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Joker's Christmas

作者: 竹蜻蛉

ギフト企画2009参加作品です。検索でほか作者さまの作品も見れると思います。また、公式サイトのほうからでも行けます。色んな人のギフトをどうぞご堪能ください。


 俺の目の前にあいつが現れたのは世間がクリスマスで賑わい始めた頃だ。いつものように都立の大きな公園のベンチで一人、虚空を見つめながら過ごしていた俺の前に、あいつは何の前触れも無く現れた。

 その時、辺りは真っ暗だった。夜という時間に灯りが溶け始め、独特のぼうっとした感覚が降りてくる。自分が消えて無くなってしまいそうな危うい感覚。どこか浮遊感にも似ている。沸かしたお湯がどんどんと泡立っていくように鼓動のリズムが上がり、気付いた時には呼吸という存在を思い出した身体が激しく痙攣していた。昔はこの感覚に恐怖の念すら抱いたものだが、もう慣れた。むしろこれがないと、夜という感覚を忘れてしまいそうになる。今では、そっちのほうが恐ろしい。

 丁度痙攣が治まったタイミングで、あいつは現れた。

「ハーイ、ごきげんようジェントルマン。えぇっと、名前はなんだったっけか。まあ名前なんてどうでもいいからニッポン人らしくヤマモトさんと呼ばせてもらうとするヨ」

「ヤマモトじゃない。渡瀬だ」

「ああ、ワタセ。ミスターワタセだったね」

 人を勝手にヤマモト呼ばわりし、アメリカンコメディのように「ハハハ」と笑った。男か女かは良く分からない声をしている。少し耳に響くくらいの高音だった。何より目についたのはその服装。クリスマス間近ということもあってかサンタコスチュームに身を包んではいたが、ズボンの裾から見せるストライプ柄の靴下と、マジシャンが身につけるような真っ白い手袋をしていた。そして、赤い三角帽をから隠しきれていない黒のシルクハットが覗いている。なんとも不恰好な有様だった。ピエロが着替えを行わず、そのまま上からサンタの服を着たような感じだ。

「いやーしかし寒いねここは。ヒーターはないのかい?」

 わざとらしく身を震わせて言った。指先の一本一本までご丁寧に震わせている。

「お前は何を言っているんだ。ここは公園だぞ」

「ハハハ、分かっているさ。それに別に寒くなんてない。冗談さ。ワタセも分かっているだろう?」

「そうだな……」

 俺は半袖の洋服から出た二の腕を少しさすりながら、そう答えた。視線を落とす。闇が降りてきたことによって濃くなった土の色が目に映る。今ではこの土の感触すらも懐かしめない。今、俺にとっての普通はこの道化師みたいな存在のことを言う。

「自己紹介をしよう。私の名はジョーカー。職業はサンタクロース。世界の子どもたちに夢と希望を与える存在さ」

「ジョーカーでサンタクロース? 何か生きにくそうな名前だな」

「生きにくい? いいや、別に生きちゃいないから平気さ。私は自由人もしくは異端者と書いてイレギュラー、しかしその正体は真っ赤なワインレッドのサンタクロース。というわけで、ミスターワタセ、君にクリスマスプレゼントを用意しようと思う」

 だからサンタのコスチュームかと、俺は笑って納得した。

「そういうのはサプライズで取っておくものじゃないのか?」

「今のクリスマスにサプライズプレゼントなんて文化がまだ残っているのかい?」

「それもそうだな……」

 聞いて、息子にクリスマスプレゼントを贈ったことを思い出した。幼稚園に通っていた頃は俺や妻が考えてプレゼントしていたが、小学校に上がってからは自分でゲームや玩具の類を求めてくるようになった。いつ知ってしまったのか分からないが、子どもというものはどこからともなくサンタクロースはいないという現実を仕入れてくる。サンタを演じていない家庭から聞いたことなのか、それとも子どもが子どもなりに現実を考えて得た結果なのか。俺の子ども時代を思い返しても、一体いつサンタクロースがいないと気づいてしまったのか、そのきっかけは忘れてしまっている。サンタクロースの仕事は知らぬ間に、家庭の親へと託されていた。

 最後にクリスマスプレゼントを貰ったのはいつだっただろうか。二十歳になる前に上京し、二十八の頃に結婚した。クリスマスになると実家からお菓子や洋服が幾らか送られてくるが、これを「クリスマスプレゼント」と呼ぶのは些か現実味を帯びすぎているようにも思える。目の前で今にもダンスを踊りだしそうな格好をしているジョーカーを見れば、自ずとそう感じてしまう。結婚したての頃は妻とプレゼントを交換していた時期もあった。四十も過ぎた頃になると、息子も生まれたせいあってか、子どものためのプレゼントと、夫婦間では少し豪勢になったクリスマスディナーを楽しむ程度になった。不満だとは全く思っていない。クリスマスとはえてしてそういうものだと分かっているし、大人になってまでプレゼントを媚びるような精神も持ち合わせていなかったのだから。

 だから、こうしてジョーカーにプレゼントをやろうと言われた時、俺の心は少なからず躍った。童心に帰ったような気分にもなった。

「それで、俺に何をくれるっていうんだ?」

「何か欲しいものはあるのかい? と聞いてあげたいところだけど、それは無理な相談なんだ。本物のサンタはプレゼントをするものを、既に決めてしまっているものなんだヨ」

「そうか。まあ俺も欲しいものなんてほとんどないさ。自由にしてくれ」

「ハハハ。面白い人だねミスターワタセ。こんな奇怪な格好をしている私からでもプレゼントを貰いたいと思うのかい?」

 自覚症状はあったのか、ジョーカーは真っ赤な服を摘んでドレスを披露をするように広げ、俺にそう聞いた。

「何、いろんな事がどうでも良くなっただけだ。慣れていても、驚いていないわけじゃないさ。まあ、貰えるものなら貰っておこうと思っただけだ」

「そうかいそうかい。そういうノリは大好きだヨ私は」

 ジョーカーは一度くるりと身を一回転させた。器用につま先だけで軸を取っている。サーカスなんて見に行ったことはないが、劇団のピエロというのはこういう動きをするんだろう。

「さて、ミスターワタセ。貴方には『第二の人生』をプレゼントしようと思うんだヨ」

「『第二の人生?』」

 言っている意味がわからず、俺は思わず鸚鵡返しにした。

「そう。『既に死んでしまっているミスターワタセ』に、第二の人生を授けよう」

 文字通り地に足がついていない、いやつくことのない俺にそう言った。

「ただし」

 ジョーカーが人差し指の腹をこちらに向け、首を左右に元気良く振った。

「知っての通りサンタクロースは良い子にしている子にしかプレゼントをあげられない。ミスターワタセ、貴方は今日からクリスマスが終わるまでの間、ずっと良い子にしていなければ、プレゼントを貰うことができない。オーマイガッ、夢と希望は悪人には届かないというんだねこれが。残念でたまらないヨ」

「クリスマスは……」

「明後日だヨ。二十四日の午後十一時五十九分五十九秒。貴方はこの時まで悪事を働かなければいい。何、善行を求めているわけじゃないんだから、難しい話じゃないはず。ミスターワタセは、ここでじっとしていればそれでいいんだ」

「あ、ああ。分かった。そうしていよう」

「理解が早くて助かるよ。死人がみな、貴方のような人ならば私の仕事も少なくて済む。いやーありがたいありがたい」

 ハハハ、と嘘っぽく笑うジョーカー。頭の天辺から足の指の先まで信用できそうにないが、元より俺自体こんな身だ。楽しみの一つも見つけられないのだから、少しくらい良く分からないものに縋ってみるのも面白いだろう。

「では、また会おう。アディオース!」

 ふっ、と意識が薄くなったかと思うと、次の瞬間にはジョーカーは姿を消していた。辺りを見渡してみたが、それらしき姿はない。夜の帳に隠された遊具や静かに呼吸を繰り返す木々が視界に映るだけだ。今までキンキンとなっていた耳奥の感触がなくなり、代わりに感じることのできない風の音が通り抜けていった。


 死因は事故死だった。幽霊となってしまった今でも良く覚えいてる。会社帰り車を走らせていたら、十字路の所で信号無視の車と衝突し、数十メートル吹き飛ばされた後に俺の意識は落ちていた。その時の衝撃も良く覚えている。重力に反発しようとした体が上下に引っ張りだこになるような強烈な感覚。頭部が自分の意識を離れ、付属する道具のように跳ねた一瞬。思い出したくもないが、幽霊となる前の最期の人間としての感覚だ。一番人だった頃の感触を明白に思い出せるのは、そのシーンだった。

 その後、意識を覚ました時には俺はこの公園にいた。自宅のマンションのベランダからでも見えるほどの距離にあるでかい公園だ。公園というよりはアスレチックパークかもしれない。車で来ると、駐車料金を取られた記憶がある。平日でも多くの子ども連れが遊びに来ていて、幽霊になった今でもその光景だけが楽しみだった。幽霊はてっきり夜にしか存在できないものだと思っていたが、日中でも普通に活動できる。浮遊も出来るし、壁も通り抜けることが出来る、ある意味生前よりも便利な肉体になったと言える。

 しかし、この体で一点だけ不便なところがある。この公園から一歩も出られないのだ。公園周辺にあるグリーンベルトを境にして、見えない壁のようなものが存在して、そこから一歩たりとも外へと出してくれない。過去、一度だけ自宅に帰ってみようかと思ったことがある。俺を亡くした妻や息子の姿を見たいとはあまり思わなかったが、やはり自分の家に帰りたいと思う気持ちは、人として抑えられなかった。この体もいつか成仏するのだから、そうなる前に一度だけでもいいから家族の顔を見ておきたかった。しかしそれも叶わず、俺は死んでからずっとこの場所にいる。妻や息子のほうからこちらに来てくれないかと期待もしたが、引っ越したのか、新しい夫でも見つけたのか知らないが、ここへは今まで一度も訪れていない。俺が死んでから一体どのくらいの時間が経ったのか時間の感覚に乏しいこの体では計れないが、きっとそろそろ一年も経つころだろう。俺が死んだショックもそろそろ薄れている頃じゃないんだろうか。そうして毎日毎日ありえそうな理由をこじつけて期待して、一日を過ごす。

 そうして今日も、朝がやってきた。生前では気づかなかったことだが、自然というものの素晴らしさを死んでから感じる。誰に呼び止められるわけでもなく、誰に話しかけられるわけでもなく、ましてやこの公園にしか存在できないのだから、自ずとこの公園には愛着が湧いてくる。広い庭のようなものだ。手入れの怠っているような場所があると、近くにいる人間を脅かしてどうにかしてもらおうかと考えたこともあった。結局、そんなことすらも叶わないわけだが。

 鳥の声が次第に大きくなり、早朝のランニングを習慣付けている人たちが公園に集まってくる。ここによく訪れる人物の顔は覚えてしまった。まだ二十代も半ば過ぎていない女性がランニングに来るのと、少しボケてそうな老人が俺の座っているベンチの隣に座る。

「おはようございます」

「……」

 勿論返事があるとは思っていない。しかし、これもまた俺の習慣のようなものだ。定期的に誰かに話しているような感覚を得られないと、どこかおかしくなってしまいそうになる。

人であった頃の習慣をすべて無くしたら、俺はどうなるのだろう。食事も取れない、排泄行為は勿論のこと、性欲も湧かないし眠気もやってこない。物には触れられないし、会話も出来ない。たとえそれが一人よがりであっても、人としての記憶を失ったら俺は終わる。そういう根拠のない恐怖がどこかにあった。

挨拶の相手を老人にして良かったと思う。彼は返事こそしてくれないが、見ている俺は相手がきっと聞いてくれているという希望を持つことができる。老人はどこを見ているのかも分からない視線を真っ直ぐと公園の中心へと向け、ひたすらにじっとしていた。

「今日も本当に寒いですね。そんな格好で大丈夫ですか、って半袖の私が言うことでもありませんけれど。あ、そうだ、昨日の夜、ジョーカーとかいう変な格好をしたサンタクロースがやってきましてね、私にクリスマスプレゼントをくれるっていうんですよ。この年になってなんだかワクワクしてしまいましてね。久々ですよ、こんな感覚は」

「……」

 皺の入った頬はぴくりとも動かない。瞳をうつらうつらとさせて、寝ぼけているようだ。老人に話しかけるのはそれを邪魔してしまうようで気が引け、俺は語りかけるのを止めた。

 昼頃になってくると、段々と人数が増えてくる。俺もここに座っていては邪魔になるだろうと思って、隣にいる老人に「では」と一声だけかけて、近くの木の傍へ移った。

 今日は快晴だ。曇りがちな冬の季節のくせに、緑の枯れた枝に影を作るようにして陽光が差し込んでいる。温度は感じることが出来ないが、日の当たる感覚だけでどこか清々しい。気のせいだろうが、『吸ったらしき空気』に温かみを感じる。こういう小さな一つ一つが、今の俺にとっては貴重で仕方が無い。

 じっとしていることしか出来ない俺の目には、嫌でも公園の人の姿が入ってくる。飼い犬とフリスビーをして遊んでいる男。かけっこをして遊ぶ子どもたち。クリスマス間近だからか、特にカップルの姿をよく見かける。男女仲睦まじい姿を見せられると、昔妻と結婚する前のことを思い出す。

 大学の野球サークルでマネージャをしていた彼女に一目惚れしたのが最初だったか。ほとんど飲みサークルと化していた野球サークルだったために、彼女と話す機会は沢山あった。一体何がきっかけだったか覚えてはいない。そのうち仲良くなっていった俺と彼女は、就職後も連絡を取り合ったりしていた。プロポーズは俺からだった。必死に金策して溜めた金で少しだけ奮発した指輪を用意し、ジューンブライドに乗っ取って六月の初旬、初夏に結婚を決めた。素直に嬉しく、小さくガッツポーズを作ってしまって、それを彼女に見られて恥ずかしかった覚えがある。その時の彼女の照れた顔も良く覚えている。

「ジジ臭いな、全く……」

 誰にも聞こえない独り言を漏らした。こうして良く、自分の過去を想ってしまうのも幽霊の定めなのだろうか。しかし、それは鮮明ではない。どこか夢心地の中にあるような、おぼろげで揺れている、陽炎のような映像でイメージする。完成されていたはずのジグソーパズルのピースが、一度呼吸をするごとに落ちていくような感覚。人のピースは膨大な量で、何か一つ落ちたところでどうしても気付けない。そこにはっきりと見えるほど大きな穴が開いたとき、初めて自分が無くしたピースに気付ける。俺の妻への記憶は、まだきっと零れ落ちていない。そう信じている。

 何かが地面を叩く音がした。何だと思ってそちらへ首を向けると、野球のボールが転がっていた。拾い上げようかと思ったが、そもそも触れられないことを思い出して伸ばしかけた手を引っ込めた。

「はあ、まただよ……」

 それを拾ったのは、まだ小学校も出ていない少年だった。青いキャップを被って、左手にはグローブがはめられている。まだ新品だろう。ボールを収めるときに、グローブの硬さが目に見えた。

 少年が戻っていくほうへ視線を追っていくと、少年の父親らしき人物が笑って少年からボールを受けていた。少し横にレジャーシートを敷いて座るところを確保しようとしている母親らしき人もいた。今日は日曜日だったか、父親の家族サービスだろう。冬だというのに、外で遊ぼうと提案された時の子どもの嫌な表情が目に浮かぶ。少年よりも父親のほうが楽しそうに見えた。

「翔太、腕の振り方と、腰の使い方にコツがあるんだ。これが分かればコントロールがつくぞ」

「さっきからお父さんが変なところに投げてばっかりじゃん」

「はは、気にするな。ほら行くぞ」

「うわっ、また変なところに投げた」

 父親のほうは笑ってしまうくらいノーコンだった。グローブの中どころか、追いかけるのも億劫なくらい場違いなところに投げている。身体がガチガチだ。腕だけでボールを投げているようなもので、あれじゃあコントロールはつかない。対して少年のほうはぎこちない投げ方ながらも、きちんと父親のグローブに収めている。これじゃあどちらが指南しているか分からない。

「あーあ、お父さん、池の中に入っちゃった」

「本当か? しまったなあ……」

 公園の中心にある池にボールが入ってしまったらしい。見ると、かなり奥のほうに流れていってしまっている。あれじゃあ取り出すのは一苦労だろう。池に入るか、とてつもなく長い棒でも使わない限りは取れない。夏だったら池に入っても良いだろうが、今は冬だ。棒を使うにしても、落ちたらひとたまりも無いだろう。

「おっかしいなあ……いつもはもっとコントロール良いんだぞ」

「嘘だあ」

「嘘じゃないさ。ああでもボールがもう無いな。新しくどこかで買ってくるか」

「いいよ面倒くさいから。あっちのアスレチック行こう」

 父親は残念そうに池のボールを一瞥したあと、少年に連れられてアスレチックのほうへと足を進めた。

「……」

 不覚にも、少しだけ羨ましくなった。俺の息子の裕樹もあのくらいの歳だ。俺が持っている生前の記憶、つまり車に轢かれる前は小学五年生だった。そこから一年ほど経ったと考えても、まだ小学六年生、もう少し経ったと考えたら中学生か。もしも俺が生きていたら、きっと裕樹とあんな感じにキャッチボールが出来たことだろう。家にはグローブが二つある。一度も使わずに、押入の中に入れられてしまったグローブが。

 突然、何だかそのグローブが恋しくなった。いや、どちらかというと野球が恋しくなったのかもしれない。とは言っても野球をすることは愚か、グローブをつけることも出来ないし、そのグローブのある家に辿り着くことすらも出来ない。どうにかならないものかと思って、今一度公園から出ようとしたが、やはり見えない壁に阻まれた。無駄だと分かってはいたが、今この時だけはその無理を通してみせたかった。しかし、叩けど殴れどびくともせず、そもそもここにあるものが何なのかすらも分からない。幽霊に行動制限があるなんて聞いたことが無い。まるでどでかい監獄に入れられた気分だった。

 何かの拍子に壊れないものかと頑張ってみたが、結局どうにもならずに諦めた。その場に座り込み、体力という概念を失った身体を脱力する。

「……そうだ」

 星が降ってきたように、妙案が頭に湧いて出た。ジョーカーだ。クリスマスプレゼントをくれるというジョーカーに頼んで、この見えない壁を通れるようにしてもらおう。そうすれば家にも帰れるし、グローブがあるかどうかの確認も出来る。もしかしたら妻や息子と会えるかもしれない。

 そう期待を胸にした俺は、その場から一つも動かず、夜を待った。




「ミスタースズキ、グッドイブニング! いやあ、今日の夜も冷え込むね」

「渡瀬だ」

 人の名前をどう勘違いしてか、鈴木と呼んだジョーカーがその夜も現れた。相変わらず奇妙な格好をしている。生きている人間にはきっと見えないのだろうが、見える人間にとっては是非とも着替えて欲しい服装だ。

「ワタセ、そうミスターワタセだった。ニッポン人は似たような名前が多くて困るね。いやすまない、仕事上沢山の貴方のような人を掛け持ちしなければならないんで、名前なんていちいち覚えていられないんだヨ」

「そうか。なら別に好きに呼んでくれても構わないぞ」

「ハハハ、いちいち訂正してくるくらいなんだから、きちんと呼んで欲しいんだろう? 大丈夫、別に間違えたいわけじゃないんだヨ。言ってくれれば直すさ」

 くるりと一回転。いちいち言動がエンターテイナーっぽくていやらしい。

 多忙なようなので、名前の件についてはこれ以上突っ込まず、本題に入ることにした。俺はジョーカーが口を開く前に、目をしっかりと見据えて言った。

「ジョーカー、あんたに頼みがある」

「ほう、この私に頼みとな」

 ジョーカーは身体全体で大袈裟なリアクションを取り、しかしそれでも俺から目は離さずにそう言った。

「他の幽霊がどんなのか知らないから詳しくは分からないんだが、俺はこの公園から何故か出ることが出来ない。何か壁のようなものが邪魔をしているんだ。それを取り除いて欲しい。いや、方法は何でもいい。俺をこの公園から出して欲しいんだ」

 ジョーカーは顎の部分に手を置いて、大きく唸った。

「それはなんとも難しい頼みごとだ。マジシャンがタネも仕掛けも無しにマジックをするくらいに難しいヨ」

「出来ないのか?」

 俺は語尾を強めに、そう訊いた。

「ウーン。厳密には出来ないことは無い。貴方は地縛霊なのさ。だから本当は貴方は外に出ることはおろか、成仏すら出来ない。しかし、そのしがらみさえ解いてしまえば、ミスターワタセ、貴方はそれから開放される。そして、私はそのしがらみを解いてやることが出来ないでもない」

 俺は地縛霊だったらしい。今まで、公園に縛られていたということだ。だから外に出ることが出来なかった。理解してみると、意外とすっと納得出来る話だった。

「な、なら、俺のクリスマスプレゼントをそれに変更してくれないか? 第二の人生よりも、俺はそっちのほうが欲しいんだ」

「フムフム。貴方は今の子どものように、サンタクロースに自分の欲しいものをお願いするんだね。いや構わないさ。別に私が用意したものが必ずじゃない。でも、ミスターワタセ、貴方はそれでも『第二の人生』を受け取るために良い子にしてなくちゃならない」

「どういうことだ?」

「何、つまりは欲の強い子どもには優しいジョーカーが二つのプレゼントを与えてあげようということだヨ。ただ、サンタクロースは世界の子どもに平等だ。貴方だけ二つというのも何か他の子どもに悪い気がする。ミスターワタセ、貴方が二つ目のプレゼントを望むというのなら、『ほんの少しの欲望』にも打ち勝ってみせてくれよ」

「なに?」

 言っている意味が分からず、また聞き返した。

「本当は今日、貴方はペナルティーを負ったんだヨ。昼間、小さなことだけど、悪さを働いただろう?」

「何のことだ。俺は公園でじっとしていただけだぞ」

「貴方は霊なんだ。それも悪霊にカテゴライズされてもおかしくない、地縛霊。意識していなくても、やることはやっているのさ。今日、野球をしていた家族がいただろう。そのボールがあの池に入ってしまったのは、覚えているね?」

 夜の色によって真っ黒に染められた池を指差して、ジョーカーが言った。あのボールはまだ回収されずに、虚しく池の水面に浮いている。そして、俺はジョーカーの言葉に頷いた。

「あれは貴方の仕業だ。野球関連のほんの少しの未練が起こした、悪行。まあ貴方にとっては事故みたいなものだから、私も目を瞑ってあげるけれどね」

「嘘だろう? 今までそんなことはなかったぞ」

「時は迫っているんだよ」

 言われてあの時の光景を思い出すが、自分がやった意識なんて微塵も持ち合わせていない。確かにボールの起動は人が投げたにしてはノーコン過ぎたが、それにしたって暴論に聞こえる。あれを俺がやったというのか。到底信じられる話ではなかったが、自分が『そういう類』の霊だと思えば、不承不承納得するしかなかった。

「そういうわけで、貴方にはその無意識の衝動すらも抑えてもらおう。いや、それは少し意地悪かな? じゃあ、貴方のその小さな衝動が大きい衝動に変わるようにしておこう。自分がしたいことを我慢する強い子どもになら、プレゼントを一つ増やしてやるくらいしてあげるヨ」

「分かった……いや、良く分からないが、頑張ることにしよう」

「ハハハ、じゃあ貴方に魔法をかけるヨ」

 するとどこからともなく縞々模様の入ったステッキを取り出して、ジョーカーはぐるぐると回転し始めた。キュッ、と気持ちのいい乾いた音を立てて止まったかと思うと、人に催眠術でもかけるように今度はステッキを回した。

「くるくるくるりんぱー」

「なんだそれは」

「ハハハ、雰囲気だヨ雰囲気。魔法っぽいことを言っておかないと、魔法っぽくないだろう? いや、クリスマスらしく、ジングルベルとでも言っておけば良かったかな?」

 ジングルベル、鈴がなるー、とジョーカーは一フレーズだけ歌い、一人でケラケラと笑った。こんなにクリスマスソングの似合わないサンタクロースもこのジョーカー以外にはいないだろう。

 俺は自分の身体を見渡した。どこかおかしくなったような部分は無いし、気分も悪くない。ジョーカーは俺に魔法をかけたらしいが、実感は持てないようだ。

「それで、俺は何かが変わったのか?」

「明日になってみれば分かるヨ。明日は二十四日クリスマスイブだ。街の人々が嬉々としてクリスマスイブを楽しんでいる中、ミスターワタセはひたすらに我慢。ハハハ、無償のプレゼントを貰うために我慢だなんて笑うしかない」

「兎に角、俺は明日何もせずにしていればいいんだな?」

「そう。良い子にしているんだよミスターワタセ」

 ぐっ、とこめかみを押されるような感触がした。意識が一瞬軽くなり視界がぐらついたかと思うと、次の瞬間にはジョーカーは姿を消していた。これを見るのは二度目なので驚きはしないが、意識がふらつく感覚だけはどうにも慣れる気がしない。どういう原理なのか知らないが、他に姿を消す方法はないのかと問い詰めようかと思った。

 明日はクリスマスイブ。四十も過ぎた今、クリスマスを楽しみにする精神なんて持ち合わせていないと思っていたが、どうやらまだ俺にもクリスマスを楽しむ心があったらしい。明日を乗り切れば、俺は家に帰ることが出来る。子どもの遠足じゃあるまいし、楽しみで寝られないなんてことはないが、きっと俺の身体が睡眠を要求するようなものだったならば、もしかしたらなんてことが有り得たのかも知れない。

 今から二十四時間。短いようで、長い一日が俺を待ち受けている。煌々と自らを照らし始めた街をバックにして、俺は目を瞑った。車がアスファルトを走る音、俺の存在に気付かず近くを通り過ぎて行った足音、人の声。壁の向こう側には確かに俺が知っている世界がある。俺がどれだけ叩けどまるでマジックミラーの向こう側のように無反応だった世界に、明日行ける。寒くも無いのに、身体が震えた。

 そうして朝を迎えた後、俺はジョーカーの言葉を本当に理解することになった。




 二十四日はクリスマスイブだというのに平日だ。二十三日は天皇誕生日で休日だというのに、実に皮肉な話だと思う。昨日より人の足数が少ないのはそのせいだった。ほとんどの成人男性が会社へと向かう。公園はあまりクリスマスの煽りを受けない。だから、見える景色には何も違いが生まれない。見えない壁と相まって、ここだけ世間から切り離されてしまったようにさえ思えた。

 その代わり、壁の向こう側はクリスマス一色に変わっていた。目に鮮やかなイルミネーションに彩られ、街が活気付いている。赤、白、青、黄色、黙認できる色だけで脳裏がチカチカと火花を上げられるくらいの光源。何だろうかこれは。下界から天を見上げるような気分だ。ふと後ろを振り返れば、土色に染まったアスレチックパークが俺の視界を出迎える。寒さは感じないのに、温度差を痛感した。

 今日は一日じっとしていなければならない。いつものベンチに座り、イブにも関らずやってきた老人に挨拶を交わす。今日はきっと誰もここに座らないだろうから、一日独占させて貰おう。 

 手持ち無沙汰になり、何気なく老人の視線を追ってみた。すると、そこに昨日キャッチボールをしていた父親を見つけた。手に大きな紙袋を抱えている。変な因果もあったものだと思って見ていると、ゆっくりとした足つきでこちらへ向かってきた。ここに座るつもりだろうか。俺は席を立って、ベンチの隣に移った。

「ふう……」

 仕事は休みなのか、スーツではなく私服だ。コートの中は分からないが、ジーパンを穿いている。寒そうに手を擦り、白い吐息を吹きかけた。俺には必要なくなってしまった行為に、少しだけ寂しさが積る。男は紙袋を隣に置くと、背もたれに大きく体重をかけた。

 しかし、老人が隣にいるというのにわざわざこの席を選んだというのは何故だろうか。知り合いなのかと思ったが、話しかけない辺りそうではなさそうだ。

「早めに並んだ甲斐があったな……」

 紙袋の中から、真っ白な包装紙に赤いリボンが結ばれた、明らかにプレゼントと分かる箱を取り出す。この包装紙には見覚えがある。近くのデパートのものだ。恐らく息子へのプレゼントなのだろう。大きさを見るに、ゲームソフト辺りだと思う。男は満足したように顔を綻ばせ、周りに俺がいると知らずにニヤニヤとしていた。

「……っ!?」

 突然、胸の奥のほうに吐き気を催すほどの圧迫感が襲った。ひっ、と何かが詰まったような声が出る。身体の芯のほうから寒気が走り、足腰が砕けたんじゃないかと思うほど簡単に地に膝を付き、寒気に共振するように身体全体が震えた。

「なんだっ……これ」

 痒みにも似たもどかしさがあちこちを支配し、あまりの気持ち悪さに蛇のように間接という間接をくねらせた。しかし一向に収まる気配は無く、むしろどんどんと強まっているように思えた。

 視界の端に微笑を携えている男の姿が入った。すると、ドクンッ、と明らかに人体が出せる音じゃない何かが俺の中から聞こえた。理由は分からないが無性に苛立ってきた。どうしてこの男が生きていて、俺が生きていないのか。そんな今更なことに不満を覚えた。息子とキャッチボールの一つも出来ない俺の目の前に、こいつが存在していることが無性に許せなくなる。おかしいだろう、どう考えても平等じゃない。分からないのか? そりゃあそうだろう。お前は死んでいないんだから。一度死んでみれば分かる。そうだ、殺してやろうか。そんな殺意すらも、湧き水のように広がっていく。

「落ち着きなさい」

 その時、やけにかつぜつの良い声が俺の耳に響いた。おかしくなっていた意識が引き戻され、知らない間に俯いていた顔を上げると、正面に老人が立っていた。

「俺が……見えるんですか?」

「お前さんが私を見ることができるようにな」

 猫背ではあったが、しっかりとした腰つきで立っている老人。この人、幽霊だったのか。確証はどこにも持てなかったが、言葉の意味を汲み取るならばそうだ。自分の姿を見たときもそうだったが、生きている人間と何も変わらない。

「自分の未練を恨んではならん。自分が出来なかったことを他人に八つ当たりするなど、見当違いにもほどがあるだろう」

「み、未練?」

「その男が幸せなのが気に食わないのだろう? それは、お前が逃した幸せをこの男が持っているからだ。違うか?」

「それは……」

「嘘はつくな。幽霊に嘘は禁物だ。悪質なものになりかねん。正直になれ。自分が望んでいたものを忘れてしまうことは怖いことだ。どこに行けば良いのかが分からなくなる。暗中をひたすらに彷徨う人生は嫌だろう?」

 何かを知っているような口ぶりでそう語る。そして俺はその言葉に正直に頷いた。

「霊になる人間なんぞ、死ぬ前に何か強い想いを持っていた奴だけだ。その想いを否定してどうするというのだ。しっかり認めて、解消してやらねばならんだろうに」

「解消……」

 ジョーカーの言っていたことを思い出した。ジョーカーは俺が霊であるしがらみを解き、開放してくれると言っていた。それを解くために、俺は我慢強くなることを条件に突きつけられた。それが恐らく、今までに感じたことのないあの殺意なのだろう。普段はなんとも思わなかったのに、突然やってきた憎悪の念。むしろ、今まで何もしなかったことのほうが奇跡なのかもしれない。あんな感覚が自分の中に潜んでいたなんて、考えるだけでも死にたくなる。既に死んでいるというのに、これ以上誰に迷惑をかけられるというのか。今先ほど起きたことを思い出して、自身に恐怖を覚える。何かが起きる前に俺は消えなければならない。そんな念に駆られた。

「どうすれば、それは解消出来るんですか?」

 俺は期待の目を向けて、老人に問うた。

「さあな。ただ、お前の未練はそこの男が知っているかもしれない、ということは分かる」

「彼が……」

 息子へプレゼントを渡した時の姿でも想像しているのだろうか。男の口元は無防備に緩んでいて、それを見ているとまた苛々が溜まっていく。

 分かっている。これだけ意識がはっきりしている霊体を持っていて、自分の未練が分からないなんてことは本当は無い。俺は息子とキャッチボールがしたい。これが自分の未練だと言い切る自信は無い。しかし、今俺が一番求めているのはそれだった。ただ、どうしてもその願いは叶わない。生きている人間と死んでいる人間がキャッチボールをすることが出来る道理はどこにもないのだ。

 裕樹はあまり外で遊ぶことを好いた子じゃなかった。クリスマスやお年玉、そして誕生日が来る毎に欲しいゲームを買い与えていたせいか、友達と一緒に遊ぶのは良いが家の中で遊ぶことが多かった。俺が子どもだった頃はそんなものは高価で中々買えなかったし、何より外で遊んでいるほうが好きだった。だから裕樹にもそうするよう何度も言っていたのだが、一切その言葉には耳を貸してはくれなかった。しかし、妻もそんな子のことを心配したのか、中学に入ったら俺が野球好きなのを知ってか、野球部に入るように言っていた。裕樹は勿論反対していたが、小遣いのことなどで脅してやると、しぶしぶ頷いていた。ただ、野球部は生半可な練習じゃないことを俺は知っていたから、中学に入る前に少し体つくりをしようという話をしていたのだ。その最初のワンステップとして、俺はキャッチボールをする予定だった。

 きっと俺は、息子と仲の良い家族には無差別でこの殺意を湧かせてしまうだろう。いや、もしかしたら妻への未練もあって、カップルにも殺意が湧くのかもしれない。そしてこれに負けた時、俺は悪霊となってしまうのだろう。

「なんとなく気付いたようだな。私には分からないが、きっとそれは簡単なことじゃないのだろう。だが諦めてはいかん。私たち霊がこうして自我を持ち続けている限り、希望は失われていない」

「……明日はクリスマスです。その奇跡が起きてもおかしくはない。そう思いませんか?」

「サンタクロースが私たちにプレゼントでも持ってくるというのかね?」

 老人は綺麗に生え揃っている歯を見せて、大きく笑った。

「そういう『ジョーカー』を切るのも、無しじゃあないかなって思います」

「まあ今となっては、どんなことでも信じられる気がするがね」

 老人の言葉に頷く。そう、何も無くなった今なら何でも信じられる。だから俺はジョーカーなんて胡散臭い奴を信じて、今日を迎えた。幽霊の世界に詐欺があるのかは分からないが、騙されている確率は勿論ある。ジョーカーは本当は地獄の使者かもしれないし、魂を消滅させるための死神かもしれない。少なくともあの格好で天使ってわけじゃあないだろう。だけど、道化師だから、ほんの気紛れで救いをくれるのかもしれない。

 その気紛れを、俺は待っている。

「じゃあ私は行くよ。どこに行くのかは、私にも分からないがね」

 老人はそういい残して去って行った。きっとあのアドバイスは、自分自身だったんだろう。俺は自分の憎悪に負けそうになったことを助けられたのを感謝し、老人が消えた後に小さく一礼した。




「ジョーカーイン、メリークリスマス!」

 その夜、約束通り二十四時ぴったりにジョーカーは現れた。俺は満身創痍になりながらも自分の衝動を必死に抑え、ただひたすらにこの時を待っていた。汗はかいていないし息切れもしていない。しかし、身体の中に泥が溜まったように重く、瞼を開いているのにさえかなり無理をしていた。

「随分とお疲れのようだね。でも良く我慢した。貴方はとても良い子だ」

「四十の身体に鞭打ってくれるものだな。何度諦めようと思ったことか」

「ハハハ、では約束通り、貴方には二つのプレゼントを上げよう」

 背中には何も背負ってなかったはずなのに、ジョーカーは後ろから白い袋を取り出した。人の上半身が丸々隠れるほどに大きい。その中から二つの箱を取り出して、俺の前に置いた。箱は一つは緑で、一つは赤だ。皮肉にもクリスマスカラーだ。なんとなくめでたい気分になってしまった。

「緑の箱が、ミスターワタセの求めたプレゼントだヨ。さあ、早く開くといい」

 ジョーカーに催促され、俺は緑の箱を手に取った。まるで空気のように軽い。何かを持っている感覚が無い。それはそうだ、そもそも俺は何かに触れられないんだから、これもそういうものなのだろう。

 包装紙を乱雑に破り、俺は箱のふたを開けた。

「……」

 何となく予想できたことだが、そこには何も入っていなかった。俺は顔を上げて、ジョーカーを睨んだ。

「怖い顔をしないでくれヨ。大丈夫、これも演出さ。本当はこんなもの必要ないんだけど、何せ今日はクリスマス。雰囲気を大事にしなくちゃね」

「それで……俺はあの壁の向こうに行くことが出来るようになったのか?」

「ああ、勿論さ。何なら確かめに行けばいい」

 言われて俺は一心不乱に駆け出した。箱を投げ捨て、公園の出口へ向かって気持ちよりも早く足を動かした。

「おいおい、赤い箱をまだ受け取っていないよ!」

 ジョーカーの言葉はもう耳に入らない。

 いつも壁があった場所。公園の出口と歩道の境目。アスファルトと土の合わさった部分。何度も見てきたその光景の向こう側の立つことは許されなかった。全速力で走っているためか、少しだけ怖くなる。何せ壁に向かって猛進しているのだ。自ら衝突事故を起こすなんて馬鹿らしい話も無い。ただ、ジョーカーの魔法が本当ならば、このまま直進しても何も無い。俺を阻むものは、何も無いはず。

 行け。足を進めろ。

「ふっ……!」

 俺は、久々にアスファルトへと足を踏み入れた。

 壁は無かった。ジョーカーの話は本当だったのだ。俺はしがらみから解放されたんだ!

 記憶にある自宅への道を光速で辿る。この公園からマンションまではすぐだ。街のクリスマスイルミネーションを抜け、見知ったスーパーの角を曲がり、大きな交差点の信号を待たずに通り抜け、俺は自宅を目指した。幽霊である身体に障害物は無い。今さっきまで大きな障害物に阻まれていたとは思えないほど、軽快に身体は道を、また道でない場所を進んでいく。

 こんな全力で走ったのはいつが最後だったか。高校で野球部だった頃だろう。大学に進んでからもこんな走ったことは無い。いつの間にか全力を出すことを忘れていた身体が、急激な変化についていけず軋む。こういうブランクは幽霊の身体になっても同じなのかと、苦笑が漏れた。

 マンションの階段についたとき、足元からカッ、と音がした。足音だ。それも、俺の。どういうことか分からないが、何故か実体化しているようだ。足裏が少しざらざらする感触。久々過ぎて涙が出そうになる。けれども、それを楽しんでいる暇は無い。

 ジョーカーに外に出してもらったあと、戻って赤い箱を開けなかったのには理由がある。あれを開けたら、俺は消えてしまいそうな気がした。第二の人生を手に入れた俺に、この現世で、この身体で何かをする時間を与えられたのだろうか。そう、強制成仏という言葉が頭から離れず、その不安を掻き消すために俺は駆け出した。まだ消えるわけにはいかなかった。せめて、息子と妻の元気な姿を見るまでは。出来れば、あのグローブがまだあるのかを確認するまでは。

 高層マンションの八階。808号室が自宅だ。浮遊の仕方は分からないし、そもそも今は出来ない。三階まで階段で走っていたが、途中からエレベーターに乗り換える。急かすように八階のボタンを連打し、嫌がらせかと思うくらいゆっくりとエレベーターの扉が閉まる。重低音が室内全体を振動させている。エレベーターが動くと、また久しぶりの重力の感覚。もしかしたら俺は生き返ったんじゃないのか。ふとそんなことを思ったが、すぐ頭を振って追い払った。

 808号室の正面まで来る。この扉を開けようとすることが、こんなに怖くなる日が来るとは思ってみなかった。鍵は何故か、開いている気がした。ドアノブに手を伸ばすと分かる。俺はこの扉を開けることが出来る。ただ、それを引っ張る勇気が中々湧いてこなかった。

 この先が、天国であれ、地獄であれ、俺の心は未完成のままでそこへ辿り着いてしまう。望んだ光景が全てそこに揃っているとしても、一生揃わないピースがここにある。それはもうどうしようもないことだ。妻がいて息子がいて、俺がいない。その現実だけはどう願っても変わらない。クリスマスの奇跡だって手の届かない場所にある願いだろう。ジョーカーに「俺を生き返らせてくれ」と頼んだら、もしかしたら生き返ったのだろうか。いや、きっと無理だろう。平等じゃない。

 色々な雑念を振り払い、ドアノブを掴んだ。右に回してみると、やはり鍵はかかっていなかった。少し力を入れて開いてみると、チェーンもかかっていない。無い心臓の高鳴りを抑えながら扉の中を覗いた。真っ暗だ。夜よりも深い闇が広がっている。誰もいないのだろうか。俺は満を辞して808号室の中に足を踏み入れた。靴は脱げない。自宅に土足で上がり込む。なんだか汚れることを気にしない子ども時代に戻ったようで、少しだけ胸の中が踊った。

 内装はがらりと変わっていた。そういえば標識を見るのを忘れた。もしかしたら引っ越してしまって、別の人の家になっているかもしれないという可能性を考えていなかった。だが、良く見てみると見覚えのある家具が並んでいる。配置も変わっているし、テレビは新調され、ソファーも新しいものに変わっている。

「なんだ……俺の家じゃないか」

 口に出して、ようやく帰ってきた気になった。家は自分の一部だ。俺の家ならば、俺自身がぴったりとそこに嵌る。四方を存在で埋められた俺は今、とても安心できる位置にいた。

 静かな空気にしばらく身を漂わせていると、扉のほうから女の声が聞こえた。知っている、妻の声だ。誰かと話しているみたいだ。きっと裕樹だろう。俺はキッチンのほうに隠れて時間を過ごすことにした。隠れる必要なんて無いのだが、流石に真ん中に突っ立ってられる度胸もない。少しだけ、顔だけ見たら帰ろう。そう思って、身を隠して耳を澄ませた。

「凄かったわねー、ツリーのイルミネーション。感動しちゃったわ」

「テレビも少し来てた。なんでいきなりあんな豪華なことしてんだか」

 続くように男の声。だが、こちらには聞き覚えが無い。息子かと思ったが、声が低すぎる。誰だ。低いが、明らかに若い男の声。妻は今年で三十八になるはずだが、新しい男でも作ったというのか。じゃあ裕樹はどこだ。中学生だぞまだ。まさか新婚の邪魔だからといって追い払ったんじゃないだろうな。ふつふつと不安と怒りが混ざりあった気色の悪い色をしたヘドロが胸元を伝った。

 二人はリビングに入り、妻のほうが電気のスイッチを押した。男の姿は見えない。部屋にでも戻ったのだろうか。このマンションは2DKの部屋の間取りをしている。洋室を夫婦の寝室兼書斎にしていた。俺のいるキッチンからその部屋は見える。男の姿が無いということは、自動的に和室にいったことになる。あの部屋は裕樹の部屋だ。小学校に上がるとき、学習机を買ってやり、裕樹の部屋にしたのだ。

「本当に……捨てたのか?」

 冷や汗が額を伝う。

 いや、幾らなんでもそれはない。俺の惚れた女だ。そんなクズ同然のことをするはずがない。洋室を息子の部屋に改装したのだろう。そうとしか考えられない。こっそりと妻の姿を隠し見る。少し老けただろうか、目尻や口元に皺が増えている気がする。だが見間違えようもない、妻の顔、妻の身体だ。髪の毛もほんのり茶色に染めていた。どこか、昔よりも化粧付いた気がする。

 安心した。彼女は元気でやっているようだ。それだけでも確認できれば十分か。息子はどこにいったのだろう。もしかしたら中学生なりにませて、彼女と外泊……いや、流石に無いか。この男のせいで、実家にでも帰らせられたか。全くふざけた話だった。

 腰を上げる。明らかにキッチンから上半身が見えるようになってしまったが、やはり妻は気付かない。帰ろう。今日はこれ以上いても無駄だろう。いや、明日があるかどうかは分からないが、もう十分じゃないか。地縛霊にしては、大きすぎるプレゼントだ。

 俺はキッチンを出て、玄関へと向かった。しかし、その途中で部屋から出てきた男とばったり遭遇してしまった。

「あ……」

 目線が合う。いや、偶然だ。生きている人間は俺を見ることが出来ない。相手は自分を見てなんていないのに目が合うのは気味が悪い。俺は男の横を通り抜け、玄関から外へ出ようとした。

「待ってくれ。あんた、もしかして親父か?」

「えっ」

 その言葉に思わず振り返る。今一度、その男の顔を見た。若い男だ、しかし若いと言ってもまだ学生みたいじゃないか。それに良く見てくると、ブレザーを着ている。それも覚えがある。近くにある高校の指定ブレザーだ。通勤途中の車の中で、何度も見てきた。

「まさか……お前が裕樹なのか?」

「つうことは、あんたは親父なんだな?」

 俺はそれに強く頷いた。

「どうして……俺は幽霊だから見えるわけがないのに」

「幽霊……そうだよな、親父は死んだんだもんな。なんだろ、普通驚くところなのに、何故か驚けない。随分とまともな格好で出てくるんだもんよ。もっと爛れたような姿で幽霊ってのは出てくるもんじゃないのかよ」

「はははっ……そうか、俺は驚いたよ。お前がそんな姿になってるなんて、知らなかった」

 言われて、裕樹は視線を降ろした。自分のブレザーのことを言われたのだと気づいて、小さく頬を掻いた。

「まあ、もう十八だからな」

「もうそんなか……大学は受験したのか?」

「ああ。推薦で、もう決まった」

「そうか……」

 姿が変わってしまった息子。同じ人物と話をしているはずなのに、違う誰かと話しているようだった。身長も伸びて、俺と目線を合わせられるほどになっている。小学校の頃から身長は高いほうだったが、百八十の俺と並ぶか。顔立ちも綺麗になった。きっと学校ではモテたことだろう。息子の成長した姿を見て、俺は色々想像せずにはいられなかった。

「母さん呼んでくるよ」

「いやいい。母さんは俺が見えないみたいだ」

「どうして……」

「さあな。こういうのは子どもだけに許されたことなのかもしれない」

「子どもじゃねえよ、十八だぞ?」

「プレゼントを貰う側は、みんな子どもなんだよ」

 裕樹は「そうかよ」と不満そうに返してきた。

 ジョーカーは俺を子ども扱いしていた。『良い子』にしていろと、まるで俺の父親にでもなったかのように接してきた。それは、俺がプレゼントを受け取る側だったからなのだろうか。今でも、あいつのことは良く分からない。

 そういえばグローブ、グローブはどこにあるんだろうか。裕樹なら知っているかもしれない。俺は裕樹にぐっと詰め寄った。

「なあ、昔俺がお前に野球を教えようとした時の、グローブは残ってないか?」

「グローブ? ああ、あるよ。その時のグローブかどうかは知らないけど。俺、結局中学も高校も野球部なんだ。信じられないだろ?」

「ほ、本当か? どうだ、部活は楽しいか?」

「正直キツイことだらけだ。スタメンに選ばれないどころか、俺はベンチにも入れないから。努力してないわけじゃないんだけど、やっぱ上手い奴には中々追いつけない」

「そうなのか。でも大丈夫だ、頑張っていれば、いつか監督が目を付けてくれる」

「ははっ、そうだといいな。まあでも、結構楽しいから。心配しなくていいよ。グローブ、取ってくる?」

「頼む。あと、少しだけ付き合ってくれ」

「了解」

 裕樹は和室へと入った。野球道具なのに自室にあるのか。ああいうのは普通玄関に置いておくものだが。

 それにしても、裕樹は野球を始めていたのか。数年前になってしまったあの時、妻と相談して野球をさせようとしたのは正解だった。裕樹が野球を楽しいと言ってくれただけで、その甲斐がある。自然と顔が綻んでしまう。良かった。ジョーカーにあの壁を越えられる様にしてもらって本当に良かった。

 もう何も思い残すことは無い。俺は玄関をすり抜けて、マンションの外へ出た。

 世間がクリスマス一色で賑わっているというのに、俺は一体何をしているんだろう。何故もっとこう、サプライズな出来事だとか、赤い服を着てサンタクロースに扮するとか考えなかったのだろうか。家族サービスの悪い父親だなと、自分で思った。クリスマスに息子にしてやれること、いや息子としたいことが、キャッチボールなんて笑えない。




 結局、ここに戻ってくる。いつもの公園。野球場のように巨大な証明は無い。ぽつんぽつんと立っている街灯を明りにして、俺は裕樹とキャッチボールをしようとしていた。離れた距離は十数メートル。ボールは池に浮かんでいたのを取ってきた。何故今このタイミングで、ボールを掴めたのかは分からない。これもまた、ジョーカーの気紛れなのかもしれない。グローブはつけられなかった。変わりに裕樹がボロボロのグローブをはめ、俺からのボールを待っていた。

 こんなに賑やかな夜は初めてだった。街の喧騒は耳に入ってこないし、今日は車の通りも少ない。しかし、まるでパラダイスにでもいるような高揚感が俺を包んでいた。

「行くぞー」

 ボールを山なりに放る。コントロールには自信がある。ボールは裕樹のグローブへと吸い込まれ、懐かしい乾いた音を立てた。それに泣きそうになる。もう二度と自分では奏でられない、全てが詰まった音。やはりこれが俺の未練なのだろう。普通、ボールがグローブに収まる音で泣きそうになりなんてしない。ああ嫌だ、こんなことならキャッチボールなんてしなければ良かった。大人泣きなんて格好悪いこと、息子の前で出来ない。

「行くよ」

 裕樹からボールが来る。一度素手を叩き、少し腰を落として構えを取る。だが、裕樹の投げたボールは途方も無い方向へとずれて飛んでいった。指を引っ掛けたのか、かなりの暴投だ。遠くから「悪い!」と裕樹が謝る声が聞こえた。俺は苦笑しながらボールを拾いに行き、「どうしたどうしたー」と昔野球部にいた頃を思い出しながら裕樹を挑発した。

 しかし、楽しんでやっていたのも三球まで。明らかにおかしいことに俺は気付いた。裕樹が投げる球が全て暴投。幾らなんでも野球部に所属している男子にこんなことはありえない。この光景は見たことがある。昨日、昼間に野球をしていた親子だ。父親の投げる球が全て彼方に飛んでいく。あれは何だった。ジョーカーは『俺の仕業』と言っていた。未練を残した俺の、無意識での仕業だと。

「お、おかしいな。いつもはこんなんじゃないんだよ。守備と送球だけは上手いって、監督からも褒められてたんだ」

 見ると、裕樹の表情はかなり陰っている。どこか、泣きそうにも見えた。

 また裕樹がボールを投げる。一応構えたが、やはり俺の元へは飛んでこない。俺も流石に笑えなくなり、やがて無言でボールを拾いに行った。

「ふざけんな!」

 裕樹の怒声が夜の空に響いた。驚きはしなかった。ただ、ああ、可哀想に、とだけ思う。そして、申し訳ない気持ちで俺は埋め尽くされる。

 意味が分からない。俺の未練は解消されたんじゃないのか。息子とキャッチボールをしているこの状況を得て、まだ俺は不満があるというのか。それこそふざけんな。これ以上何を望んでいるっていうんだ。欲が強いにもほどがあるだろうが。

「理解出来ない、そんな顔をしているね、ミスターワタセ」

 ボールを拾うと、真正面にジョーカーがいた。相変わらず奇妙な衣装に身を包んでいる。プレゼントが入っていた白い袋は萎んだ風船のようになっている。一仕事終えたんだろう。腕を組んで、片足を上げて折り曲げている。中腰で何故か空気椅子をしていた。

 俺が何か言う前に、ジョーカー言葉を続けた。

「幽霊という存在は実に卑怯だ。自分が他人を羨む気持ちをなんとかしてこじつけようとする。だから無関係な人間も稀に襲われる。それは無関係なのではなく、無関係が関係にこじつけられたせいなのだけれどネ」

「どういうことなんだ……」

 俺は力なくそう訊いた。

「貴方は、この現状に満足している自分に羨望の目を向けているんだヨ。満足していると同時に、後悔している。面倒な生き物だね、幽霊は。あっと、死んでいるから生き物じゃないか」

 ハハハ。

「どうすればいいんだ。教えてくれ」

「私が教えるのか。まあ、今日はクリスマス。そんな気紛れがあっても良いヨ。手段なんて一つしかない。貴方にプレゼントした、赤い箱を開けるんだ」

「赤い箱……」

「親切な私が取っておいてあげたヨ」

 何も入っていないと思っていた白い袋から、少し前に渡された赤い箱が出てくる。この中身は俺の『第二の人生』だ。ジョーカーが何をいいたいのかは理解出来た。つまりはそういうことか。

「――なあジョーカー。お前は一体何なんだ」

 赤い箱を受け取り、俺はジョーカーにそう訊いた。もう覚悟は決めた。だからついでに、この太っ腹な道化師と少し話をしてやろうと、そう思った。

「私の名はジョーカー。職業はサンタクロース。世界の子どもたちに夢と希望を与える存在さ」

「嘘をつけ。死神か何かなんだろう?」

 するとジョーカーは大きく飛び跳ねたかと思うと、突如ぐるぐる回りだした。

「なんと心外な! 嘘などついていない。私はサンタクロース。それに間違いなどないヨ」

「だが死神、そうだろう?」

 回転を止め、何故か逆立ちになったままジョーカーは語りだす。

「サンタクロースなどという存在がこの世にいると信じている人はどれだけいるだろう。私が知る限り、もうほとんどいない。ならそれは何故だろう? 理由は単純明快、サンタクロースを見ることが出来ないからだ。ただそれでは、幽霊が見えないのにいると提唱している人がいるというのに随分と不平等な理屈だと思わないかい?」

「まあ、そうかもしれない」

「サンタクロースはいるんだヨ。この私のように。ただそう、サンタクロースは普段悪魔の格好をしている。その形は様々だが、私のように道化師のような奴もいる。そして、悪魔である私たちは人から色んなものを奪い取る。例えば財産だとか、例えば大切な何かだとか、例えば魂だとか。もっと言えば、幸せだとか。サンタクロースの白い袋には、それが詰まっているのさ」

 ニィ、と口元を歪めた。ジョーカーの初めて見る本音の象徴だった。

「そしてクリスマスは一年に一度、奪ったものを返す日だ。聖誕祭、神の生まれたもう日に、悪魔はサンタクロースとなって色んなものをお届けする。例えば財産だとか、例えば大切な何かだとか、例えば魂だとか。もっと言えば、幸せだとか」

 演劇の台本でも喋るかのように、道化師らしく演出に富んだ台詞回しでジョーカーが語る。

「それは、気紛れじゃないのか。そんなことをする必要なんてないだろうに。お前はどこか、遊んでいるように見える」

 俺は正直に告白した。胡散臭さはとんでもなかったが、ジョーカーが嘘をついていると思えなかったのは、彼が純粋に『サンタ』という職業を楽しんでいるように見えたからだ。それも道化の力によって化かされたものなのかもしれないが。

「ミスターワタセ。クリスマスとはとても特別な日だと思わないかな。神の聖誕祭という意味じゃない。ほぼ世界の人間全てはこのめでたき日を祝うんだ。この日を哀しむ人間なんてほとんどいない。誰しもが心踊り、このイベントを楽しむんだ。この力は強いヨ、貴方が思っている以上に。だからこの日限定で、私たち悪魔は存在できなくなる。だから私たちはサンタクロースになって、貴方たちと一緒にクリスマスを楽しむ。これは気紛れじゃない、サンタクロースとはそういうものだ。だから私は、貴方に『第二の人生』を与えようと、そう言った。貴方もクリスマスというイベントの参加者の一人なのだから」

 そうだったのか。ジョーカーは死神じゃなかった。いや、厳密には死神だったのかもしれない。ただ、この瞬間だけは、サンタクロースだった。世界の誰一人ともこのクリスマスから外れぬよう、俺たち幽霊の元へ来たのだろう。感謝しなければならない。俺は知らない間に、楽しいイベントに招待されていたようだった。

「ありがとうジョーカー。この事は一生忘れない」

「面白いことを言うネ。第二の人生に、記憶は持っていけないヨ?」

「それでもだ」

「ハハハ、そうかいそうかい。なら覚えていればいい。そうするといい。では、私はまだ忙しい身なのでね、そろそろお暇するヨ。残り少ない時間を存分に楽しむといい」

 アディオース、今度は意味通りの、さようならだった。

 残ったのは赤い箱。今年のクリスマスプレゼント。もう開けない理由が無い。俺は覚悟を決めて、その封を切った。

 何が変わったわけでもない。これもまた、あの自称サンタクロースの演出だろう。ただ、俺が受け取るという行為が必要だっただけ。それまで待ってくれたジョーカーは、やはり憎めなかった。

「待たせたな」

 裕樹の前まで戻り、ボールを渡した。しばらく話し込んでしまったせいか、裕樹は寒そうに鼻を啜っていた。

「幽霊の友達?」

「まあそんなところだ。あと、ボールはその人に直して貰ったよ。ちょっと軽い呪いがかかっていたらしい」

「ふうん……」

 納得はしてないんだろう。ボールを持って色んな角度から調べていたようだが、結局諦めてグローブに収めていた。

 裕樹と距離を取る。さっきと同じ、キャッチボールがしやすい距離。ほんの少しだけ相手の顔が霞んで見える距離。でももういい。裕樹の元気な顔も覚えた。これも来世に持って行ってやろう。

 裕樹が振りかぶる。俺が教えていない綺麗なフォーム。それを見て少しだけ寂しくなる。俺の知らないところで裕樹はしっかり成長した。ならそれでいいじゃないか。嬉しくなることはあっても、悲しくなることはない。

 さあ来い。お前の球を俺に受けさせてくれ。

 白球が夜空を舞った。それは一直線に俺の手の平へ吸い込まれ、そして通り抜けた。後ろで、ボールが地面を叩く音がした。どこまで転がっていくのだろうか。自分がどこへいくのか、こいつは知っているんだろうか。少なくとも、俺は知っている。

 きっとこのまま、池に落ちていく。

「ゆうきぃー!」

「なにー?」

「ナイスボール!! そして、メリークリスマス!」

 

 それからはもう、あまり覚えていない。


どうも白鳥です。


今回は「ギフト」ということで、少し捻って「魂」をギフトする死神の話を思いつきました。つっても結構執筆に手間取りました。何せ幽霊の一人称で冬らしさとかクリスマスらしさを演出できないばかりか、主要のサンタクロースは胡散臭いピエロみたいな奴なので。


テーマとかはあんまり定めてません。「サンタクロース」という存在の持論と、あとかなり控えめにした文章表現とかでしょうか。挑戦するってほどでもなかったので、普通に書きたい物書きました。


なんか暗いっぽい話になりそうだったので、無理矢理良い話にもっていきましたという裏話。笑ってやってください。



では、最高のクリスマスを。

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[良い点] 作品読ませていただきました。 まぁ、面白かったです。 しかし、人のことは言えないのですけど、つっこみどころも満載のお話でもあります。 でも、ご都合主義もギフト企画のような、読者に夢を与え…
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