第12食 キムチ
元来私は保守的な人間だ。
特に食べものについては、できれば「おいしい」とわかっているものを食べたいという気持ちがある。
子どもの頃は苦手なものが多かった。大人になるにつれて少しずつ食べられるものが増えてきたが、食卓に載せられているものの中で異彩を放つ『それ』に半ば怯えていた節もある。
『それ』を食べていたのは、恐らく父くらいだったと思う。
家族が皆手を出せるように、テーブルの中央にはいつもきゅうりの浅漬けなどが皿に載って置かれていたが、『それ』は密封されたタッパーの中に控えめに入れられ、父はそのタッパーを開けてはその暴力的な赤い食べものをごはんの上に載せて食べていた。
不思議な匂いのする謎の赤い食べもの――それが私のキムチに対する第一印象である。
TVでよく取り上げられていたキムチ、しかしその色と香り、そして得体の知れなさにどうしても箸が伸びることはなかった。
そのまま年齢を重ねていって初めてそれを食すことになったのは、大学生で入ったサークルの飲み会の時のことである。
サークル飲み会というものは安上がりでお酒が飲めればいいのであって、当時は大体3,000円飲み放題付きが相場だったと思う。
ビールと銘打たれた恐らく発泡酒と味の違いがよくわからないカラフルなお酒たち、そしてシーザーサラダに始まりその内品数にカウントしていいものか迷う油っぽいえびせんやパスタ揚げが出てくる、そんな冬場の飲み会の最後に必ずそれは登場した。
――そう、キムチ鍋である。
初めて出てきた時は、その赤い色と辛そうな香りに委縮してしまった。
そもそも当時お酒があまり飲めなかった私は、飲み会でなんとなく居た堪れない時間を過ごしており、無難な会話をしたあとはあまり手の付けられていない食事を楽しむくらいしかすることがなかったのである。
周囲の人たちはお酒を飲んで若者らしく盛り上がっており、テーブルの中央に佇むキムチ鍋に見向きもしない。
せめて皆が食べられるように取り分けよう――下っ端だった私は恐る恐るその赤い食べものに手を伸ばした。
幾つか取り分けて周辺のメンバーの前に小皿を置いたところで、いよいよ私の番である。
どんな味がするのかドキドキしながら、私は一口キムチ鍋を食べた。
――あれ、意外といけるかも。
正直なところ、思ったより辛くないなというのが初めて食べた時の印象だ。
今思うとマイルドなキムチ鍋だったのだろう。最初からガツンと辛い味のものだったら、もしかしたら怖じ気付いてキムチデビューが遅れてしまったかも知れない。
庶民の味方、大衆居酒屋の配慮に感謝感謝である。
食べ慣れているはずの具材が、いつもと違う味付けのお蔭で別人のように思えてくる。
飲み会を楽しむ皆を後目に、私は黙々とキムチ鍋を食べ進めた。
もやし、白菜、豚バラ、えのき、ニラ――そして〆の雑炊。
実家では鍋のあとに雑炊を食べる文化がなかったので、お米を鍋の残り汁に入れ溶き卵を回しかけた時には背徳的な感動に息を呑んだものである。
玉子のお蔭で気持ちまろやかになったキムチがやわらかいお米を優しく味付けしていて、私はこっそりとおかわりを楽しんだ。
以来、私はキムチを食べられるようになった。
焼肉屋さんに行った時にも前菜としてキムチをオーダーし、大根を用いたカクテキやきゅうりを用いたオイキムチの存在を知り、食の幅を広げていった。
或るお店で出逢った山芋キムチはとろろ好きの私の心を射止め、思いがけぬ出逢いにホクホクしたものである。
中でも一番衝撃を受けたのは、漫遊亭という焼き肉屋さんの『混ぜキムチ』だ。
このメニューは生の白菜を使っているので、とても瑞々しくサラダ感覚でシャキシャキと頂くことができる。
初めて食べた時は感動しておかわりしたものである。
漫遊亭は主に茨城県を中心とした北関東+福島県に店舗がある焼肉チェーン店なので、もしお近くにいらした際には是非味わって頂きたい一品だ。
そんな私が自宅で食べるキムチは『こくうまキムチ』一択である。
辛すぎたり酸っぱすぎたりしたらどうしよう……という生来冒険心のない私が見付けたオアシス、メジャーな製品なので大体どこのスーパーにも置いてあって困ることがない。
なお、こくうまキムチはパッケージに「ごはんに合う」と書いてある。
思い返してみれば、確かに父はごはんと共にキムチを食べていた。
あまり家でお米を食べない私は、キムチがごはんに合うかどうかを知らない。
そのまま頂くか納豆キムチで一品にするか袋ラーメンの具材として加えるか、もしくは初対面の時のようにキムチ鍋に投入して頂いている。
週末の夜は鍋を食べるのが我が家のルーティンであり、きっと今夜も私は鍋を食べるのだろう。
もやし、白菜、水菜、オクラ、豚バラ、えのき、まいたけにマロニーちゃん、そして〆は玉子を回しかけたうどん。
キムチ鍋で身体を温め、涼しくなっていく季節に備えたいものである。
(了)




