第6食 とびっこ
初めて出逢った時、その正体が何なのかはよくわからなかった。
軍艦巻きお寿司の代表格として見慣れたいくらより、随分とサイズが小さい。しかし、その一粒一粒は確かにキラキラとオレンジ色の命の煌めきを放っている。
そう――その名も『とびっこ』だ。
子どもの頃、日曜日になると大きな隣駅まで家族でよく出かけていた。
普段の食事は母の手作りだが、午前中からお出かけした日はハンバーガーチェーン店やデパ地下のお惣菜を買ってもらえることがあった。
人間というものは、手作りの料理を食べ慣れていると味の濃い外食ものが恋しくなるものである。外食や中食が多い今の自分からすると贅沢だなぁと思うが、子どもの頃は週末に訪れるその機会をワクワクしながら待っていた。
そんな或る日、デパ地下にあるお魚屋さんで私は珍しいコーナーを見付けた。
パック寿司の傍らに設けられたそのスペースでは、お寿司一貫一貫がビニール包装されてトレイの上に綺麗に並べられている。買い物客は好きなネタを好きな分だけパックに詰め、購入することができる仕組みになっていた。
握り寿司といえばごちそうだが(当時は100円回転寿司がまだそこまで普及しておらず、そもそも外食の少ない我が家は回転寿司に行ったこともなかった)、一貫から買うことができるというのは当時の私からすると画期的な仕組みに思えた。
トレイの上を鮮やかに彩る数々のお寿司たちの中で、子どもの目に一層輝いて映るのはやはりいくらだ。オレンジ色の丸いフォルムが可愛らしく、宝石のようにこちらを誘惑する。
しかし彼は一貫200円もする強者だ。
両親は好きなものを選んでいいと言うが、気が引けた私は他の候補者を選ぼうと視線を彷徨わせる。
そんな私の視界に飛び込んできたのは、いくらに似た彼だった。
サイズ感が随分と小さいその彼が纏うビニールには『とびっこ』と書かれている。
初めて聞く名だ。『とびっこ』と言うからには、『とび』の子どもなのだろうか。そもそも『とび』とは何者だろう。
不思議に思いながらも50円という良心的な価格に惹かれ、私はこの謎のお寿司をパックに入れることにした。
ちなみに末っ子である弟は「いくらとカニがいい」と自らの欲望をストレートに伝えており、そんな彼を私が白い目で見ていたことは言うまでもない。
弟よ、幼い頃からそんな高級なものを食べていたら、舌が贅沢に慣れて将来苦労するぞ。
我々一般市民はきちんと経済観念を鍛えるべきだ。
閑話休題、家に帰った私は食卓でとびっこと向き合った。
一息に食べてしまうのは勿体ない気がして、私はまじまじと彼を観察する。
軍艦巻きの上にはこれでもかと惜しげなくとびっこが載せられ、包装していたビニールにもぽろぽろと零れ落ちている。それらを余さず回収して皿の上に載せてみると、白く無味乾燥だったお皿がキラキラと光を放った。
とても50円とは思えない輝きだ。
箸でそうっと軍艦巻きをつまみ、おそるおそる口の中に運び入れる。そのまま一息に噛み締めるとプチプチと小気味良い感触がして、じわりとほのかな味が口内に広がった。
――おいしい。
いくらほどエキスがあふれ出てくるわけではないが、その控えめさが私には丁度良い。なにより噛む度に歯切れの良い食感が楽しく、私の顔から思わず笑みが零れた。
調べてみたところ、とびっこの正体はトビウオの卵だった。
とびっこ以外にも、とびこ、とびらんと呼ばれているそうだが、創作珍味メーカーかね徳さんの登録商標でもあるとびっこという名称が一番ポピュラーな気がする。
主な産地はインドネシアとペルーらしい。
彼らは遠くの海から遥々この東京の片隅にまでやってきたのだ。
そう考えると、何だかロマンがある。
それ以来、私はとびっこの姿を見かけると心が躍るようになった。例のお魚屋さんに行った際には、他のネタには目もくれずにとびっこ、とびっこ、とびっこである。
好きなものは最後に食べる派の私は、先に軍艦巻きのシャリ部分を食べたあとゆっくりとびっこを堪能するという食べ方に到達し、ひとり食卓で至福のプチプチを楽しんでいた。
実家を出てからはあのお魚屋さんに行く機会もめっきりなくなってしまったが、100円回転寿司チェーンが普及してくれたお蔭で、彼に似た存在とは顔を合わせることができる。
調べてみたところ、正式なとびっこ(トビウオの卵)ではないため、『つぶっこ』や『ししゃもっこ』という名称で販売しているようだ(前者はカラフトシシャモの卵と数の子のミックス)
どうやらとびっこの方がししゃもっこよりも原価が高いため、似た食感であることから代替品とされているようである。
更に調べてみると、そもそもししゃもっこの親であるカラフトシシャモは本来のシシャモとは別の魚だそうだ。
シシャモは北海道で生息する日本固有種であり漁獲量も限られている一方で、カラフトシシャモはノルウェーやアイスランド、カナダ等北太平洋北部から北極海、北大西洋北部にかけて世界的に広く分布しているため、日本ではシシャモの代替魚として食べられている。
市場に出回っている『子持ちシシャモ』の9割以上がカラフトシシャモらしい。
私の中ではシシャモはお安く食べられるお魚というイメージだったが、実のところシシャモそのものの価格は決して安くない。あくまで私たちが日々食卓でお世話になっているのは、カラフトシシャモの可能性が非常に高いのである。
とびっこの代替品であるししゃもっこが、シシャモの代替魚であるカラフトシシャモの子ども、という社会構造を知ると、なんだかししゃもっこも味わい深く感じられてくる。
代替魚の子どもが代替品――何かのドラマにもなりそうだ。
味や食感はそんなに劣らないところが、余計に哀愁を掻き立てる。
そんなわけで、私は今後とびっこだけでなくししゃもっこも好物として愛でていこうと思う。
私が彼らに恩返しできるのはそのくらいなのだから。
(了)