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境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第1部5話『機械仕掛けの優しさと、巫女の爆発』
19/80

第2幕 『歯車の少女は、油差しを忘れない』


 朝の空気は、昨日よりも少しだけ冷たかった。

 鼻の奥に、湿った土と煙のにおいが残っている。

 夜明け前に誰かが焚いた薪の残り香が、まだ空に漂っていた。


 昨夜は、街外れの古びた旅籠に泊まった。

 布団は埃っぽかったし、トイレは外だし……まぁ、それは我慢できる。


 問題は、部屋の中の空気だ。


 アリスとセブン。

 会話のたびに、見えない火花がバチバチ飛んでる。


 別に怒鳴ったりはしないけど、こう……無言の殺意?みたいな。



 そのくせ二人の会話はやたら冷たい。

 布団の中にいても、背筋にじわじわ寒気が伝ってくる感じだった。


 俺は寝る前に、ひとりで天井を見ながらつぶやいた。


 「やばい、胃がもたれる……」


 そんな気疲れを引きずったまま、朝は早めに目が覚めた。




 旅籠の裏口から抜け出すと、ひんやりした石畳の感触がブーツ越しに伝わる。

 まだ街は本格的には動き出しておらず、家々の間を漂うのは、眠気を含んだ静けさだった。




 ふと、路地の先に白い姿が見えた。


 「あれ……アリス?」


 呼びかけると、彼女は足を止めて、振り返った。



 「……おはようございます」


 小さな声だった。でも、ちゃんと聞こえた。

 それだけで、少しホッとする。



 「水? っていうか、手伝おうか」


 「……不要です」



 ピシャリと来たな。

 でも、すぐに歩き出す彼女の背中は、どこかいつもより軽かった。


 俺は苦笑しつつ、その後ろを追いかける。




 目的地は、街の外れにある旅人用の井戸だった。


 アリスは手際よく、錆びた滑車を引き、水桶に水を汲んでいく。


 無駄のない動き。静かに、確実に。



 水面が太陽を映して揺れている。

 冷たいしぶきが足元の石に跳ね、そこだけ暗い色に変わっていった。


 ……その手を止めると、今度は小さな小瓶を取り出した。



 「それ……オイル?」



 「……整備用。潤滑剤です」


 そう言って、彼女はブーツを脱いだ。

 甲を包む革の感触がはずれると、機械の脚が朝の光を鋭く弾いた。


 その肌──いや、装甲と呼ぶべきか──は、無機質なはずなのに、どこか柔らかく見えた。

 表面の曲線が、やけに人間的で。



 アリスは静かに、器用に、油を指にとって塗り込んでいく。

 足の甲、くるぶし、指の関節。


 香ばしい機械油の匂いが、ほんのりと漂った。

 それはどこか、昔の自転車修理を思い出させるような──そんな、懐かしいにおいだった。


 「……自分でやるんだな、そういうのも」


 「……仕様です」




 言葉は簡素。でも、動作は丁寧だった。

 油を塗る指先には、なんとなく“慣れ”だけじゃないものを感じる。


 「そういうの、さ。必要ないって言われても──やっちゃうこと、あるよな」



 アリスは少しだけ、こちらを見た。

 目は無表情のまま。でも、見てくれた。


 「……理解、は、できます」


 「……へえ」




 俺は、なんか嬉しくなってしまった。


 《行動解析完了:本件、定期的な自己整備と推定。習慣化されたルーチンの可能性あり。補足──感情反応の有無は未確認》


 「心があるとか、そういうのじゃないんだよな。たぶん。……でも、そういう手付き見てるとさ」


 《擬似感情に基づく動作最適化の可能性》


 「……うん、ま、そういうことにしとこ」




 アリスは作業を終えると、立ち上がり、水桶を持ち上げた。

 革のブーツを履き、服の裾を整え、何事もなかったかのように歩き出す。


 ただの整備。

 ただのルーチン。


 でも、なんとなく。


 「……大事にしてんだな、自分のこと」



 アリスは何も答えなかった。

 でも、少しだけ足取りが軽くなったように──見えた気がした。




——to be the next act.

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