第7幕『帰る場所と進む道』
俺は、通信端末の前で額を押さえていた。
なんていうか——頭が痛い。物理的にも精神的にも。
アリスとルルのバチバチ、セブンの機械翻訳会話、その間で戸惑う俺。
さっきまで広場で子供に手を振ってたのに、今は魔導通信で世界情勢を聞かされてる。
展開早すぎだろ……。
そんな俺の前で、ルルが淡々と口を開いた。
「あと、王国軍は撤退を決めたわ」
ルルの声に、俺は思わず聞き返す。
「はぁ!? オレが出発してから、まだ十日くらいしか経ってないだろ?」
「その二十日前から進軍してたのよ。だから、だいたい一か月での敗北ってことになるわね」
……一か月。
思ってたより、ずっと早い。
「展開、急だな。のんびりしてる暇なんてなさそうだ」
「防衛線はまだ踏ん張ってるから、今日明日どうこうって話じゃないけどね。
でも——アンタ、いったんこっちに戻ってきなさい」
「え?」
ルルはモニターの向こうで、少しだけ言いづらそうな顔をした。
「……まだ何もわかってないけど、ウチの研究班に“元の世界に帰る方法”を調べさせてる。
アンタが今どこを目指してるのか知らないけど、今はそれ以上に、情報の整理と準備が必要な時期よ」
「泊まる場所はウチでいいから——こっちで、しばらく落ち着いてなさい」
彼女の口調はどこまでも冷静で、正論だった。
……けれど、そのあとに続いた言葉は、どうにも理屈っぽくなかった。
「あっ! でも勘違いしちゃだめよ!? 一緒に住むって言っても、別に“同棲”とかじゃないから!」
「居候だから! お風呂で裸でバッタリとか、そういうラブコメ的なヤツは期待しちゃだめだから!」
俺はしばらく黙ってから、ゆっくりと言った。
「……いや、このまま進むよ。もう決めたから」
ルルが目を見開く。
「何よ、もう決めたって……!」
——ふと、あの時のことが脳裏をよぎる。
召喚されてすぐ、初めて踏み込んだ戦場。
魔王軍に襲われて、腕の中で泣き叫ぶ赤ん坊を、必死に庇おうとした母親。
命のやりとりが、あまりに唐突で、現実離れしていて。
それでも確かに“死”がそこにあった。
そして今、視界に映るのは、平和な街で笑いながら遊ぶ子供たち——
「この世界に来てから、まだ全然分かんないことばっかだけどさ。
でも……セブンと一緒に旅してて、なんとなく分かった気がするんだ。
……オレ、“戻るために何かを探してる”ってより、まず“進まなきゃ見えない”気がしてさ」
ルルはしばらく何も言わなかった。
——でも、そのあと。
彼女は、少しだけ目を伏せて、静かに言った。
「……わかったわ。でも——“帰って来ていい”ってこと、忘れないで」
通信が切れる。
俺はしばらく、その揺らいだ空間を見つめていた。
のんびり世界に慣れるとか、強くなるとか——そんな悠長な段階じゃ、もうないのかもしれない。
でも、それでも——
「進むって決めたんだ。ちゃんと、最後まで見届けよう」
……それに。
一人で放り出された俺に、「帰っていい場所」があるってのは——
それだけで、けっこう心強いもんだ。
どこまで行っても、背中を押してくれる感覚がある。
……歩き出す力になる、ってやつだ。
「……しかし、ルルとのお風呂イベントか……。ちょっと、もったいなかったかな」
思わず口をついて出たその一言。
《評価:軽率。抑制力、15%減少と判断》
「うるさいわ!」
即座にセブンの冷静すぎるツッコミが飛んできた。
そして——
「……“お風呂イベント”とは、生活機能の一環。過剰な感情的価値を付与する行為ですか?」
アリスがふいに口を開いた。
淡々と、無表情のままで。
「え? いや、別に変な意味じゃ……ないとは言いきれないが……」
《当ユニットの弁明補助モードの開始を推奨》
「やめてくれセブン、フォローする気ないだろ絶対!」




