第2幕『塩とロバと焚き火の話』
「はーっ、やっと積み終わった……!」
木箱の上に腰を下ろして、背中を反らせた。
朝露に濡れた荷車の帆布が、微かに乾き始めている。
その隣では、商隊の親父がロバの口元を拭いていた。
「お疲れさん、兄ちゃん。……にしても、随分と驚いてたな。塩樽、そんなに珍しいか?」
「え、だって塩って……どこでも売ってるじゃないですか。
スーパーとかで安くて大袋で……」
その瞬間、親父の手がピタリと止まった。
そして、半笑いでこう言った。
「……お前、どこの世間知らずだよ。塩をなめんじゃねえ。こいつぁ“白い金”だ」
ロバの背に載った樽を、親父がぽんと叩く。
「この国じゃ、塩は北の海から運ばれてくる。運ぶのに二週間。盗賊が出りゃ護衛も雇う。雨が降りゃ全部パーだ。
これ一樽、銀貨十枚はくだらねぇ」
「えっ……十枚?」
親父は、わざとらしく両手を広げた。
「信じらんねぇか? でも大昔に、兵士の給料は“塩”で払われてたって話もあるくらいだ」
思わず、セブンに視線を送った。
《情報ログ:塩は本地域において交易価値の高い鉱物資源。かつて“ソルト街道”と呼ばれる専用交易路が整備され、王国は“塩税”を国家収入の柱とした経緯あり》
「……さっき知っただけのくせに、なんでドヤ顔なんだよ」
ロバの足音が、ぺたぺたと地面を踏む。
正直、最初は拍子抜けだった。
“商隊”って言うから、てっきり馬が何頭もいて、革の鎧を着た護衛が……みたいな“ファンタジー的”な想像をしてたけど。
実際には、ロバがのんびり荷車を引き、
日除け帽をかぶったおっちゃんたちが、汗を拭きながら麦パンをかじってる。
「馬はな、貴族様のもんだ。旅にゃ向かねぇ。ロバは丈夫で、足が崩れねぇし、ちっとの水でも動いてくれる」
親父の話を聞きながら、そっと地面に座った。
ロバの鳴き声と、遠くで鳴く鳥の声。
誰も魔法なんて使ってないし、剣を振るってもいない。
でも、ちゃんと“生きてる”。
その夜、商隊は街道沿いの丘で野営をした。
木を組んで火を起こし、荷車は風上にまとめて円を描く。
煙で荷が燻されないよう、焚き火の位置は風下が鉄則だそうだ。
「火の位置、逆逆! 煙で干し肉がダメになるぞ!」
親父の声が飛び、若い隊員があたふたと焚き火を動かす。
オレも真似して枝を組んだが、なかなか火がつかない。
「オマエに「粒子加熱モード」とかついてたら最高なのにな」
《当ユニットは民生用ではない。火打ち石などの調達を推奨》
「いやそこは、“代わりに熱光線で炙りますか?”とか返してくれよ……。なんて言うか、夢がねぇんだよ、オマエは」
焚き火を囲みながら、商隊の男たちは、ゆっくりとパンと干し肉をかじっていた。
そのうちのひとり、隊長格の中年男が、口を開く。
「この辺りじゃ、盗賊もあんま出ねぇしな。出るとしたら、峠んとこだ」
「魔物とかは……?」と聞くと、親父は鼻を鳴らした。
「話には聞くが、俺は見たことねぇ。爺さんの代にゃ、東の村で変な獣が出たって話があるくらいさ。
それよりヤバいのは——国境の方だな」
「国境……?」
「帝国との境目だよ。
この前も、巡回兵と揉めて、荷物検査の名目で馬ごと没収された商人がいた。
“戦争中じゃない”ってのは建前よ。あいつら、難癖つけてでも巻き上げてくる」
焚き火の火が、ぱちりと弾けた。
湿った空気が、胸の奥まで冷やしていく。
「……なんつーか。戦うために異世界来たはずなのに」
思わずこぼれた独り言に、セブンが反応する。
《訂正:ルセリアからの指示に、戦闘強制項目は含まれていない。
選択権はユーザーに委任されている》
「そうじゃなくて……。なんていうか、普通に生きていくのすら大変なんだなって。中世って」
この世界には、魔物だけじゃない。
国と国とが、武器を向け合ってる。
損得も、建前も、腹の底にあるのは欲と恐れだ。
ロバが静かに、寝息のように鼻を鳴らした。
魔法も、魔物も、勇者もいない夜。
その焚き火の周りにいたのは、ただ“生き延びようとする人間たち”だった。
だけどこの世界は、こうして回ってる。
——戦う前に、“生きていく”。
それが、最初の課題だった。
——to be the next act.




