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境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第1部5話『機械仕掛けの優しさと、巫女の爆発』
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第1幕『人形と旅人、街道の市でパンを買う』


 朝の空気が、少しだけ湿っている。


 昨夜の霧がまだ尾根の低地に残ってて、空気がどことなく土っぽい。

 それでも太陽がしっかり昇ると、街道沿いの集落には、今日も人と声と匂いが溢れていた。


 街道市カイドウイチ

 中規模の城塞都市の外れで、定期的に開かれる露店の集まり。

 畑の余り物を持ってきた農夫と、安い布を切り売りする職人と、道具を直す鋳掛屋いかけや

 その合間に、塩漬けの魚や干し肉をぶら下げた行商の小屋車が軋みを上げていた。


 乾いたパンとチーズの匂い、ヤギの尿、男たちの汗、焦げた油、香草……

 空気だけで腹が減ってくる。



 「うわ……すげぇな、これ」


 《定常経済活動の一種。情報収集および物資補給の好機。ユーザーの購買行動を強く推奨》


「……うん、まあそれは分かるけどさ……」




 街道市の入口はもう、人と荷車とロバでごった返していた。


 空気がちょっと埃っぽくて、湿った麦の匂いが漂っている。


 売り子の声、馬のいななき、踏み固められた泥のぬかるみ……その全部が、“この世界に生きてる”って感じがして、ちょっとワクワクする。




 でも、アリスにはそういうの、たぶん一切ない。


 彼女はまっすぐ進んでいく。

 避けるとか、譲るとか、そういう発想はまるでない。


 そして——そのとき。


 桶を肩に担いだ大男と、ちょうど角のところで鉢合わせた。




 ぶつかる——


 と思った瞬間、アリスはわずかに角度を変えてすれ違う。

 ぎりぎり当たらなかった。けど、桶の水が跳ねて、大男の服に少し飛び散った。


 足が止まる。



 でかい。筋肉ゴリゴリの腕に、日に焼けた首、鼻には目立つ傷跡。



 ぶっきらぼうにアリスを見下ろして、一言。




 「……気ぃつけなよ、お嬢ちゃん」


 声は静かだった。

 でも、アリスの反応はもっと静かだった。



 「接触判定なし。問題ありません」


 うわ、最悪の返しきた……!


 俺は瞬時に察して、頭を下げた。




 「すみません!ウチの……妹がちょっと、空気読むとか、そういうの苦手で!」


 男はしばらく、無言でアリスを見ていた。


 その目が、少しだけ柔らかくなった気がした。


 「……いや、いいさ。俺にも、あんたくらいの歳の娘がいるんだよ」


 桶を地面に下ろしながら、ふっと笑う。


 「服、汚れてねぇか?水、ちょっと跳ねたろ」


 「衣類表面に問題はありません。支障はありません」


 「……そっか。……まあ、そんな感じの子もいるよな。なあ、にいちゃん——」



 今度は俺の方を見た。


 「……妹さんか? 遠くから来たのか?」


 「あ、はい。ちょっと旅の途中で……」


 「そっか。だったら、しっかり守ってやんな。こういう場所、意外と物騒だからよ」


 その言い方が、なんか、すごく自然で優しかった。



 「……ありがとうございます」


 そう言って頭を下げると、男は笑って、桶を担いで去っていった。


 《補足:視覚印象と実行動の乖離。対象個体、信用係数上昇》


 「いやそれ、お前が言うか!?」



 って言いながら振り返った時には——

 もう、アリスがいなかった。


 「……は?」


 さっきまで確かに、すぐ隣にいたはずだ。

 前を見ても、後ろを見ても、それらしい姿が見当たらない。


 長い黒髪の巡礼服なんて、目立つはずなのに。




 「おいセブン、彼女どこ行った!?」


 《反応追跡中。……先行行動を検知。50メートル先、パン屋方向》


「はえーよ!!」



 雑踏をかき分ける。

 乾いた泥と人の匂いが混じって、空気がどんどん熱くなる。


 「まったくもう……!」




 焦りと同時に、どうしようもない“保護者感”が込み上げてくる。


 そしてようやく見つけたときには、

 目の前で、パン屋の行列が喧騒の渦になっていた。




 売ってるのは、丸い黒パンと、小ぶりの干し葡萄パン、それから“贅沢品”扱いの白パン。

 この世界じゃ、白いパンってのは小麦の粉を細かく篩ったやつで、要するに“手間が高い=金が高い”。


 それを目当てに、貴族の小間使いや見栄っ張りの主婦連中がこぞって並んでる。



 その行列の、ちょうど真ん中あたり。

 誰よりも無表情で、誰よりも周囲を無視して、アリスが突っ立っていた。


 「……おい、ちょっと待て。お前並んだの? え、ていうか、どこから入った?」


 「進路上に空間的な余白を確認。最短ルートを通過しました」


 《補足:あらゆる社会的文脈を無視した行動パターン。推奨されない》


 「うわ、セブン、口調がちょっとキレてる……?」


 《事実を述べているだけだ。なお、対象行動は“シミュレーション結果の再現性が著しく低い”。端的に言えば、空気が読めない》


 「わぁ、AIのくせに一番人間っぽい言い方したな……」




 列のあちこちから、ざわついた視線が刺さる。


 「何あれ……」「列抜かしたよな……」「あれ修道女じゃないのか?」


 本人はまったく気にする様子がない。

 パンの種類を見比べるわけでもなく、まっすぐ一番前へと進んでいく。


 「……あー、すみません!ウチの子、ちょっと順番って概念が薄くて……!」


 慌ててフォローに入る。




 あくまでウチの子。ウチの妹、ウチの従者。いくらでも言い方はあるけど、いちばん揉めずに済むのが“ウチの子”だって、もう分かってきた。


 俺が列の後ろに並び直し、アリスを引き戻すと、露店のオヤジがわざわざオレたちの所まで歩いてきて、無言でパンを差し出してきた。

 渡されたのは黒パンと、ちょっとだけ固いチーズの端切れ。


 「あの、代金は?」


 露天のオヤジは、オレに囁くように耳打ちした。


 「……その子、あんたの連れか?」


 「あ、はい。いちおう」


 「……なら金はいらねーよ。あんな顔されたら、やらねぇわけにいかねぇだろ。

 事情は知らんが、大変だろう?」



 ……あれで、“可愛い”のか?

 いま初めて、こっちの世界の美的感覚に一抹の不安を覚えた。



 「なあセブン、お前から見て、アリスってどうなんだ?」


 《解析結果:突発性の高い行動、構造的な優先順位の無視、社会的妥協力ゼロ。評価は“統制困難”》


 「なんでそんなにキレ気味なの……?」


 《補足:彼女のような不規則系との連携は、全体戦略の齟齬要因となる。信用係数はユーザーより80%低い》



 あ、これ本気で気に入ってないやつだ。


 「ま、まあ、慣れれば……いい子だと思うよ?」




 アリスはパンを持って、静かに立っていた。

 食べる様子も、匂いを嗅ぐ様子もない。ただ、持ってる。



 もしかして、と聞いてみた。


 「それ、食べないの?」


 「食事によるエネルギー変換機能は、非搭載です。必要ありません」


 「でも買ったよな、それ」


 「“この場で適切な行動”として、購入行動を実施しました」


 あー、つまり“食べる”じゃなくて“買う”が目的だったのか。

 いや、どっちにしろズレてる。


 「……セブン。ちょっと優しくしてやれよ。たぶん彼女、そういう仕様なんだって」


 《了解。以後、辛辣表現を抑制する》


 と言いつつ、口調に棘が残ってるの、知ってるからな。




——to be the next act.

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