表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第1話『世界でいちばん重たい相棒』
2/30

第1幕『いつも通りの、放課後の風景』


 チャイムの音が鳴り終わると、教室が一斉にざわめいた。

 椅子のきしむ音、バッグのファスナーを開ける音、しゃべり声。

 いつも通りの、放課後の風景。



 ノートを閉じて、ペンを筆箱に放り込み、

 ゆっくりと席を立つ。


 何気なく窓の外を見上げて——すぐに、視線をそらした。


 今日もある。

 空中に、ひび割れが。


 

 黒い線が、天井とロッカーのあいだの空間にふわりと浮いていた。

 ガラスでも、壁でもない。空そのものに、割れ目が走っている。

 しかもそれは、じわじわと動いてる。脈打つみたいに。



 ……やっぱり、消えてない。


 一応、眼科にも行ってみた。視力も、網膜も問題なし。

 先生は「ストレス性の幻視かもしれませんね」って言ってたけど──



 「おーい、リク〜。置いてくぞー」


 のびた声が廊下の方から飛んでくる。


  教室の入り口からひょっこり顔を出した同級生は、まるで何もないかのようにヒビ割れに、堂々と顔を重ねてしゃべってる。


 ……ヒビは、何の反応もない。


 あのヒビが、見えてるのは……たぶん、オレだけ。



 「ヒロト、また遅刻スレスレだったろ」


 声をかけると、ヒロトはのんきに手を振った。


 「いーじゃん、小一からずっと隣の席だった俺に、今さらマジメかよ?」


 「今は隣のクラスじゃねーか」


 オレは小さく笑いながら、ノートの端を折ってバッグに詰め込む。


 「心の隣席、な?」


 ヒロトが自慢げにウインクする。

 

 「気持ち悪っ」


 バッグを肩に引っかけて、彼の後ろに続く。


 


 下駄箱の前で、ヒロトが急に振り返る。

 靴を取り出しながら、ニヤリと口角を上げる。


 「そういや聞いたぞ、駅前でひったくり捕まえたって?」


 「うん、ちょうど近くに居たから」



 オレが淡々と答えると、ヒロトは眉をひそめ、信じられないって顔をした。



 「“ちょうど”で捕まえたやつが、どこにいる。3階の吹き抜けから飛び降りたって聞いたけど?」


 「飛び降りてはねーよ。ちゃんと、途中で手すりに体引っかけながら降りた。スピード落としながら」


 「……どっちにしろ人間の動きじゃねーからな、それ」



 苦笑しながら、ヒロトは靴のかかとをトントンと鳴らした。



 「前にやってたじゃん、パルクール。感覚戻った?」


 「別に、戻したわけじゃない。勝手に動いただけ」




 ロッカーを閉め、ゆっくりとしゃがんで靴を履き替える。

 その横で、ヒロトがふっと視線を落としてつぶやく。


 「……やっぱ身体能力はバケモンだな。

 なんで運動部とか入らなかったんだ?」

 


 オレは一瞬、言葉に詰まる。


「……なんか、違う気がしてさ」



 この世界に馴染めない、とか。

 ここは自分の場所じゃない、とか。


 そんな大げさな話じゃないんだけど——

 どうにも、“入っていけない”感覚が拭えない。


 

 「まあいいけどな。俺は文化部派だし〜。てか今日は帰んの早えのな」


 「親父、今日はかなり遅くなるらしいから。飯はオレで適当に準備しとかねーと」


「そっか、ならまたあとでなー」


 


 ヒロトと別れて、校門を出る。


 西日が眩しい。

 遠くで蝉が鳴いている。

 空には、今日も黒いヒビが浮かんでいた。


 


 アパートに着くと、静けさが全身にまとわりついてきた。

 ただいま、と声を出しても、返事はない。

 いつものことだ。


 


 リビングの隅の仏壇に手を合わせる。



 仏壇、と言っても、立派なもんじゃ無い。小さな文机の上、父さんがネットで買ったらしい簡易セット。


 ろうそくも線香も全部“火を使わないやつ”。



 その隣に、なんでかオレの小学生時代のパルクール大会のトロフィーが並べられている。



 本人には言ってないけど、正直ちょっとやめてほしい。


 ——そこに飾る意味が、わからない。


 

 「……ただいま、母さん」


 母の遺影が、微笑んでいた。

 色褪せないままの写真。



 母というか、若すぎる。

 今のオレの年齢で見ると、完全に“お姉さん”だ。


 クラスのダチが、ウチにダベリに来たとき、「なにこの人、めっちゃくちゃカワイイじゃん!!」とか言ってたっけ。



 その下には、白い位牌。



 「といってもさ」

 ふっと声が漏れる。


 「この人との思い出なんて、ひとつもないんだけどな」


 

 ——当たり前だ。

 オレを産む代わりに、死んだんだから……。



————



 パチパチと、フライパンから音がする。


 冷蔵庫の残りもので作った野菜炒めと、インスタントの味噌汁。

 たいした手間はかけてないけど、うちの男二人にはこれで十分だ。


 

 「お、いい匂いしてんなー」


 玄関のドアが開く音に続いて、父の声がした。

 スーツのまま、キッチンを覗き込む。



 「おかえり。風呂、先入る?」


 「いや、腹減った。先メシにする」


 食卓に湯気が立つ。

 父は缶ビールを一本だけプシュッと開けて、椅子に腰を下ろす。


 「いっただきまーす」

 「いただきます」


 

 二人きりの食卓。

 テレビもスマホもなしで、ただ飯を食う時間。

 これが、わりと好きだ。



 「どうだ、学校。ちゃんとやれてんのか」


 「んー……先生の話は8割スルー。でも一応、卒業は目指してる」


 「ははっ、上出来じゃねぇか」


 父はそう言って、ぽん、とオレの肩を叩いた。

 その力加減が、なんかちょうどいい。


 

 「友達とも、うまくやれてんだろ?」


 「まあね。ヒロトとかは、放っとくと毎日くっついてくるし」


 「だろうな。あいつ、昔から人懐っこいもんな」


 「ノリも声も、ぜんっぜん変わんない。安心するっていうかさ」


 いつも通りの、よくある会話。

 だけど——父がふと、口を止めた。


 

 「……なあ、リク」


 「ん?」


 

 「これから、お前……。ちょっと、しんどい目にあうかもしれん」


 

 フォークを止めた。

 父は笑ってる。でも、どこか寂しそうでもある。


 

 「俺には、直接どうこうしてやることはできん。

 けど、お前なら……きっと乗り越えられる」



 なにそれ、とオレは笑った。


 「なんだよそれ。社会に出ると大変だぞって話? まだ高2なんだけど」


 「まあ、そんなとこや」


 父も笑った。あっさり流したように見えて、その笑顔には何かがにじんでいた。


 


 でも、オレは特に気にしなかった。


 父親ってのは、そういう“らしいこと”を言いたくなるものだ。

 思春期の子ども相手にはなおさら。


 


 だからそのあと、普通に食器を洗って、

 父が風呂から出るまでのあいだ、いつも通り制服のままベッドに転がった。


 ただ、ちょっとだけ思った。


 

(“しんどい目”って、何の話だったんだろう)



————



 夜。


 父は急な会議とかで、会社に呼び出された。

 海外とのリモート会議で、この時間になったそうだ。


 エラくブラックな職場だけど、管理職になるとこんなもんらしい。

 本人は「この方が性に合ってる」って笑っていた。


 

 別に、家に一人で寂しいなんて歳じゃないが、

 なんとなく、ベッドに転がったままダラダラしてる。


 スマホの画面を指でスクロールして、既読もつけずに閉じる。

 目は開いてるのに、頭の中がぼんやりしていた。


 

 (……なんか、変な日だったな)


 朝も“ヒビ”が見えてた。でも、それだけじゃない。


 放課後に見上げた空。

 雲の切れ間に浮かんでいた、あれは……ヒビ、じゃない。

 なんというか——穴だった気がする。


 

 気のせいだ、って思ってもいい。

 でも、そう思おうとすればするほど、胸の奥がざわつく。


 そろそろ、風呂でも入るか……。

 沸かしたは良いが、父さんは入る前に会社にいったし、お湯が冷めても、もったいないしな。


 ——そんな事を思いながら、部屋の天井を見上げる。

 四角い天井灯のまわりに、何かが揺れている気がした。



 風もないのに、天井の隅が……震えてる?


 ……いや。

 あれは、“震えてる”んじゃない。



 割れてる。

 空間そのものが、ひと筋、ヒビを入れて——

 そこから、何かが覗いている。


 

 目が、離せなかった。

 金縛りにあったみたいに、体が動かない。



 光が吸い込まれていく。

 音が消えていく。

 床が沈む。空気が歪む。


 部屋の中のすべてが、少しずつ……"浮いていく"。


 スマホが、テーブルの上からふわりと浮かび上がる。

 カーテンが波打つ。

 髪が、下から風を受けたみたいにゆれる。



 言葉にならない感覚。

 呼吸の音すら、遠くなる。


 (……これ、やばい)



 反射的に手を伸ばす。

 でも、掴めない。何も、どこにも、力がかからない。



 ——空間が、剥がれていく。


 

 目の前の空気が、破れるように開いていく。

 その奥に、知らない風景があった。

 空でも、壁でもない。異常な光と、知らない色の空。


 体が、その穴へと、吸い込まれていく。


 「っ……!」


 声を出そうとした瞬間、すべてが反転した。


 

 部屋が、重力が、現実が、裏返る。


 その感覚だけを残して、オレの意識は——落ちた。




——to be the next act.

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ