表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/15

第1食 スーラータンメン

 初めてそれに出逢ったのは、今から10年程昔のことだ。


 私が当時働いていた工場には食堂があり、1階ではごはんもの、2階では麺類を提供している。麺類が好きな私は、特段の理由がなければ毎日2階で昼食を取っていた。

 同僚たちも「早く提供されるから」という理由で毎日4人程で連れ立って2階に向かっていた。


 そんな或る日、中華麺コーナーに長い列ができていた。

 普段は和麺・中華麺ともそんなに混み具合に差ができるものでもない。不思議に思った私が後輩に聞くと、彼は「あぁ、なんか新メニューらしいっすよ」と言った。


「スーラータンメンだそうです」


 ……スーラー?

 聞き慣れない言葉が、私の頭の中で『酢ー辣ー』と変換された。


「何それ? 何だかすっぱそうな名前」


 私は酢がそんなに好きではない。酢の匂いをかぐと、学生時代の生物室を思い出すのだ。実験で酢酸(さくさん)カーミンなどを使った残り香が、私はあまり好きではなかった。

 なお、実際の表記は『酸辣(スーラー)湯麵(タンメン)』なので、酢という名前がついているわけではない。


「まぁすっぱ辛い感じでしたけど、そこまできつくないし、普通においしかったですよ」

「ふーん、じゃあ今度トライしてみようかなぁ」


 その日は並んでいた列で和麺を受け取り、私は次の機会を待つことにした。


 そして翌金曜日、遂に私はスーラータンメンとの初対面を果たす。


 赤、オレンジ、黄色と様々な暖色(だんしょく)が混ざり合ったスープからは、湯気が立ち昇っている。見た目は少し辛そうだが、確かにそこまですっぱさを主張した香りはしない。もやしとネギ、トマトに加えてマーブル状に固まったかき玉子が表面を彩っていた。

 同じくスーラータンメンを選んだ同僚たちといただきますをして、私はれんげで一口スープを啜る。


 ――あ、そこまですっぱくない。


 思わずほっとする。そしてそんなに辛くもない。

 辛さにも特段強いわけではない私は、安心した気持ちでもう一口スープを啜って、麺に取り掛かった。

 食堂の麺は冷凍の細麺で、スープがよく絡み、おいしい。

 普段ラーメンを食べる時は太麺派だが、これはこれでありだと思った。

 シャキシャキしたもやしの食感を楽しみつつ、思い出したように顔を出すトマトと大好きな玉子も花を添えてくれて、私の初スーラータンメンは素晴らしい成功体験に終わった。



 その日から、私はスーラータンメンにはまってしまった。

 うちの工場の食堂はメニューが曜日固定だったので、次のスーラータンメンには金曜日になるまで逢えない。私は毎週金曜日を心待ちにするようになった。

 元々は冬限定のメニューだったが、利用者の人気を反映してか、いつの間にかスーラータンメンは通常メニューに昇格していた。その偉業を称えながら、私は毎週スーラータンメンを楽しんだ。

 出張者が訪れた際にも「おすすめのメニューがあるんです!」と強制的に食堂の2階に連れて行き、おいしいというリアクションを見ては我がことのように喜んでいた。


 ――しかし、そんな私とスーラータンメンの蜜月も終わりを迎えてしまう。

 私が工場から本社に転勤になってしまったのだ。


 ただ、担当していた業務の都合で、引続き工場の仕事を兼務することになっていた。

 週半分は自宅から本社に通い、残りの週半分は特急で移動して工場近くの寮で単身生活――それを命じた上司は少し申し訳なさそうな顔をしていたが、私にとっては僥倖(ぎょうこう)である。


 ――まだしばらくは、スーラータンメンが食べられる……!


 私ができる限り金曜日を工場勤務にしたことは言うまでもない。

 その兼務は1年半弱で解除となってしまったが、私は十分に食堂のスーラータンメンを堪能たんのうした。



 なお、それから世間でもスーラータンメンが注目されるようになり、私は飲食店でもそれを見掛ける度にチャレンジしていた。

 しかし、なかなか理想の味とは出逢えない。本格的なスーラータンメンは、私には少しすっぱ辛すぎるのである。


 最終的に私の中でベストスーラータンメンに君臨したのは、『揚州商人』という中国ラーメンチェーン店の一品である。

 首都圏を中心として店舗展開しているこちらのお店は、ありがたいことに自宅近辺にもあるため、定期的に通っている。

 こちらのスーラータンメンはすっぱ辛さがバランス良く食べ応えがあり、麺の種類も選べるので、私は食堂では叶わなかった中太麺のスーラータンメンを堪能している。



 それでも、たまに思い出すのは、やはり工場の昼休みに食べたあの味だ。

 あの飾らない、人によっては物足りないかも知れないシンプルな一杯こそが、私にとってのオリジナルスーラータンメンなのである。



(了)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] スーラータンメン、実は食べたことがありません。 画像検索してみたらエッセイ通り、具沢山でとても美味しそうでした。 どんなに美味しくても、忘れられない思い出の味ってありますよね。 今度、私も…
2024/07/08 09:13 退会済み
管理
[良い点] スーラータンメンのスは酢じゃないんですね。知らなかった。日本語じゃないから、考えてみれば当然ですが。 というか私なら工場から本社に移動になって、しかも特急で行き来しろとか言われたらめちゃく…
[一言] お腹が空いてきました。そして、酸辣湯麺が無性に食べたい!(笑)食べた記憶はあるのに、味の記憶があまりない。苦手なものは覚えているので、多分美味しかったんだと思います。 近くにお店がないので、…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ