第13食 牛丼
今日も今日とてジャパニーズリーマンは仕事に追われている。
嵐のような午前中が終わり、世間は昼休みに突入した。
昼が来たと認識すると共に腹時計がぐうと鳴る。
そんな時、私の昼食の選択肢としてむくむく姿を現すのが牛丼である。
私が牛丼の存在を知ったのはキ○肉マンのお蔭だ。
というのも、或る日家に遊びに来た叔母さんが、兄と私にド○ゴンボールとキ○肉マンのビデオをくれたのである。
子どもの世界において年齢差というのは絶対的なヒエラルキーを生むもので、兄は当然のようにド○ゴンボールを受け取った。
しかし、当時の私は一見コミカルなキ○肉マンよりスタイリッシュなド○ゴンボールを欲し、「私もド○ゴンボールがいい!」とテーブルの下に引きこもり泣き喚いた記憶がある。
国民的漫画であるキ○肉マンに対して、大変失礼な話である。
そんなキ○肉マンの大好物として描かれていたのが牛丼であった。
牛丼といえば昔は300円で食べられた庶民の味方である。
近年値上げはしているものの他の外食に比べればリーズナブルで、日々仕事や学業に追われる人々の腹を満たし続けている。
さて、複数ある牛丼チェーン、みなさんきっとそれぞれ好みがおありだろう。
私の推しチェーンは王道の吉野家だ。
というのも、初めて食べたのが吉野家の牛丼だったからである。
私の母は専業主婦だったため、外食の機会はあまり多くなかった。
そんな私にとって吉野家の牛丼は、雛鳥が生まれて初めて見たものを親と認識するように、自分の中のスタンダードな牛丼の味として息衝いている。
その日、私は友人と学校帰りに地元の駅で遊んでいた。
本屋さんや雑貨屋さんに寄り、外に出ると空が暗い。
随分といい時間になってしまったと思っていると、友人から夕食に誘われた。
「おなか空いちゃったから牛丼でもいい?」
「牛丼? いいけど、食べたことないかも」
「えっ! 超おいしいよ。行こ行こ」
そのまま彼女に連れられ、駅近にある吉野家に向かう。
ガラスに隔てられた店内を覗いてみると、カウンターには仕事帰りらしきおじさんや部活後と見られる学ランの男子たちが所狭しと詰め込まれ、一様に無表情で牛丼をかき込んでいた。
ドキドキする私を後目に、友人は臆することなく店内へと入って行く。
突如として現れた女子高生二人に、「いらっしゃいませー」と声をかけた店員さんは少しだけ目をぱちくりしたあと「2階へどうぞ」と案内してくれた。
今思えば、あの時代に制服のまま牛丼屋に行く女子高生は比較的珍しかったのだろう。
いそいそと店内奥の階段を昇ると、2階にはゆったりとした空間が広がっていた。
「私牛丼並盛、あと生玉子。環どうする?」
「あっ、じゃあ私も同じやつで……」
右も左もわからないのだから、ここは先人に倣った方が良いだろう。
友人と同じ注文を終えたことにほっとして、テーブルの上の水を一口飲んだところで「お待たせしましたー」と牛丼が運ばれてきた。
――えっ、早くない!?
友人は当然のような顔でお盆を受け取っている。
これが普通なのだろうか。
確かに「うまい、やすい、はやい」と聞いたことはあるが、早過ぎはしないか。
なお、このキャッチコピーの「うまい、やすい、はやい」だが、実は時代の変遷と共に言葉の順番が変わっているそうだ。
当初は「はやい、うまい」だった。
築地市場に1号店を持つ吉野家は忙しい魚市場の方々がメインの客層であり、提供時間の速さに重点を置いていたのだろう。
1968年からは「はやい、うまい、やすい」。
『安さ』という要素が追加され、併せて入店してからメニューの提供そして会計までの流れに沿ってこの順番にしていた。
1994年からは「うまい、はやい、やすい」。
牛肉や米不足により味の質が落ちたことが問題視され、その教訓を踏まえて『うまさ』を最初に持ってきている。
そして2001年から現在に至るまでは「うまい、やすい、はやい」。
提供速度よりも価格、こちらは我々消費者の感覚にも近しいのだと思う。
閑話休題、私の目の前には初めて対面する牛丼が置かれている。
隣の席の友人は目の前の黒い箱から慣れた手付きで紅しょうがを取り出した。
そのあとで、生玉子をとくことなくそのまま丼にかける。
「玉子、とかないの?」
「私はいつもこのまま」
それじゃあ私もそうしよう。
同じように紅しょうがを載せ、生玉子をそのままかけてみた。
ぷつりと黄身に箸を差し入れると、穏やかな速度で牛肉とごはんがオレンジ色に染まっていく。
ドキドキしながら牛肉と玉ねぎ、紅しょうがとごはんをバランス良く取って、口に入れてみた。
――あっ、これ好き……!
甘辛く味付けされた牛肉とごはんの相性の良さは言うまでもないが、それを紅しょうがのしゃくしゃくとした食感と爽やかさがきりっと引き締めている。
意外にも良い働きをしているのが玉ねぎで、牛肉のエキスをしっかりと受け止め、綺麗に味をまとめてくれているような気がした。
食べ進めていくと、玉子を事前に混ぜなかったことで黄身と白身のバランスが一口ごとに異なり、玉子好きとしても満足感がある。
黄身の味が濃いところは勿論、淡白な白身部分も牛肉や玉ねぎと合わさると非常に味わい深いのだ。
その日から私は吉野家によく行くようになった。
セーラー服で牛丼に舌鼓を打つその姿は店内で浮いていたかも知れないが、それでも牛丼を食べると勉強を頑張るエネルギーを充電できたように思う。
やっぱりお肉は人に力を与えてくれるらしい。
あれから20年以上の月日が経ったが、私は今でもがっつり食べたい時には吉野家に行く。
牛丼はいつだって、頑張る庶民の味方なのだ。
(了)




