第3幕『人攫いのガラッド』
剣を抜く。重さはまだ軽いまま。
セブンの質量は“走れる範囲”に抑えてある。今はまだ、タイミングじゃない。
草の上に足を滑らせた瞬間、斜めから飛んできた斬撃。咄嗟に伏せてかわす。
「ッ、このっ……!」
すぐにもう一人が横から突っ込んでくる。槍。踏み込みが浅い。右へ回避。
回転しながらセブンを振るが、刃はわずかに空を切った。
空間が、広すぎる。
起伏がなく、跳ぶものも、掴むものもない。
——動きにくい。
「……駄目だ、足場が“死んでる”」
オレは空間を使う戦い方しかできない。
障害物も支点もない開けた野外。そもそもここ、パルクール向きじゃねぇ。
数で囲まれ、斜面で移動すれば足を取られる。
しかも、相手は無策じゃなかった。
「左、仕留めろ!」
「三番、後ろ取れ!」
さっきのヤバいやつが、後方で淡々と指示を飛ばしてくる。
全員、慣れてる。
単なる人攫いじゃねぇ。
まるで、特殊部隊とか軍隊みたいだ。
「ッ、ぐ……!」
剣を交差させて刃を受け止める。が、もう一人が横合いから殴りかかってくる。
セブンで受けても、二人目の攻撃に対応できない。
一歩、下がる。もう一歩。
まずい、このままじゃ——
そのときだった。
ぴしゅっ。
風を切る音。続いて金属の“何か”が刺さる音。
「うあっ!?な、なんだ!?」
オレの目の前、敵の肩口に何かが食い込んでいた。
銀色の線。極細のワイヤーのようなものが、斜め上から一直線に突き刺さっていた。
……いつの間にか、少女が動いていた。
さっきまで、ただ立っていたはずの彼女が、今は敵の背後——
草を一枚も揺らさず、無音で踏み込んでいた。
冷たい瞳のまま、両腕をわずかに動かす。
「第一支点、射出完了。次、左手より補助軌道……展開します」
言ってる意味は分からない。だが、その動きは確かだった。
ワイヤーがもう一本、別の男の脚を絡め取る。
「動けねぇ!?なに、これ……!?」
その一瞬の隙を、逃さない。
「ありがとな!」
踏み込む。重心を低くして、セブンを“叩きつけるように”振る。
質量はその瞬間だけ、ワンランク上げた。相手の刃ごと押し潰す。
「ッらぁッ!」
地面に転がる敵の剣が、乾いた音を立てて跳ねた。
気づけば、もう一人の肩にも、少女のワイヤーが巻きついていた。
わずかに身体が引かれた瞬間を狙って、後頭部に蹴りを一発。沈む。
——気づけば、六人中、五人は地に伏していた。
息が上がる。
汗が首筋を伝う。
それでも——なんとかなった。
……いや、まだだ。
一人だけ。
あの男だけは、ずっと動いていない。
腕組みを解き、ゆっくりと歩いてくる。
「へぇ……やるじゃねぇか、おふたりさん。まさかここまでやるとは思ってなかったぜ?」
口調は変わらない。だが、その目は、さっきよりもずっと静かで冷たい。
「さて、ここからが本番だ。こっちはこれで、やっと楽しめるってワケだ」
男が剣を抜いた。
その刃が、陽にきらりと光る。
男が剣を抜く。
細身だが長い。刃には無数の傷跡があった。戦い続けた証だ。
ひとつ呼吸を吐いて、男はゆっくりと顔を上げた。
「……名乗っとくか。俺はガラッド。傭兵上がりの、今は人攫い業」
一拍。
男の目がこちらをまっすぐに見据える。
「……おい」
低い声が、風に混じって届く。
「お前らの名前は?」
あ——それ言わないといけないんだ。
「あ、ああ、えっと……」
不意打ち気味の問いに、思わず少し背筋を伸ばした。
「オレは、ミナセ・リク。……いや、まあリクで」
隣で少女が一歩前に出た。
「LC-01-A-03、アリス・リドル。と登録されています」
ワイヤーを微かに震わせながら、まるで定型文のように告げる。
「……グラビティヒーロー・リク……か」
ガラッドの口元がわずかに歪んだ。
「……いい名だ」
「……あっ、うん。いや、そこ真顔で拾うんだ……?」
茶化す様な気配はない……。
この人、本気だ。
自分で名乗っちゃったのに何だが、なんか照れくさい。
《情報処理補足:ユーザーの心拍変動。照れ》
「やめろセブン、そういうの実況すんな……!」
顔が熱くなるのをごまかすように、セブンを握り直した。
その瞬間、ガラッドが踏み込んだ。
速い。
「——っ、来るぞ!」
《初動加速度:9.8 m/s²。予測回避開始》
言われる前に動いていた。
斬撃を読み、ギリギリで紙一重のバックステップ。
「はっ!」
反動を活かして横から斬り返す。が——
「甘ぇよ!」
ガラッドの剣が、オレの斬撃をなぞるように滑った。
かちり。
刃と刃が、わずかに噛み合ったまま押し返される。
「……マジかよ……っ」
セブンの質量、軽すぎたか?
いや……違う。
斬撃の当たるタイミングをずらされた。
一撃のたびに、骨の奥が痺れる。
あの目だ。感情を乗せないまま、正確に急所だけ狙ってくる。
反応が遅れれば、一発で終わる。
足が、じりじりと下がっていく。
——そのときだった。
「ワイヤー展開。第一支点、射出」
背後から少女の声。
銀の線が空気を切って伸びる。ガラッドの脚を絡め取るように——
「……よぉ、次はそっちか」
足を引っかけられたはずのガラッドが、膝を落として体勢を変える。
次の瞬間には、ワイヤーの張力を利用して逆に跳び、
空中から少女に一閃を振るっていた。
金属音。
彼女は、咄嗟に反対の手からワイヤーを飛ばして剣を弾き、ギリギリで身を反らして回避。だが裾が裂けた。
「ふっ、惜しいな。もう少しで触れたのに」
着地の土煙からガラッドが現れる。
「二人とも悪くねぇよ。けどなぁ……バラバラに攻めたって俺は崩せねぇぞ?」
笑ってる。完全に遊ばれてる。
「……ダメだ。今のままじゃ、各個撃破される」
ワイヤーも質量操作も、それぞれ強い。
でも、それだけじゃ、この男には届かない。
どうする?
どうすれば——
「……なあ」
隣に並んだ少女に、声をかけた。
「オレらのタイミングに上手く合わせるとか、できる?」
「可能です。“支点生成”と“補助軌道”、切り替えます」
「えっ、わりと即答だな!? こっち初対面だけど!?」
——返事はなかったが、
その瞬間、ふわりと少女の衣がほどけた。
水色の袖が、両腕から静かに滑り落ちていく。
腰のあたりでスカートの布地がわずかに浮き、内側のフックがひとつ、またひとつと静かに外れていく音がした。
気づけば、服の輪郭が変わっていた。
肩は露わになり、スカートはひと回り短くなっている。
まるで、巡礼服の外側だけを脱ぎ捨てて、何か“別の役割”の装いが現れたみたいだった。
風もないのに、黒髪がゆっくりと揺れた。
その姿に、ゴクリと喉が鳴った。
可愛いとか綺麗とか、そういう意味じゃない。
露出した二の腕と太腿に、わずかな違和感。
質感。線の入り方。
それは肌というより、何か作られたもののようで——
関節が、わずかに“カチリ”と鳴るたびに、現実感が遠のいた。
「……っ、おい……」
思わず声が漏れた。
関節部が球体状に構成された、機械のような肘・手・膝。
皮膚は金属質というワケでは無く、普通の肌……に見える。だが、動くたびに小さく“カチリ”と音が鳴る。
手の甲、二の腕、太腿。
ワイヤーの射出口が、すでにうっすらと展開し始めている。
「この子……人間じゃ……ない?」
思わず声が漏れた。
ガラッドも、さすがに目を細めた。
「おいおい……そういうモンか。こりゃまた、ずいぶんと精巧な……」
アリスが、太腿の射出口からワイヤーを伸ばし、自身の身体を地面にしっかり固定。
次いで、手の甲と二の腕からワイヤー射出。空間を区切るように、幾何学模様が生まれていく。
《戦術提案:彼女のワイヤー展開に合わせての跳躍補助。初速次第で斬撃軌道の変更が可能》
「おう、やるか!!……でも、失敗しても責めるなよ……」
ガラッドが前傾姿勢を取った。
気配が変わる。
さっきまでの余裕が、きれいに消えていた。
「——来いよ、“グラビティヒーロー”。お前が名乗ったからには、ちゃんと落とす。地べたにな」
風が鳴った。
一瞬で間合いを詰めてくる。速度が違う。
けど——こっちも、準備は整ってる。
「よし、セブン——行くぞ!」
《了解。質量調整、アクティブ》
「支点、形成完了。軌道、開通します」
踏み込む。ワイヤーに足をかけたその瞬間、脚が弾かれたように跳ねた。
“跳躍補助”。言葉の意味が、体で分かった。
空中で回転、セブンの質量を一瞬だけ増やす。
剣が空気を裂く音が、重たく響いた。
——to be the next act.




