彷徨Ⅰ アタラクシアへの里帰り
アムリスはコレット山を離れアタラクシアへの道を歩いていた。腰に提げた聖剣の柄に左手を置きぶつぶつと独りごちながらアタラクシアの関所へと続く街道をゆっくり進んでいた。
「フレンヴェル……貴方は、私にどうして欲しいの?」
「……」
「……まあ、答えてくれないのは分かってたけどさ。」
聖剣に語りかけるアムリスは、それが徒労に終わったことを嘆いていた。アムリスははぁと一つ大きなため息をつくと、再び関所に向かってとぼとぼと歩き始める。
やがて関所に辿り着いたアムリスは、門番の兵士に向かって丁寧にお辞儀をし、通して貰うように頼み込む。
「お勤めご苦労様です。修道士のアムリス・ミレアです。」
門番はアムリスの声に気付くと、慌てて敬礼を取りながら言葉を続けた。
「おお!これはこれは……聖剣の乙女殿、此度はどういったご要件で?」
「えー……あ、アルエット様から少しおいとまをいただきまして、家族に会おうと戻ってきた次第です。」
「それはそれは……良きお心がけですね。教皇聖下もお喜びになるでしょう。聖下にはあって行かれますか?」
「先日フォーゲルシュタット郊外でお会いしたので、今回はご遠慮いたします。」
「おいおい、そんな寂しいこと言われると悲しくなるのう……」
「……え?」
アムリスの背後から男の低い声が響く。アムリスが恐る恐るゆっくりと振り返ると、そこにはどういうわけか教皇デミス・ラクシアが立っていた。
「えええええええ!!」
アムリスは驚きのあまり腰を抜かしてしまう。デミスは上機嫌に笑いながら言った。
「ホッホッ……いくらなんでも、驚きすぎじゃろう。」
「教皇様……一体いつから……?」
「聖剣にお悩み相談した辺りからじゃ。」
「いやはや、驚きましたよ。アムリス様の後ろで"気付かないフリして"や"そろそろワシのこと匂わせて"など、急にカンペを飛ばして来るんですから……。」
「まぁの。お主もよく対応してくれたのう。きちんと査定してやるから、月末を楽しみにしておれ。」
「あ、ありがとうございます!!!」
喜ぶ門番を後目に、デミスはアムリスの方へと向き直す。アムリスは絶句しながら俯き、体をふるふると震わせていた。
「さて……どうじゃったかのアムリス。王都じゃとこういうときは"ドッキリ大成功!"というらしいのじゃが。」
「……この、変態ストーカーすけべオヤジ!!!!」
パァン、とアムリスの平手の音が響いた。
数十分後、デミスはアムリスを馬に乗せ関所を出発した。デミスの左頬は赤く腫れ上がっている。
「それじゃ、ウインドールに行けばいいのかな?」
「……」
アムリスは頬を膨らませたまま答えない。デミスは困ったように頭をポリポリと掻く。
「のう、アムリス。ワシが悪かったからそろそろ口を聞いて貰えんか?」
「嫌です。」
「即答とは……素っ気ないのう……。」
取り付く島もないアムリスの態度に、デミスはしばらく頭を悩ませる。やがて一計を案じたデミスはニヤリと笑みを浮かべると、わざとらしい口調で喋りはじめた。
「いやぁしかし、先程のビンタは効いたのぉ〜。ワシも衰えぬよう日々鍛えとるつもりじゃが、ビンタ一つで転がされるとはのう!」
「……何のつもりですか?もしかしてストーカーなだけじゃなくて、マゾなんですか?」
「はっはっはっ……アルエット殿下と旅をする前のアムリスなら、考えられんなぁと思ったんじゃ。」
「どういう意味ですか?」
「三日会わざれば刮目せよ、という言葉もある。旅に出て何日も会わなければ……そりゃ、想像もつかぬような経験を積んで、留まることを知らぬ成長を遂げるものよのう。」
「なっ……急に何ですか!?」
アムリスは顔を真っ赤にして俯く。気付けば彼女は、デミスと普通に会話を交わしていた。デミスはさらに続けた。
「それぞれの街に駐屯する修道士からも話を聞いておるぞ。イェーゴからガニオまでな。コレット山で会った時も驚いたぞ……理想を夢見る少女の目から、いつの間にやら現実を見据える大人の目になっておった。」
「教皇様……」
「それだけ旅先での出会いと喜び、同じ数……いや、それ以上の別れと苦難がお主を育てたんじゃろう……じゃが。」
デミスは途中から真剣な顔で前を見つめ、声色を落としアムリスに語り始める。アムリスはおずおずとデミスの様子を伺うべく顔を見上げるが、その形相に驚き身を竦ませる。デミスはさらに続けた。
「何も現実を直視し、足ることを知ることだけが成長ではない。理想を求め足掻き続けることで身につくものもある。それに……ワシは昔のアムリスの目の方が好きじゃのう。お主を選んだ聖剣とやらも、もしかしたらそうかもしれんぞ?」
「フレンヴェルが……まさか、そんなことで……」
「なにせ聖剣を抜いたのは旅に出る前のお主じゃからのう……仮説に過ぎんが、案外バカにならんと思うぞ。ハッハッハッ……。」
「教皇様……」
そんなことを話しているうちに、二人はウインドール村の入り口に辿り着いていた。二人は馬を降り、デミスはそのまま村の内部へと入ろうとするが、アムリスは慌てて止めた。
「き、教皇様!ここまででよろしいですので!!」
「いやいや、家まで送っていくよ。ほれ、馬に乗りなさい。」
「いやダメです!!これ以上は!お手を!!煩わせません!!!」
「ぬう……そこまで言うなら、ここでワシは帰るが……ああ、そうじゃった。」
「まだ何かあるのですか?」
「一つ、のう。ガニオの件じゃ。」
デミスはそう言いアムリスに向き合うと、そのまま腰を曲げ頭を勢いよく下ろしお辞儀をした。アムリスはその行動の意味が分からずフリーズしてしまう。デミスはそのままの状態で再び口を開いた。
「ワシの旧友が迷惑をかけた。本来はワシが彼奴を殺さねばならなかったんじゃが……すまんかった。」
「あ……旧友って、クリステラ……」
「情けない話じゃが、生涯をかけてもワシは彼奴には追いつけんかった。お主のような次世代を担う修道士達にとって悪影響を及ぼす前に、ワシらで処理せねばならん問題だったんじゃ。その中に、お主を巻き込んでしまった。本当にすまない。」
「そんな……教皇様、頭を上げてください!彼女を殺したのは通りがかった魔族で、私は何もしてないですから……。それに……私たちは彼女とは違います。教皇様が直々に私たちを教え導いてくださったおかげで、孤独に苦しむ修道士は一人もいませんから。ですから、そのように自身を責めることはお止めください。」
「……そうか。そう言ってくれると、肩の荷が少し降りたような気分になるのう。」
デミスはそう言うと、頭を上げ馬に跨った。そしてにこやかに微笑みながらアムリスに言った。
「アムリスよ。必ず、生きてアタラクシアに戻ること……できることなら、魔王を倒して……な。」
「承知致しました。教皇様も、お体に気をつけて。」
「ウム……では」
デミスが馬を駆ると、あっという間にその背中は見えなくなった。
「……さて、久しぶりのウインドールね!!」
デミスを見送ったアムリスは回れ右をし、意気揚々とウインドールへと入っていく。そんなアムリスとは裏腹に緊張する村人たち。違和感を覚えたアムリスに、村人たちの会話が聞こえてくる。
「今の見た……?あの子、教皇様に頭を下げさせてたわ……」
「見た見た!恐ろしい子ね……こんな村に何の用なのよ……」
「ちょっと……こっち見てないかしら?目を合わせちゃダメよ!何されるか分からないわ!!」
「な……な、なんでこんなことになるのよー!!!」
化け物のように扱われたアムリスは、泣きながら叫んだ。