第16話:大事なひと
「僕、夜は危ないから明日にしようっていう話をしたと思うんだけれど」
「それは、えっと……。聞きました」
「分かっていて、外出したの?」
エイダンが怒っている。
私には、何故エイダンが怒っているのか分からない。
皆で結界術の張り直しをすると言えど、結局は私がやるしかないこと。
エイダンは監理のため、ジョニーは結界術の構築を魔道具で代用できないかの研究のため、リリーは万が一危険があった場合に備えてである。
だったら、明日また皆で出向かず、今日私が行ってこれば効率的だと思ったのだ。
私は褒められこそすれ、怒られるのは納得がいかない。
いつもだったなら、私はすぐに謝ったことだろう。
――けれど、今日は魔女のこともあり、気持ちが不安定に揺れていた。
人間で居られる時間がもう少ない、と知ってしまったのだ。
一番、仲の良いと思っていたリリーですら、動物が人間に化けているのを気味悪がっていた。
もし、私が今日動かず、明日皆の前でカエルになってしまったら?
考えただけでもゾッとする。
やらずの後悔は、絶対にイヤだった。
私は答えず、エイダンを睨んだ。
エイダンは眉根を寄せて、ため息を吐いた。
「きみは英雄と呼ばれるほどに優秀なことは知ってる。でも、心配なんだ」
「言ってることがおかしいですよ」
「そうだね。……でもね、クレア」
気付いた時には、私は壁際に追い込まれていた。
私が離れようとしたとき、エイダンの腕が行く手を遮った。
行く手の反対側にも、もう片方の腕が置かれる。
私はエイダンの顔を見上げた。
エイダンの顔は、薄暗がりの廊下だったこと、さらには逆光でよく見えない。
私が文句を言うより先に、エイダンの声が私の耳に届くほうが早かった。
「きみは、僕にとって大事な女の子なんだ」
だいじなおんなのこ? 誰が? 私が?
混乱する私をよそに、エイダンはさらに言葉を繋ぐ。
「無茶しないでほしい。大事なきみが怪我や事故に巻き込まれたらと、考えるだけでも僕は気が狂いそうだ」
私が耳にしている言葉は、本当にエイダンがこころから思っていることだろうか?
そう疑っていたけれど。エイダンから水滴が降ってきた。
「泣いて、る……?」
「僕だって泣くさ」
「なんで?」
「そりゃあ……。分かってよ。僕はクレアが大事なんだってこと」
私は明日槍が降ってもおかしくないし、異常気象になるだろうと思った。
けれど、不思議なことに、怒られて腹を立てていたことが、何故だか嬉しさに変わっていた。私は自分の感情が変化していることに、驚きすぎてうつむいた。
「……さて。夜も遅い。ちゃんと寝るんだよ? 布団から両腕を出して寝ないように」
エイダンは私の頭をなでると、私を部屋の中へと追いやった。
私の髪の一房をすくい上げ、そこに唇を落とした。
「おやすみ」
「お、おやすみなさい」
もう一度、エイダンは私の頭をなでると、部屋のドアを閉めたのだった。
私は、その場にズルズルと座り込んだ。
頭がまだ混乱している。
それなのに。
「見ぃ~ちゃった! ねぇ、クレアったらいつの間に、エイダンさまとあんな仲になっていたのよぅ」
耳元でリリーの声がして、私の肩が跳ねた。
「リリー……。疲れて寝ていたんじゃないの?」
「疲れが吹っ飛ぶような美味しい出来事が、目の前で起きていたのよね。悠長に寝ていたなんて。わたし、自分を呪うわ」
「いやいや。しっかり寝てよ?」
私があくびをかみ殺すと、リリーは黙った。
このあとの嵐を予感させる静けさである。
私は慌てて、ベッドに登り、布団を被る。リリーもうしろに続く。
「おやすみなさい」
「ええ~。待ってよ、クレア。美味しいはなしが聞きたーい!」
不満の声を上げるリリーをよそに、私は眠りに落ちた。
夢のなかで、また私は結界術の前にいた。
どうやら立ち止まっているようだ。
結界術は完璧なはず。
それなのに。
無数の手が私にむかって伸びてくる。
幾つかは結界術に跳ね返され、消えていった。
四対の腕は、いまだ私を手招いている。
こわくなって、私はないた。
すると、いつぞやかの魔女が映し出された。
「あんたがカエルじゃなくなる魔法を発明したのよ。別にあんたのためじゃないわ。勘違いしないでちょうだい」
魔女の顔は少し赤く染まっていた。
それからだ。ほかの仲間たちが「クレアは魔女に愛されている」なんて、言い出したのは。
次に映されたのは、出会った頃のリリー。
「ふ~ん? 英雄なのに。なぁんにも知らないのね。でも、そうね。最初にわたしへ声をかけてきたのは、見る目があるじゃない。わたしが教えてあげるわ」
リリーはそっぽ向いたけれど。
それが照れ隠しだってことを、今の私は知っている。ちょっと嬉しくなって笑みこぼれた。
「クレアさん。あなた、利用されてませんこと? イヤならイヤと、ちゃんと言わなきゃダメですわ。いざというときは、わたくしの名前を伝えなさい。ええ。でも、安易なことで使ってはいけませんのよ?」
妖精のようなエメリーン。口がへの字になっている。けれど、彼女も私のことを思って、いろいろなことを教えてくれる。ふわふわした良い気持ちである。
そこへ割り込むようにエイダンが現れた。
「クレア、きみは大事な女の子なんだ」
エイダンは私の頭をなで、髪に唇を落とす。
昔、この国にやってきたばかりの頃、図書館で読んだ絵本を思い出す。
けれど、どのお話しも、王子の相手はお姫様だった。カエルじゃない。
再び、魔女が現れる。
「あんたはカエルなの。使い魔として優秀だけれど、それだけよ」
夢の中なのに、息が苦しくなった。
今日だけは。今日だけは、静かにそっとしておいてほしかった。
私が目を覚ますと、外は朝だった。
リリーは起きていて、私に笑いかけた。私はヘビに捕まるような、そんな恐怖を感じた。
「今日は、いろいろお話ししましょうね?」
リリーの言葉にコクコクと頷くしかできなかった。
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