第3話:こわいひと
「おはよう、クレア」
「おはようございます」
振り返れば、案の定、この魔法使いの根城の主であるエイダンがいた。
何を考えているのか分からない青い双眸が私を捉えていた。体感温度が下がった気がしたが、気のせいであろう。たぶんきっと。
「今日も、とても元気な良い挨拶だった。それは、いつものイチコンの実かい?」
「そうですよ」
「毎日、それだけだよね。足りてる?」
「勿論です! イチコンの実はですね、……」
ついうっかり、イチコンの実がいかに素晴らしい果物であるのかを、熱く語ってしまった。
「ところでね」
あ、これはなんかいろいろまずい声だ。気付いた時には、遅かった。
「イチコンの実に対する熱い気持ちを、仕事にも向けてあげてくれないか」
「ガンバリマス」
「よろしい。期待しているよ」
私の肩を叩くと、エイダンは部屋の奥に位置する机へ戻っていった。
エイダンに聞こえていないはずもないのだけれど、女性陣の黄色い悲鳴があちらこちらで小さなものではあるものの上がっている。
私は心底呆れて、ため息を吐いた。
確かに、エイダンは女性に人気がある姿をしている。
月の光を集めたような銀色の長い髪は、うしろでひとくくりにまとめてある。髪なのに、揺れる髪が艶めかしいことが多々ある。
顔立ちもすっきりしていて、口元の小さなほくろがお色気なのだそうだ。これはリリーが教えてくれたことだ。
からだは鍛えてあるようで、線は細いように感じるが、その実がっしりしている。防衛班で街の巡回をしたときに、出くわしたゴロツキを伸していく姿は格好良かった。これは私も認める。
そして、声。あの腹の底に響く低い声は、ほかのひとにとっては痺れるものなのだとか。私は恐怖しか感じないので、よく分からない。
あと、目。多くのひとが虜になるらしい。氷のように冷たく感じさせる青い瞳。感情が浮かんでいれば、まだ救いもあると私は思う。私としては天敵のヘビのような、こわい目だ。
魔法使いの根城の主でもあり、とても人気の高いエイダン。彼は見目が良いだけではない。実は、仕事の鬼なのである。
仕事の鬼なだけあり、指示は的確だ。アドバイスも端的で分かりやすい。その部分だけは尊敬している。魔女のように気分で良い悪いを言わないので、お仕事をする上で、困ることは少ない。
エイダンの机の方へと目をやると、捜査班に所属する魔法使いに、現場との関係をなんだかんだと、背筋が伸びるような声音でお話しなされている。
折を見て、研究班の魔法使いが、別の研究に集中し出すと、水魔法で頭から水をかけて止めたりする。
皆、エイダンがいると、ピリッとした空気が漂うのだ。
……時折、例外的に黄色の悲鳴が上がるときもあるけれども。
例にも漏れず。私にも雷がよく落ちる。
「きみ、本当に英雄と呼ばれるひとなの? 書類程度を仕分けるのに、どれだけ時間がかかるの」
「お言葉ですが。魔法を使って、結界術をはるだけのお仕事と、十人十色な筆跡が並んだ、ある種暗号文に近い書類を解読して、内容を精査して振り分けるお仕事は、そもそも全然求められている力が違います」
「仮にそうだとしても。期日は守って」
「善処します」
英雄という称号をもらったばかりに、書類仕事をはじめとした、これまで生きてきて一度も触ったことのないお仕事ばかりが回ってくる。
慣れないお仕事の上に、提出期限ギリギリに書類を出してくるひとたちばかり。
正直、目がまわるような忙しさだ。
書類の山が減り、周りが見えるようになってきた頃。少しだけ休憩を挟んだ。
ちょうど、リリーもお仕事がひと段落したようで、私に声をかけてきた。
「エイダンさまに声をかけられるなんて、遅刻も役得かしら?」
「はぁあ? 冗談じゃないっ」
「あらあら。クレアはエイダンさまが本当に苦手みたいね」
リリーは苦笑いを零している。私は小声で反発する。
「だって、こわいよ。感情が分からない目もそうだし。声の感情と顔の表情が一致していないのもこわい。あれは魔王だよ。リリー、騙されちゃダメだ」
リリーはふふっと笑った。
「魔王、ねぇ……」
「そうよ! 魔王よ」
「休憩するのは良いことだね。僕も、はなしに混ぜておくれよ」
いつの間にか、魔王じゃなかった。エイダンがそばに来ていた。まったく気付かなかった。こわい相手の接近をここまで許してしまうとは、私の危機管理能力はとうとう壊れてしまったのだろうか。
私はあわててすまし顔を作る。リリーはおかしそうに私を見ているだけである。
どう乗り切ろうかと悩んでいると、エイダンが「そうだ、思い出した」と言い出した。珍しい助け船もあるものだと、期待を込めエイダンを見た。
「悪いんだけど、伝言を伝えるのをすっかり忘れてて」
「誰から誰にです?」
「王からクレアに、だ」
……。
ピヨピヨピヨ。ひよこが三羽ぐらい飛び跳ねたくらいの間があった。固まる私をよそに、なぜだか獲物をいたぶるネコのような顔になったエイダンが言葉を続ける。
「まあ、ともあれ。クレア。あと十分後までに謁見の間だ。がんばれ」
「は、はぁあ? 早く言え! この魔王がぁあ!」
謁見の間まで、歩いて二十五分。普通にしていたら間に合わない。
私は言葉を覚えたての小鳥のように、エイダンへ「バカ」を連発しながら、窓を開ける。
「本当、あり得ない! 謁見の間に飛んでかなきゃいけないなんて!」
そうして魔法を使って、窓から飛び立った私をエイダンは「せわしないやつだなぁ」などとコメントしていたことは後からリリーに教えてもらった。
私は息を切らして、謁見の間に残り一分のところ間に合った。
拳をふたつ突き上げる私に、衛兵は苦笑いを零した。
「クレア・ノワール。もういいかな?」
「はい! 大丈夫です!」
気合いも十分――。
あれ。ちょっと待って。私、何故、王様に呼び出されたの?
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