心乱れる
さて、はじめましょう。
春、桜舞う、うららかな日和の柳川川下り。
山王橋をくぐれば頭上には、満開の桜が広がる。
「ご覧ください、真上には桜のトンネルてす」
乗合のお客から歓声があがる。
茜はいい気分で、右の手平を広げ指し示す。
「手前右に見えますのが、水上売店になります。買い物希望の方は手をあげるか、お伝えください」
すっと海外のから来た客の手があがる。
「かしこまりました」
左さしの彼女は竿を軽く左に向けて体重をのせ、ゆっくりと売店に横着けする。
茜の操船するどんこ舟は中間地点にある水上売店へと立ち寄った。
「では、ご注文どうぞ」
彼女は購入を促す。
次々とお客さんからの注文があがる。
「アマザケクダサーイ」
「はいおまちどう」
店主が甘酒を持って来て、お客さんに手渡しする。
すると、お客さんの顔が曇る。
「コレショウミキゲンガキレテマース」
と流暢な日本語で言う。
茜の目がつり上がる。
「おやっさん、替えて、替えて」
「ああ、ごめん、ごめん間違えた」
「・・・間違えたじゃないわよ。なんてものお客様に買わそうとするのよ」
「そんなの怒らんでも」
「怒るわよ。アンタのとこはそれでいいかもしれないけど、私たちの会社まで併せて、そんなところだと思われるんだよ」
「たまたまやないか」
「そのたまたまが許されないのよ。昔じゃないのよ。簡単に思っとろ」
「お前、そんな言い方しなくても!」
「お前っていうな!」
「・・・きさん」
「なによ」
「なんちや」
「なんちやっちゃ、なんちや」
茜と店主は睨み合い、しばらく口論となった。
店主は激昂し、恫喝するが、彼女も一歩も引かない。
しかし、彼女の足は震えていた。
怒りと憤りを感じつつ、茜は客に目をうつす。
皆一応に白けた顔と戸惑いの表情をみせている。
はたと彼女は気づくと、深々と頭を下げた。
「ごめんなさいっ!」
感情にまかせていた自分が情けなく恥ずかしくなった。
店主に表向きは謝って、その場を離れた。
その後の川下りのガイドは気分が落ち込んで、身が入らなかった。
茜は乗船場のある会社まで戻って来ると、船頭長に事のいきさつを話す。
「そうか」
彼は頷き、話を続ける。
「他に誰かに話した?」
「いえ」
「じゃ、ここまでの話にしよう」
「えっ」
茜は驚いた顔を見せる。
「・・・言ったところでどうなる?」
「だって」
「お店が間違えた商品を渡したのは確かだろう。だけど、茜ちゃん、そのあとの君のとった態度はどうなんだい?」
「・・・それは、相手が」
「うん。でもお客様が乗っているよね」
「はい」
「そんな口喧嘩聞かされた、お客様はどう思う?楽しい舟旅が途端に居心地が悪くなったかもしれない」
「・・・・・・」
茜はぐっと拳を握りしめた。
「確かに言わんとすることは分かる。今の時代にそぐわないかもしれないが、こういう有耶無耶にする古いしきたりみたいなのがここにはまだある。分かるよね」
船頭長は優しい口調ながら、茜はどことなく自分が咎められているように感じた。
「・・・はい」
「長い物には巻かれよじゃないけど・・・まずは、お客様優先でね」
「・・・はい」
茜は釈然とはしないまでも、自分の要領の悪さが招いた認識もあったので、不承不承ながらも納得した。
「さあ、仕事、仕事」
つとめて船頭長は明るく言って、茜を仕事(川下り)へと送り出した。
しかし茜の心の中には、漫然とした憤りや不満が澱のように心の底に沈んでいった。
続くっ。