第26話:平和でいるために
目が明るさに馴れてくる頃、私はエイダンの顔がとても近い場所にあることに気付いた。
エイダンの瞳は、冷たい氷を思わせるとずっと思っていたけれど。
近くで見ると、透明度が高くて、水質のきれいな水の中みたいだ。
そんなことを考えながら、ぼうっと見つめた。
エイダンの目尻から、次第に赤くなっていく。
「……はあ。クレアに見つめられてる。なんて幸せなんだ」
エイダンは、残念なひとな気がしてきた。
私が別の意味で、じぃと見つめても、エイダンは嬉しそうだ。
「ところで。クレア」
エイダンの声色が変わった。
私は何もしてないのに、背筋が伸びた。
「あの男は、だぁれ?」
心当たりのない問いに、首を傾げた。
「かわいくしてもダメだよ。僕がいない間に、誰か来ていたでしょう? しかも、男を入れるだなんて!」
私の記憶にあるのはトカゲだけれど、あれって男なの?
私が悩んでいると、エイダンは言う。
「クレアと、親密そうなのが気に食わない。それに何より! カエルになったクレアの声も分かるのが、もっと気に入らない!」
私は思わず笑ってしまった。
「けふっ」
「あ。今、笑ったでしょう? それだけは分かったぞ~」
なんだか、……平和だな。ずっと、こうしていたい。
そう私は思った。
エイダンは私に小ぶりなイチコンの実をくれた。
まだ真っ赤に熟し切ってはおらず、やや白みがかっている。
少し芯のある噛み応えであった。
イチコンの実を頬張りながら、エイダンを盗み見ると、目を細めてあくびをかみ殺していた。
「そろそろ、寝ようか。夜も更けてきた。クレア、良い夢を」
「くわっ」
エイダンも良い夢を。
と私も応えた。
それから灯りが落とされた。
暗い場所は落ち着く……。って、そうじゃない!
あと三日のことを考えないと。
私は、楽園のような箱の中をぴょんぴょんと飛び跳ねながら考えた。
夕方に見た夢の再現は避けたい。
きっとあれは三日過ぎても魔女の元に戻らなかった場合だろう。
でも。
魔女が私の愛の告白を「カエルは無理」とバッサリ切り捨てたことは忘れてはいない。
トカゲも言っていたことは癪だが、こうして姿を保てないのは優秀とは、言いがたい。
私は魔女に帰ってこいと言われて、正直よく分からなかった。
魔女のことを、あんなに燃えて大好きだったのに、今では尊敬するひとと思っている。
嫌いじゃないけれど、熱烈な好意ではない。
もしかして、新しい任務を言い渡されるのだろうか?
それは困る。
私は、この国の魔法使いでいたい。
何故、魔女は「帰ってこい」などと言うのだろうか。
このことは、魔女に直接尋ねなければ、堂々巡りで、答えは出ないだろう。
魔女の元へ、一旦戻るとして――。
そこまで考えたら、いつものカエルになる時のめまいに似た視界が揺れた。
気付くと、人間の姿をした私が箱を割ってしまっていた。
大きな音は幸い出なくて、エイダンを起こすこともなかった。
私はよっこいしょと箱から出て、地面に足をおろした。
エイダンは寝ている。すーすーと気持ちよさそうだ。
正直、不思議な感じだ。
寝ているところに、今まで居合わせたことがなかったから。
魔女が私を連れ戻したい理由は分からないけれど、私はエイダンから離れるのはイヤだなぁと思った。
エイダンから離れることがイヤと言うより、ここには大切なひとたちがいるのだ。
リリー、エメリーン、ジョニー、お仕事に関係するひと、それから市場のひとたち。
ここに来るまで大切なひとというものを知らなかったけれど。
魔女が悲しい思いをして国を滅ぼしたり、ひとを呪ったりも、もちろん止めたい。
それ以上に、ここにいる大切なひとたちを、私の勝手で危険にさらすのは、絶対にイヤだった。
エイダンに対する感情が、ほかの皆へとは異なるような気がするが、それはまた魔女のところから帰ってこれたら考えるとして。
いまはただ、エイダンのいつもより幼く見える寝顔を見つめるのだった。
しばらく眺めて、気持ちを固めた。
魔女が親切心だけで、私に帰ってこいと言っているわけがない。
何かあるのだろう。
でも、一度帰り、話し合ってみたら、何かが変わる。変わってほしい。
私も、親離れならぬ魔女離れをせねばならぬ時が、来たのだ。
もし、できるなら。
使い魔の契約を切ってもらおう。
もう魔女の優秀な使い魔ではいられないのだから。
私はそっと、エイダンの部屋を抜け出した。
エイダンが起きたとき、箱も壊れてしまっているし、私がいないことに気付くだろう。
心配かけまいと、近くの机の上にある紙に魔法で文字を書いて置いた。
これで、きっと目が覚めたとき、探さないだろう。
……もしかしたら、私の魔法の残りを追ってきてくれるかもしれない。というのは、自意識過剰か。
ふっと苦笑いがこぼれた。
朝日が昇る。
私は、魔女のところへ、むかった。
本当は、皆に別れを伝えるつもりもあった。
けれど。そんなものを伝えたら、二度と戻ってこられない気がして。
私は戻ってこられることを信じて、別れは伝えなかった。
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