第7食 とろろ
夏が来た。我々日本人にとって、夏といえば『夏休み』ではないかと思う。
子どもの頃から脳内に刷り込まれている『夏休み』、日々のしがらみから解き放たれるこの期間は何物にも代えがたい愉悦である。
普段は忙しいあの人もこの人も「XXさんは夏休みで不在です」と言われると「あぁそれじゃあ仕方ないですね」という気持ちになる。もはや季節が秋になっていたとしても「ははぁこの時期まで夏休みを取れないなんて大変ですね」と半ば同情の念を抱いてしまう。
そんな長期休暇は旅行をして過ごす人が多いだろう。
記録的な円安の影響で海外旅行は以前よりもハードルが高くなり国内旅行を楽しむ人々が増えているが、かくいう私もその一人だ。旅行の楽しみ=グルメの私にとって、旅行先の食事のおいしさは最重要項目である。
そんな私が旅行先で大体一食は立ち寄るのがそば屋だ。日本全国大体どこにでもあるし、水や具材、もしくは原材料そのものでその土地の個性を表現しやすいからだ。街中にあるおしゃれなカフェも捨てがたいが、何となく旅行気分を味わうにはそば屋がいいように思う。
そしてそば屋で私がついつい心惹かれてしまうもの――それがとろろそばだ。
とろろは俗に山芋と呼ばれる芋をすり下ろしたものである。
山芋には幾つか種類があるが、メジャーなのは細長く円筒形の『長芋』と、扁平で特徴的な形をした『大和芋』だ。また、日本古来の野生種で山菜の王様とされ、栄養価を豊富に含んだ『自然薯』も山芋の仲間である。
長芋でできたとろろは比較的さらさらしていて粘り気があまりないのに対し、大和芋や自然薯は粘り気が強いのが特徴だ。味も長芋はさっぱり、大和芋と自然薯はしっかり、という印象である。
私が初めて食べたとろろは恐らく大和芋のものだったと思う。
父の食卓に、ブロック上に切られたまぐろとそれを優しく包み込むとろろを発見したのだ。
興味津々で覗き込む私を見て、母が私にもその小鉢をくれた。
今思えばまぐろの山かけなのだけれど、当時はこのぬるぬるねばねばした白いものの正体を知らず、私は恐る恐る口に運んだ。
ぬるぬるするりとした優しい感触が舌や口内を撫でていく。味はそんなにしない。
よく見ると父は醤油を垂らしている。私も醤油を垂らしてよく混ぜてみると、白かったそれがほんの少しだけあたたかみのある色を纏った。
もう一度口にしてみるとほのかに醤油の味がして、口当たりといいなかなかのものだ。
その後もオクラや納豆、もずく、なめこなどぬるぬるねばねば食材に私は惹かれていくのだが、思い返してみるととろろがその原点だったように思う。
その内、とろろのおいしさに気付いた私はまぐろの山かけだけでは飽き足りなくなった。
勿論おいしいのだが、もっととろろの活用方法があるのではと思ったのだ。
そこで父の食事風景をつぶさに観察してみると、父が山かけを食べ終えたあと、残ったとろろをごはんにかけていることに気付いた。勢いよくごはんととろろをかき込む父を見て、私の好奇心に火が点いた。
早速真似してみると、とろろを纏ったごはんはまた格別だ。するするとごはんが喉を通っていく。これは発明だと思った。
それから私はとろろの虜になった。
前述した通り、おそば屋さんに行けばとろろそばを注文し、宿泊先のホテルのビュッフェメニューにとろろを見付ければ我先にと別小鉢にたっぷり頂く。牛タンは勿論おいしいが、寧ろお目当てはそれについてくる麦ごはんととろろかも知れない。食べやすい見た目と異なり、原材料が芋ゆえに意外とおなかに溜まるのは気を付けなければならないが。
もし私と同じくとろろ好きの方がいたら、是非おすすめしたいのが高尾山である。
実家が東京都下にある私は、冬の季節になると私鉄京王線に乗る度に『冬そばキャンペーン』のおいしそうなポスターに心を奪われていた。ポスターには高尾山近隣の店で振舞われるそばの写真がこれでもかと掲載されている。その多くがとろろそばなのだ。
これは今回調べてみて初めて知ったのだが、どうやら高尾山はとろろそばが名物らしい。
信仰の山とされる高尾山にお参りに来る人々の疲れを癒すため、栄養があり食べやすいとろろと消化吸収の良いおそばの組合せはもってこいだったようだ。
てっきり『冬そば』なので雪のように白いとろろを載せたとろろそばばかりがポスターに採用されているものだと思っていた。
大人になってからわかることというのは存外多いものだ。
そんな私が最近食べたとろろメニューは、牛丼チェーン店吉野家の夏の定番『牛麦とろ丼』である。
夏の定番といっても私自身は初めて頂いたのだが、成る程確かにもち麦ごはんの食感も楽しく、添えられたオクラはねばしゃくっとしていて、おなじみの味の牛肉をとろろが優しく包み込んでいる。暑さで食欲が落ちる夏、牛丼程がっつりは食べられないという時に良いかも知れない。
栄養価の高いとろろを食べて元気を付けながら、夏を楽しく過ごしていきたいものである。
(了)