ふたりの花嫁舟
最終話です。
茜の荒んだ心を少しずつ時間が溶かしていった。
・朝起きたら天気がよかった。
・朝一の川下りの風が心地よかった。
・お客様から歌を褒められた。
・普段はそっけない先輩船頭から「ありがとう」と礼を言われた。
・たまたま終業が30分早くなった。
・社長から日頃の激務を労われた。
・家族夕食の団欒の場で父が屁をこいて皆で大笑いをした。
・ケンジからそれとない催促と自分を労わってくれる電話。
些細な事から、茜の心のアンテナが少しずつ前向きになると、すっと心に沁みて、今まで頑なに強張っていたものが薄れていく。
そんなある日。
社長が川下り上がりの茜に声をかける。
「茜ちゃん」
「はい」
彼女は立ち止まると、社長は慌てた口調で喋りだす。
「あのね。来週の日曜日、船頭のみんなカツカツなのよ。よりによって花嫁舟の時間帯に・・・ねぇ、健司君にお願いできない?」
「はぁ・・・ケンジですか?」
「そう。あの子、公務員だったよね。日曜、休みでしょ。火急の為ってお願いできないかな」
社長は両手を合わせて頼み込む。
「そういうことなら・・・聞いてみます」
茜の返事に社長は破顔し手を叩いた。
「謝礼ははずむって言っておいてね。それから朗報っ、花嫁舟は2隻予定、茜&健司でシクヨロ」
「朗報?シクヨロって・・・」
スキップして去っていく社長に、彼女は呆れて呟いた。
その夜、茜は健司へアポイントの電話をとる。
「健司」
「おう」
「あのさ、お願いがあるんだけど」
「お、おう」
ガサゴソと音がするので茜は思った。
律儀な健司のこと、きっとベッドの上で正座でもしているのだろうと・・・。
「その話じゃないから、正座しなくていいから」
「お、おおう」
「今度の日曜ヒマ?」
「そりゃあ、休みだから・・・まあ。おっ、お前休み?珍しいな休日に・・・あっ!さては、またハートブレイク?」
「ちげーよ。うちの社長から、人手が足りないから舟を漕がないかだって」
「へっ?俺に言ってくるとは、相当な人手不足だな」
「弱小企業の運命よ。やってくれる」
「他ならぬ茜の頼みなら」
「さんきゅ」
「じゃあ、前ノリして、茜とイチャイチャすっか」
「勝手にして」
「おう」
「ありがと」
「おう」
茜は電話を切ると、一人くすくす微笑んだ。
日曜日、二人は神社前の桟橋へと舟を移動する。
「おい、花嫁舟なんて聞いてないぞ」
口を尖らせる健司に、
「アンタは2番舟だから、私のあとについてくればいいから」
「にしたって責任重大だ。こんなんをバイトにやらせるなんて、どうかしてるぜ」
「ふふ、本当ね」
「全く」
「・・・でもね、会社はアンタの操船技術を信頼してんのよ」
「そうだろうな」
「はん!」
ふたりは桟橋に舟を係留させ、花嫁舟の準備に取り掛かる。
新郎新婦が乗る一番舟には、赤絨毯や台座を敷き、舟の側面をピカピカに磨く。
2番舟には、親族や友人たち人数分のクッションを置き準備を万端にする。
すると、神社から太鼓の音が聞こえ、遠くから祝詞があがりはじめる。
「そろそろね」
茜は腕時計を見て時刻を確認した。
「やべ、緊張してきた」
「大丈夫よ。アンタと私なら」
「言うね」
「だってそうじゃない」
「そっか」
「そうよ」
「あのさ」
「何」
「俺たちが結婚する時も花嫁舟なのかな」
「なによ。突然」
「あ、ごめん」
「ま、いいけど・・・悪くないね、花嫁舟」
「ああ」
「ケンジ」
「ん?」
「いいよ」
「なにが?」
「結婚しよ」
「えっ!」
「だからっ・・・」
「いやいや、お前ロマンないって・・・それは俺に言わせてよ〜」
茜はクスリと笑い、
「じゃ、本チャンはまた今度で」
「お、おう」
境内の方から拍手があがり、新郎新婦がこちらへとやって来る。
茜は目配せをする。
健司は頷き配置につく。
厳かな雰囲気の中、つつがなく両家一同の乗船が進む。
茜は前を見据える。
小さく息を吸って吐く。
「本日、ご結婚の儀整い真におめでとうございます。ここに一曲お祝い申し上げます。船頭祝い唄」
四海波平らかに瑞色の天
七宝をのせ来る福神の舟
明澄一曲高砂の舞
家運隆々として万年に及ぶ
凛とした茜の横顔を健司はじっと見つめていた。
歌い終わると、目が合った二人は自然に笑い合う。
「それでは花嫁舟、出発いたします」
晴れ晴れとした春空に、粛々と花嫁舟はゆく。
実は、ふたりの花嫁舟ばなしにしようと思ったのですが、こっちの方がしっきりくるかなと思い、変更しました。
ふたりのシン・花嫁舟は、またいつかってことで(笑)。
完結まで読んでいただき感謝です。




