第9食 すいか
季節は夏真っ盛り、暑い日が毎日続く。
そんな時、私はこの夏を食べてしまおうと思う。
最近の暑さこそ身体に応えるけれど、夏は元来明るく楽しい色をして私たちの前に姿を現すものだ。
そんな夏を体現するもの――それはすいかだと私は思う。
緑と黒に彩られたシックな球体にナイフを入れれば、中から現れるのは見る者をはっとさせるような灼熱の赤だ。
まるで太陽を割ったようなその明るさこそ、夏そのものであるといえよう。
「すいかは果物ではなく、野菜です」
小学生の時に授業で聞いたその事実は、当時の私に新鮮な驚きをくれた。
家では食後のデザートとして、さも他の果物と同じですよと澄ました顔で出てくるすいか。
しかしその実、彼の正体は野菜なのだ――それを知った私は世界の真実を知ったかのような気分で、親や弟に「知ってる? すいかって野菜なんだよ」と知識をひけらかしていたように思う。
何故すいかが野菜なのか、それについてはよく理解していなかったので、「なんで野菜なの?」とそれ以上突っ込まずにいてくれた家族の優しさに感謝するばかりである。
野菜と果物の違いについて改めて調べてみたところによると、実はその定義は流通場所や国によっても異なるらしい。
日本においては農林水産省によって定義付けされていて、まとめると下記の通りだ。
野菜:苗を植えて1年以内で収穫される草本植物(草)で、田んぼや畑で栽培できる。
果物:2年以上栽培される草本植物(草)および木本植物(木)。
また、植物・園芸学ではよりシンプルに木本植物の実は果物、草本植物の実は野菜とされている。
それらを踏まえて、春に種を撒き夏に収穫されるすいかは野菜に分類されるのだ。
同様にメロンやいちごも野菜に分類されるらしい。
なんとなくすいかの仲間に見えるメロンはまだしもいちごも実は野菜だったとは、驚きである。
他に草本植物に分類されるバナナやパイナップルも、農林水産省上の分類では『果実的野菜』とされているそうだ。
逆に木になるアボカド、ゆずやすだちは果物であり、『野菜的果実』らしい。
子どもの頃の私はそんなことを勿論知らない。
しかし、先生の言うことは絶対だという半ば盲目的な信頼と、母がすいかと共に出したアジシオの瓶を見て「塩をかけるということはやはり野菜なんだな」と納得していた。
だからかも知れないが、正直すいかに対して特段の思い入れはなかった。
夏になると出てくる何だか味のうすい野菜、という認識のみである。
そんな私のすいかへの印象が変わったのは、或る存在と出逢ってからだ。
それはすいかを模したアイス、スイカバーである。
スイカバーは1986年から発売されているロングセラー商品で、子どもの頃にCMで見た際に「味だけじゃなくて見た目もすいかなんだ……」と惹かれたのを覚えている。
実際のすいかでは食べられない種もチョコレートで再現されており、画期的だと思った。
しかし、同時に疑ったのはその味である。
すいかそれ自体はそんなに味の濃い食べ物ではない。それをアイスにしたところで味がうすくておいしくないのでは……そんな風に考えていた。
結果、疑心暗鬼ながらも親にお願いをして、私は遂にスイカバーと対面する。
袋から取り出してみると、成る程その形状はまさに切り分けられたすいかだ。
種だけではなく、同様に可食部ではない皮もスイカバーでは問題なく食べられるようにできている。見た目とコンセプトは完璧だ。
あとは肝心の味がどうか――私はドキドキしながらスイカバーを口に入れた。
少し固さのあるアイスに歯を立て、一口ぱきんとかじる。
すると、爽やかな味が口の中をひんやりと染め上げた。
決して甘すぎず、控えめではあるものの物足りなさは感じない。
食べ続けていくと、種を模したチョコはパフになっていて食感が軽く、暑い夏に涼を取るにはぴったりのアイスだ――私は食べ終えた瞬間から、スイカバーの虜になった。
そして、実はスイカバーだけではなく、私がすいかそのものを好きになるタイミングもその20年以上あとに訪れることになる。
それは、初めてタイに出張に行った時のことだ。
初の東南アジア、慣れない幹部との出張――気の抜けない状況が続く中、会食を終えてホテルに戻ろうとした私を呼び止めたのは、当時現地に駐在していた私のかつての上長だった。
「折角来たんだから、いいもん教えたるわ」
そう言って上長は私を現地感満載の食堂に連れて行ってくれた。
夜21時頃だったと思うが店内はタイ人と外国人とで賑わっていて、その時上長がオーダーしてくれたのがタイ語で『ジョーク』というお粥と『テンモーパン』というすいかスムージーだった。
そのお粥も優しい味でおいしかったのだが、何より感動したのがすいかスムージーだ。
瑞々しい赤を一口吸い込むと、濃厚な味が口の中いっぱいに広がる。そのすっきりとした甘さは、私の知っているすいかのおいしさを何倍にも凝縮したようだった。
思わず「えっ!?」と向かい側に座る上長を見ると、彼はニヤリとしながら「うまいやろ」と笑う。
私は頷きながら、目の前のスムージーを夢中で味わった。
その前の会食で出てきたマンゴーも勿論おいしかったけれど、それよりもこの時のすいかスムージーの味は格別だった。
かつて日本で共に働いていた上長と、海外の小さな食堂ですいかスムージーを飲む――その感慨深さもその味を引き立ててくれたのだと思う。
それから、私はスーパーですいかを見掛けると、ついつい手を伸ばしてしまうようになった。
気付けばもう8月だ。この夏を食べ残してしまわないよう、今年も堪能したいと思う。
(了)