第3幕『帰路の欠片は、プリンとともに』
「……まあ、ついてきたのは君の判断だ。文句は言わないでもらいたい」
そう言って、白衣の男は勝手に歩き出した。
数分後、連れてこられたのは、街の端にある小さな食堂だった。
「空いてていい。店主も余計なことは聞かないし、料理もまぁまぁ。衛生基準もギリ及第点……たぶん」
「“たぶん”やめろ。“たぶん”を」
セブンは背中で静かに反応した。
《衛生基準:検知不能。食品検査機能は本ユニットに搭載されていない》
「いや知ってるよ! そもそもお前トンデモ兵器だろ!」
二人席のテーブルに向かい合って座る。
とりあえず水が出てきたが、白衣の男は当然のように注文と、支払いを済ませたあと——
「さて、君には腹が減っている顔がある。注文は私の奢りだ。遠慮なく食べたまえ」
「え、マジで?」
思わず聞き返してから、少しだけ肩の力が抜ける。
さっきパン屋でもらったサンドイッチは確かに食べた。
けど、こちとら育ち盛りの男子高校生だ。正直、めっちゃ助かる。
「うむ。キミは……そう、私の“父性センサー”に何か引っかかるものがあるのでね」
「……今の、あえて流すけど。あとでちゃんと聞くからな」
料理が運ばれてくるまでのあいだ、
向かいの男をもう一度、じっと観察した。
顔は、印象に残らない。
その辺を歩いていても、すぐに忘れそうなタイプだ。
年齢もよくわからない。オッサン……というには若い。けど、態度はやけに大物ぶってる。
そして——服装。
白衣。
それも、見覚えのあるタイプだ。
医者か理科の先生が着てそうな、明らかに現代的。
「……なあ、それ、なんでそんな白衣なんか着てんだよ?」
どう見ても、この世界じゃ浮いてる。
男はチラと袖口を見て、当然のように答えた。
「知らんのかね。薬品の付着に気づきやすく、
なおかつ試料へのコンタミネーションを防げる。理に適っているだろう?」
……知らんけど。
つーか、その説明で納得するやつ、この世界に何人いるんだよ。
「……うん、やっぱおかしいわ」
こっちの世界に来て以来、いろんな物を見てきたけど、
この白衣みたいな“完全に向こうの世界のモノ”は一度も見てない。
男が目線だけこちらに向ける。
「なにか用事があるなら、とっとと済ませたまえ。午後からは、娘との約束があるのでね」
「じゃあ……」
バッグからルルに渡された紙包みを取り出した。
中には、手書きの文書と、封の押された紹介状。
「これ、星の巫女——ルセリア・ルーンヴァイスからの紹介状。もらったばかりで、中身はオレもまだ読んでないけど……とにかく、彼女の関係者ってことで」
男は、封筒を見るなり「ふむ」と一言、そしてすぐに顔を逸らした。
「ああ、あの子の関係者か。……だいたい事情は察した」
「じゃあ、なにか知ってる……?」
「だが、私は国家機関関係者でも、魔導機関所属でもないのでね。
——そんなもの見せられても困るよ」
バッサリだった。
「……じゃあ何なの、あんた。何者なの? 本当にただの白衣?」
「ふふ、そう警戒するな。私はただの通りすがりの“パパ”だよ。
……まあ、“娘”たちには、だいたい殺されかけているがね」
「今の発言、いろんな意味でアウトな匂いがするぞ……!」
《警告:相手の使用する“パパ”という概念が、一般通念と乖離している可能性あり》
「……セブン、頼むから黙っててくれ。今だけでいいから」
注文を終えてしばらくすると、料理が運ばれてきた。
白衣の男の前には、やたらとツヤのあるカラメルが乗ったプリン。器もスプーンも、やけに現代的だ。
こっちには、こんがり焼いたパンと、骨付きの肉がどんと乗ったポトフのような煮込み料理。塩気の強いチーズも添えられている。
立ちのぼる香りに、思わず腹が鳴る。
オレは、少し迷ってから、意を決して口を開いた。
「……アンタ、何を知ってる?」
いきなり核心に触れたつもりだった。が——
「漠然とし過ぎてるな。答えようがない。私の全知識をキミに伝えるには、百年あっても足りんよ」
白衣の男は、スプーンでプリンをすくいながらさらっと言う。
「じゃあ——オレのことは?」
「さっき会ったばかりだ。名前すら知らんよ」
「リク…。ミナセ・リク。で、こっちがセブン。質量を操れる剣。召喚された時に一緒にいた」
自己紹介を挟むと、白衣の男は興味深そうに、少し目を細めた。
「ふむ。リク・ミナセくん。記憶しておこう」
男はそれだけ言うと、黙って手元のスプーンをひょいと持ち上げて、オレの皿をちょんと指した。
うながされて、一口かじる。焼きたてのパンは外がカリカリ、中はふわっとしてる。煮込みは塩気が強くて、肉も硬いけど、腹が減ってる今は、それが逆にありがたい。
うん、悪くない。っていうか、美味い。
「で、さっき“察した”って言ってたよな? どういう意味だ?」
「うむ。あの子——ルセリアの関係者で、しかも異世界人。だいたい察しはつくさ。おおかた、世界を救うために召喚されたんだろう?」
「……ああ。“魔王を倒せ”って言われた」
オレがそう言うと、白衣の男は吹き出すように笑った。
「はっ。あんな小物に、世界を滅ぼすような力はないよ。せいぜい、この地域一帯の支配者になるくらいが関の山だ」
「でも……世界が滅ぶって——」
言いかけたオレに、白衣の男は顔を上げずに返す。
「アストライアグラスが、そう言ったのか?」
オレは、うなずいた。
「なら、キミの旅は魔王討伐なんかじゃないな。そもそも——」
白衣の男は、セブンをチラリと見る。
「その背負ってる剣の方が、よっぽど世界を滅ぼせるだろう?」
言葉を失った。
セブンは、何も言わない。
だが——その静けさが、逆に肯定しているようで。
「……アンタ、セブンのこと、どこまで知ってる?」
「古代の兵器らしきもの、くらいしかわからんよ。分解して研究させてくれるなら別だが……あいにく私はそこまでヒマじゃない」
白衣の男はそう言って、皿に残ったカラメルを舐め取るようにスプーンでなぞった。
その仕草のせいか、なんだか話が終わりそうな気がして、慌てて言葉を探した。
「……なあ、最後に一つだけ、教えてくれ」
白衣の男が、スプーンを止めた。
「ルルに聞いても、分からないって言われたことだ。……オレは、元の世界に——戻れるのか?」
白衣の男は、少しの間だけ、黙っていた。
そのあと、にやりと口元を歪めて、言う。
「——Yesでもあり、Noでもある。キミはこちらに来れたんだ。当然…理論上は戻ることも可能だ。だが、方法は……私も知らない」
「……それって、つまり?」
「“絶望”ではない、ということさ」
その言葉のあと、男はふとスプーンを置き、考え込むように視線を泳がせた。
「ふむ、しかし……この世界に来たばかりで、身寄りのない少年か。なるほど……うん、うん、これは——」
独りごちた彼が、急にこちらを見据えた。
「ミナセくん、私を“パパ”と呼んで甘えるが良い。私の父性はそれをも受け入れよう」
「……いや、無理です」
即答だった。反射的に距離を取っていた。
なんだろうこの感じ。理屈じゃなくて、生理的にダメなやつ。
その空気もどこ吹く風で、彼は懐から何かを取り出した。小さな、金属の円盤だった。
「これは“ポータル”。いざという時、キミが本気で願えば——ちょうどヒマだったら私が現れるかもしれない、魔法の道具だ」
「いや、それ……」
思わず言いかけたオレに、白衣の男は勝手に締めに入った。
「何かの縁だ。キミを“私の第一息子候補”として、多少の協力はしよう」
「いや、息子ってのは気持ち悪いし、勘弁してもらえます?」
「すまないが——娘との約束に遅れるわけにはいかんのでね」
——完全に無視された。
そして、彼は立ち上がり、パチンと指を鳴らした。
次の瞬間——白衣の男は、光とともに消えた。
……残されたのは、銀色の円盤だけ。
それを手に取り、まじまじと見つめた。
小さく、軽い。けど、なんか……持ってるだけで、いろんな意味で重たい。
「結局、あいつが胡散臭いってこと以外、なんにも分からなかったな」
《情報更新:一件。リク・ミナセの帰還の可能性、存在を確認。成功率:不明》
「ついでに、さっきの男が変態だったってことも記録しといてくれ」
《了解。対象:呼称不明、人格特性に難あり。再接触は慎重に行うことを推奨》
「……まあ、帰れるかもしれないって分かっただけでも、よしとするか」
ポケットに“ポータル”を押し込み、ため息をついた。
「………ほんとにいよいよじゃないと、絶対使いたくねぇ……」
——風が、また吹いた。
行く先も、答えも、まだ見えない。
でも、とりあえず——旅の目標は決まった。
——まず、この世界に慣れること。
——次に、魔王を倒すこと。
そして……元の世界に帰る方法を探すこと。
……とにかく、歩き出すしかないんだ。
——the episode’s end.




