第2幕『ヒーロー見参!!』
この世界の街道ってのは、想像以上に歩きにくい。
いや、道なき道ってわけじゃないんだけど、雨のあとはぬかるむし、石畳なんてどこにもない。馬車が通ったあとの轍に足を取られそうになるたび、セブンの鞘が腰でギシギシ鳴る。
「はぁ……これでまだ“序盤”ってやつなんだよな……?」
《確認:現在地は旧交易路。前線までは直線距離で約184km。徒歩での平均移動日数はおよそ6日》
「その“平均”に、ひ弱な現代人の体力とか山道とか、考慮されてるか?」
《未反映》
「知ってた」
尾根道を登ってくと、木々の間から谷が見えた。地図で見た通り、北の方角。あっちが前線らしい。まだ遠いけど、方向だけでも分かると少し安心する。
そのときだった。
《前方、右上——動体反応。人影》
「え?」
セブンの警告と同時に、視界の端に動くものがあった。
森の斜面。枝の間、切れ間からちらっと見えた小さな影。
……人、だ。しかも、走ってる。
全力で。
その髪の色。服の色。小柄な体格。
——昨日の、あの巡礼服の少女だ。
「……待て、なんであんなとこに」
姿がまた木に隠れた。ほんの数秒の出来事。
《追跡者、確認》
セブンの声が、ひときわ硬質に変わった。
「追われてる、ってことか……?」
《肯定:その可能性が高い》
もう一度、斜面を見た。木々の間から、別の影がちらつく。背が高い。動きが早い。二人、いや三人。
距離があるせいで顔までは見えないが、少なくとも“友達を呼びに行った”雰囲気ではなかった。
「くそ……」
状況はまだ何も分からない。
けど、走ってたあの子の顔は、昨日と同じだった。
無表情で、感情が見えないのに、遠くからでも焦ってるのが分かった。
「……見捨てたら、あとで絶対後味悪いヤツだよな、これ」
《戦闘リスク、現段階では不明。介入の合理性は低い》
「でも、助けに行く。オレは“重い剣”を持ってるからな。こっちから動かねぇと、何も変わんねぇ」
腰のセブンを軽く叩いた。質量制御はまだ使わない。使うときは一発で決める。
「行くぞ」
《了解。感情優先思考、確認》
斜面の脇の獣道に飛び込む。重い鞄が肩にぶつかるのも無視して、全身で風を切る。
葉が顔にかかる。枝が足元をすくおうとする。
でも目は、あの少女の背中だけを追っていた。
——
森を抜けた先、斜面の途中がぽっかり開けていた。
草を踏み荒らしたような細長い空間。その真ん中に、あの少女——昨日の巡礼服の子が立っていた。
……囲まれている。
6人。
どれも腕に入れ墨、剣や鉈を持った、いかにもって感じの連中だ。
少女は無言だった。
逃げるでもなく、叫ぶでもなく、ただ足を止めていた。
だが分かる。あれは諦めたんじゃない。逃げ場がないだけだ。
「動くなよ、そこの嬢ちゃん。手ぇ出さなきゃ、丁重に扱ってやるぜ」
下卑た笑い声が、斜面に響いた。
その瞬間、体が勝手に動いていた。
草むらを蹴って跳び込む。
駆け上がってきた人攫いの一人の背後に、足をかけた。
「……っと失礼!」
パルクール仕込みの空中回転。
勢いのまま、片足で後頭部を蹴り飛ばす。
「ぐぇっ!?」
そのまま地面に転がる相手を横目に、もう一人の腕を払ってひざ蹴り。
セブンはまだ使ってない。けど、動きだけなら——こっちは慣れてる。
「誰だてめぇッ!?」
囲みの輪が一瞬崩れ、代わりに視線が集まった。
その中に、ひときわ目を引く男がいた。
黒い外套に鉄の腕当て。
髪は片側だけ剃り上げて、左目には傷跡。
歳は三十代前半ってとこか。
腰の剣を抜いてないのに、周囲にいるだけで空気が違う。
——ヤバいのがいる。
そいつが、ふっと笑った。
「おいおい……まさか助けに来たのか?そのガキ一人のために?」
口調は軽い。でも目が笑ってなかった。
「関係ねぇけどな。邪魔するヤツは、等しく“商品価値”ゼロだ」
一歩、前に出てくる。
その足取りで分かった。
たぶん、コイツは“命のやり取り”みたいなのを何度も経験してる。
剣もまだ抜いてない。なのに空気だけで、こっちの体温がスッと下がる感じがした。
……戦ったら、たぶん“痛い目”じゃ済まない。
心臓が、変な音を立ててる。
魔王軍とだって戦った。前線も目指してる。
でも相手は“人間”だ。生身で、同じ目をしてる。
命を取り合う覚悟なんて、まだ持ってない。
「……でも」
深呼吸。
言い聞かせるように、腰の剣に手をかけた。
これは“英雄ごっこ”じゃない。
でも、誰かを助けるって決めたなら——
「……テンション上げてかないと、やってらんねぇな……!」
自分の声で、自分を殴るように叫んだ。
「——グラビティヒーロー、見参ッ!!いくぜ相棒ッ!!」
腰のセブンが、カチリと鳴いた。
《Higgs field stabilized. Ether pathway aligned.
Reboot complete──出力調整フェーズ、起動。
……戦略の提案を求む》
鞘の中から光が漏れる。
剣の刀身に、英語のような光文字が浮かび上がった。
その一瞬、重力が変わる。
体がふわりと軽くなり、服の裾と髪がわずかに浮かぶ。
まるで、世界がほんの一秒だけ“跳ねた”ような感覚。
「戦略なんかねえよ!!でも今この瞬間から、万有引力はオレの私物だ!!」




