に打てる手が、あるか?
「……詰んでんな、オレ」
俺がポータルを指でつまんで、くるくる回していたそのとき。
アリスがぴたりと動きを止めた。
「それは……何ですか?」
声をかけたのはアリスだった。目線は俺の手元、ポータルに釘付けだ。
「え? ああ、これ? こないだ変な白衣の男が——」
「それは嫌な予感がします。危険です。手を離して……いえ、廃棄して……いえ、今すぐわたしが破壊します」
「いやいや!? 落ち着けって! ただの通信ツールだって、たぶん!」
次の瞬間、アリスが無言で詰め寄ってきた。
その目に、初めて見るような“本気”が宿っていた。
「待てって!わかった、触らないから、ちょっと話を——」
俺がそう言いかけた瞬間、
「破壊します」
シュッ、という風切り音。
アリスの袖口から、銀色のワイヤーが射出された。
「うおッ!?」
俺は咄嗟に立ち上がり、椅子の背を蹴って飛ぶ。
そのままテーブルを軸に、半回転で着地。
狭い室内でも、身体が勝手に動いてくれる。こういうときだけは、昔のパルクール経験に感謝してる。
だが。
「迂回します」
アリスは無感情なまま、二の腕から追加のワイヤーを射出。
二方向から俺の足を絡め取ってきた。
「マジかよ!?」
避けきれず、足元を掬われ——
ドン、と床に押し倒された。
そして。
——目の前に、アリスの胸部があった。
「……」
「……」
そこには、まったく機械的で冷たい表情のまま、俺を押さえ込むアリス。
そして、顔に触れたのは、意外にもふんわりとした感触だった。
いや、待て。
アリスって、なんて言うか、ロボット?だよな?
なんで柔らかい!? どこの素材が!?緩衝材とか!?
「いやいやいや違う、落ち着け俺、今はそういうタイミングじゃない!!」
俺がジタバタともがいたちょうどその時。
……ポータルが、光り始めた。
セブンが即座に反応する。
《警告:エネルギー反応を検知。該当機器は“任意通話型魔導転送装置”——》
「ちょ、ちょっと待て!? 呼んでねぇからな!? てか、転送ってなんだよ、おい!? 今この状況でそれはマズいって!!」
そして——
部屋中に、あの男の声が炸裂する。
「やあ、愛しき我が息子よ!!!」
……最悪の予感は、物理的にも精神的にも、全部まとめて当たった。




