第1幕『大きな瞳の女の子』
乾いた土の匂いと、軋む木車の音。
荷台の上から降ろされた麻袋が、鈍い音を立てて地面に転がる。
「はっ、重っ……!セブン、これ中身、小麦だよな……?」
《確認:中身は精白小麦・約40kg。人体単独による搬送は、筋力負荷に留意が必要》
「なら最初から言えよ、その“人体単独”ってヤツがオレなんだよ……」
セブンの冷徹なアドバイスに毒づきながら、腰を伸ばした。
街道沿いの小さな宿場町。その裏手、納屋の脇に停められた商隊の荷馬車。
臨時雇いのアルバイトとして、荷下ろし作業に借り出されていた。
「……はあ、異世界の第一歩がコレかよ。オレ、剣持ってるし、なんかもうちょいこう、こう……ズバッとモンスターとかをだな……」
脳裏に浮かんだのは、血煙を上げるモンスター、風に靡くマント、そして空を裂く一撃。
《妄想と現実の乖離を確認。現状、対象敵性体は存在せず、荷物の方が危険》
「だまれ、危機感の向きがおかしいぞセブン」
そう言いながら麻袋を下ろし、次の荷を取りに振り返えると——そこで、異様な光景に出くわした。
ひとりの少女が、荷車の傍らで佇んでいる。
小柄だ。歳は十三、四……か? 白と水色の巡礼服が、土埃の中でやけに浮いて見える。
少女の手には、木箱……。
「……は?」
思わず二度見する。
彼女は、その体格にはまるで見合わない大きさの木箱を、両腕で軽々と抱えていた。しかも、それをそのままの姿勢で、音もなく下ろす。
傍で作業していた男たちの手が、止まる。
「……おい、今の見たか」
「アレ……中、鉄の塊だろ?動輪部品って言ってたぞ」
「なんであんな、腕細いガキが——」
ざわめきが、ゆるやかに広がっていく。
だが少女本人は、どこ吹く風といった様子だった。
淡々と歩く。規則正しい足取り。跳ねない。揺れない。重心が……ない。
それが、かえって不気味だった。
長すぎる黒髪が、まっすぐに背中を這っている。風もないのに、揺れ方が一定で。
そして、少女は顔をあげた。
金色の瞳。異様に大きな四白眼……。
——ドク、と心臓が跳ねる。
瞬きをひとつ。
その動作で瞳の大きさが際立ち、ギョッとした。
可愛らしい顔だ。まるで人形。でも、違う。
なめらかすぎる顔面のバランス。表情のなさ。
その仕草。その眼差しは、劇でも演じているかのようだった。
《警告:ユーザーの脳波に軽度の同期異常。対象の視線に注意を推奨》
「……え?いや、ただ見てるだけだけど」
彼女が、ぴたりと動きを止めた。
そして、こちらへ向き直り、ゆっくりと一礼するように頭を下げてから、振り向く。
「搬入任務、完了しました。次の指示を求めます」
その声は、よく通る可愛らしい声だった。が、どこか“感情の仮面”を被ったように感じられた。
「なんか、口調がオマエみたいだな。セブン」
《異議:当ユニットの応答は、より精緻かつ論理的構造を備えている》
「……地味にムキになるなよ」
抑揚は丁寧だが、どの語尾も、完璧すぎる均整で終わっている。
まるで台本通りに、音声演技しているような。
……なんだろう、この子
オレは無意識に、手に持っていた麻袋を下ろしていた。
あの木箱の重さ。
歩き方。
瞳の奥に宿る、何かの“欠落”。
この少女、どこかが、決定的に“人間の動き”じゃなかった。
——
数分後、荷下ろしはひと通り終わった。
息を吐いて、納屋の壁にもたれかかる。
「ふぅ……終わった……。あ〜、腰やば……」
《ユーザーの筋肉疲労、推定46%。次回作業には休息を推奨》
「うるせぇ、デリカシーの欠片もないな……」
肩を回しながら、ふと空を見上げた。
抜けるような青。
穏やかで、平和そのものの空。
……でも、ふと思い出す。
最初の街に着いたとき、ギルドの掲示板で見た戦況マップ。
たしか、魔王軍との前線は北って書いてあった。間違いなく。
じゃあ、なんで——
ルルのいた神殿都市が、あんなタイミングで襲われる?
地図で見た限り、あの街は前線から遠い。普通に考えて、戦略的価値も高くない。
偶然って言うには、タイミングが良すぎる。まるで最初から、誰かが"あの時"に"あの街"を狙ってたみたいに。
「やっぱルルか? それともオレか。あるいは、セブン……?」
《申請:未確認要素に基づく推論に慎重を推奨》
「お前がそういう言い方すると逆に怪しいんだよなぁ……」
苦笑していると、ふと視界の端に、白と水色の影が映った。
さっきの怪力少女が、作業場から静かに立ち去っていく。
軽い足取りで、黒髪をまっすぐ背に流しながら……。
だが、彼女を見送る視線が、もうひとつ。
納屋の反対側、少し離れた荷馬車の影。
皮の鎧をだらしなく着て、酒臭そうな笑いを浮かべた男たち。
あいつら、さっきまで荷の持ち主と話してた雇われ傭兵だ。
そのうちの何人かが、彼女を見ながら、ニヤニヤと何かを囁き合っていた。
距離があるせいで、何を言ってるかまでは聞こえない。
でも、見ればわかる。あれは、ただの興味じゃない。
好奇心と、品定めと、それと……下心。
そういう目で見ていた。
自然に目を逸らす。
干渉する気はなかった。ただ、胸のどこかに、引っかかりだけが残った。
あの子、なんか……嫌な目で見られてる。
彼女は、その視線に気づいていないのか、ただ静かに、まっすぐに通りの角を曲がっていった。
街の喧騒にまぎれて、さっきの笑い声も消えていく。
……この世界は、思ってたより人間くさい。
だからこそ、嫌な予感ってやつも、こうしてちゃんと伝わってくる。
——to be the next act.




